ハロウィーンとケルト文化

2022年10月31日

偶々開いた本(『ケルト神話・伝承事典』木村正俊・論創社・2022)によると、ケルト社会では、10月31日までが夏で、半年後に冬が終わる、つまり、季節は当初二種類しかなかったのだという。但し、一日のサイクルはユダヤでのように、日没で終わるものだったため、10月31日の日没後は、冬の始まりということになる。
 
ケルト文化では、異界と現実界、つまりあの世とこの世とは往来が可能と考えられており、死者の霊や魔物などが、この季節の変わり目には交錯するに恰好のチャンスを迎えることとなったという。
 
11月1日にカウントされるその夜は、ケルトで最も重要な祭りであったという。その名を「サウィン」(Samhain)という。「夏の終わり」という意味なのだそうである。それは基本的に死者のための祭りであったとされている。暗い冬の季節の始まりであるが、それは同時に、明るい春を待つ準備期間の始まりでもあった(夏の始まりである5月1日の祭りは「ベルティネ」(Beltaineなど)と言い、牧畜農家の祭りであり、生ける者のための祭りであったという)。
 
厳粛なその祭りでは、火が焚かれる。神々に生け贄が献げられると共に、先に挙げた異世界の住人が現実の人間と交流する時となった。その前夜、子どもたちは家々を回り、お祝いのための供え物を集めたという。内部をくり抜いたかぶらの中に、明るく燃えるろうそくを立て、家の入口に飾る風習もあったという。
 
正に現代のハロウィーンと同様であると言ってよいだろう。つまり、ハロウィーンは明らかに、ケルト文化につながっている。ローマ人たちが「未知なる者」というようなつもりで呼んだという「ケルト」とは、ヨーロッパの中央部から西にかけて広がった地域に分布していた民族である。それに対して北欧のほうが「ゲルマン」、南部は「ラテン」である。
 
クリスマスの時季は、ローマ帝国にあった「ミトラ」神の冬至祭に由来するという研究が一般的だが、同じく冬至祭であったというケルトの「ユール」という祭りにも関わるのではないか、という声もある。関心をもたれたら、ぜひ詳しくお調べ戴きたい。いずれにしても、日本に生きる私としては、ただ日本の異教の風土云々というばかりの捉え方の中で、ヨーロッパもさして違いがないのだ、という理解もしてよいのではないか、という気がしてならない。そうすれば、クリスマスツリーやリースにしても、異教文化に由来するのだという見方もできようかと思う。仏像や灯籠の中にすら信仰を刻んだ潜伏キリシタンたちの努力は、立派なものだった、というふうに、もっと称えてもよいとさえ言えるはずなのだ。
 
いまや、ハロウィーンでさえ、キリスト教の祭りだ、などと思われることがある。さすがに、それに対してはクリスチャンの誰もが「違う」という答えを返すのであるが、それが「異教の祭りだからだ」という威勢のいい態度は、ケルト文化のにおいの漂うクリスマスの習慣を思うと、果たしてそのまま言い続けることができるのであろうか。クリスマスを拒んだエホバの証人の見解は、必ずしも間違っているわけではないように感じる。
 
ハロウィーンと今呼んでいるこの夜は、翌日の「諸聖人の日(万聖節)」の祭りの前夜(ハロウ・イブ)として賑わっていた。1517年、神学者としてルターは、『贖宥の効力を明らかにするための討論』(95箇条の提題)を公にして、とてつもない争いへと展開していくこととなる。この祭りもまた、ケルト文化と無関係だとは言えないのではないか。現代において、このような「提題」を掲げる者はいないのか。ルターほど世界を揺るがす効果をもたらすことができなくても、神の前に掲げたいと常々思う者の一人でありたい。



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