「恩送り」と「いざ鎌倉!」

2022年10月3日

情けは人のためならず。国語調査でよく質問に挙がる言葉である。「情け」という言葉を広く解すると、ひとに優しくすると自分も優しくされる、というような内容を表すものであろう。報いがある、という知恵を教えてくれる。そんなに世の中は信用できるかよ、との声も聞こえてきそうだが、むしろ信用するお人好しが増える世の中であってほしいと思う。
 
他人のためになるばかりではない、自分のためにもなるのだ。そう見なすと、意地悪な見方をすると、結局自利を見込んでの魂胆が隠れていることになるではないか、とも言えそうであるが、いまはそこまでは追及しないでおこう。
 
私たちは、この「情け」を受けることがある。「夕鶴」という戯曲に昇華した「つるの恩返し」は、命を助けられた鶴が、助けぬしに恩を返そうとするが、タブーを侵したことで悲しい結末に至る。ともかく、ピンチを救ってもらった。助かった。ありがとうございます。きっといつか、このご恩はお返しします……そういった流れは、物語としても有効であるが、現実に私たちは、その恩を当人に返すことができないというケースが多々ある。旅先での恩はその場でのものだろうし、亡くなった方には直接何もできなくなる。
 
そこで、昔から「恩返し」ではなくて「恩送り」という考えも生まれていた。恩人から受けた恩を、その人に対してではなく、また新たな誰かにもたらそうというものである。ひとから受けた恩を、次の誰かに送っていく、そのことから「恩送り」と呼ぶのであろう。記録では、江戸時代にはすでにあったともいう。もしかすると、元々はどちらも同じ意味だったかもしれないというが、このようにリレーしていく考えも確かにあったらしい。
 
聖書が促す、人のなすべきことというのは、この流れと似たところがある。まず神があなたを愛した。それを知るあなたは、また誰かを愛するようにせよ。愛の連鎖は、まず神が愛したことから始まるのである。ただ善いことをせよ、人を愛せ、自分を捨てよ、というだけの教えであったら、キリスト教は広く受け容れられはしなかったであろう。
 
まず神が愛した。それは非常に具体的である。十字架の死は、あなたへの愛のためであったし、あなたを救う極みの業であった、ということである。
 
十字架は必ずしも「恩」という考えで説明できるものではないだろうが、日本語でも「恩恵」という言葉があり、十字架は「恵み」である、という捉え方はあるのだから、必ずしもまるで違うという事柄ではないように思われる。
 
こう考えてくると、聖書を自分の生き方にしている人にとって、「恩送り」という言葉を聞いたとき、非常に重たい気持ちになってくる。キリストが私のために果たした恩、あるいは犠牲は、もう何をどうしても返すことができるような代物ではない。タラントの譬えにあっただけでも、とてもとても返せない負債を、私たちが背負っているかが分かる。
 
すると、福音を伝える人は、説明してくれることだろう。そもそもキリストに恩を返すなどという考え方自体が、ありえないものである。私たちはただそれを受けるだけなのだ。神は神であって、人と比較するような方ではない。その神が与えてくれたものを、人が神にお返しできるものではない。「恩返し」を基にしたような考え方をする必要はない。私たちはただ、自分にできることを、ささやかでもよいから、誰かに与えていけばよいのだ。本当にささやかであるかもしれないが、もしも自分の姿がキリストを映し出すか、または自分の背後にキリストがいることが、霊により分かる人がいたならば、その人もまた、キリストの弟子となることだろう。
 
いやはや、慰めの言葉である。ささやかでもいい。それは、自分が一万円もっていた中で十円を与える、というような意味ではない。私がどんなに精一杯与えても、神のくださったものに対してはごく僅かでしかなく、ささやかなのだ、という意味に取ろうかと思う。
 
昔「巨人の星」というアニメがあった。甲子園で無名のチームを準優勝に導いた星飛雄馬だったが、ある事件の真犯人の身代わりとなって高校を退学する。これを知り、巨人の川上監督が、急遽入団テストを宣する。この号令に、飛雄馬君は応じるかどうか、試したのである。果たして、飛雄馬は来た。「いざ鎌倉!」と来たのだ。このアニメでは、昔から伝わる話や名選手のエピソードがよく紹介されていた。そのうち、謡曲の「鉢の木」の話は、コミックスのほうにもあり、心に残っている。
 
「鉢の木」は、佐野源左衛門尉常世たる地方の落ちぶれた貧しい武者が、旅僧をもてなす話である。薪がなくなると、大切な盆栽を囲炉裏にくべて暖をとったのだという。そして自身の矜持を語る。これでも戦の召集がかかれば、「いざ鎌倉!」と真っ先に馳せ参じる者だ、と。間もなく、鎌倉から呼び出しがかかり、常世は事実、一番に鎌倉に参じた。古びた貧しい出で立ちの常世が呼ばれた先には、あの旅僧と同じ顔があった。あの旅僧こそが、前の執権北条時頼であったのだ。
 
決してささやかではなかった、佐野源左衛門尉常世の振舞いであったが、武士としての誇りは、彼にとり、大切にしていた鉢の木にも増して、大きなものであったのだろう。だからお国のために犠牲になれ、というような利用のされ方はしてほしくないが、日本人として、この尊さが響く心をもっていたとしたら、福音というフィールドについても、私たちにとっての「いざ鎌倉!」があるのではないかと思う。
 
但し、つねにそれほど大袈裟に、自己犠牲を標準にする必要はないであろう。実際、日々のほんの些細なことでもよいのだと私はやはり思っている。脇道から出てこようと待っている車を――自分の後続車に迷惑をかけない程度に――先に出させる、という程度のことでよいのだ(交差点における歩行者の横断については道路交通法上、停止することが前提であるから、それは「ささやかな」の話とは関係がない)。
 
その小さなことが当たり前であるような者には、「いざ」という時も、特別なものではなくなっているのではないか。そんな気がする。与えられた命の中でできることが、今日ひとつあれば、それもきっと幸せなことであるのだ。



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