【メッセージ】共に働く者となる
2022年9月18日
(士師19:14-30,ヨハネ三5-8)
老人が目を上げると、町の広場にいる旅人が見えた。老人が、「どこに行くのですか。どこから来たのですか」と尋ねると、男は答えた。(士師19:17-18)
◆おぞましい話
昔々の物語。エジプトにかつて移り住んだイスラエル民族は、いつしかエジプトにおいて奴隷の身分となっていました。しかし神は、モーセという人物を選び、何十万人というイスラエル人を率いて、エジプト脱出に成功します。以前アブラハムとの約束に応じて備えられた土地、いまのイスラエルの土地へ向けて、長い旅が始まりました。
その目的地を前にしてモーセは倒れます。モーセの従者だったヨシュアが次のリーダーとなり、ついに約束の土地に入ります。そこに暮らしていた民族を追い払い、イスラエル国の基礎を築くというストーリーです。これがいまなおパレスチナ問題となって尾を引いているのですが、今はそのことについては触れないこととします。
ヨシュアが死んだ後は、イスラエルの十二とされる部族は、それぞれの地域に落ち着き、自治を始めます。各部族は、特にまとまりのない形で、ばらばらに運営されていたように、士師記には書かれてあります。つまり、神の名のもとに統一されるようなことがなかったわけです。かなり緩い結合だったのでしょう。
その頃、イスラエルには王がいなかった。そして、おのおのが自分の目に正しいと思うことを行っていた。(17:6,21;25)
そんな中、世にもおぞましい事件が起こります。この結末のおぞましさは、旧約聖書の中でも際立っていると思います。
29:男は自分の家に着くと、刃物を取って自分の側女をつかみ、その遺体を十二の部分に切り分け、イスラエルの全土に送った。
私の感覚ではありますが、ここでの生々しい描写は、強烈なインパクトを与えます。これ以上に残酷な出来事といえば、イエスの十字架のシーンかもしれませんが、そこにはこれほど露骨な描写はありません。
あるいは、旧約聖書続編のマカバイ記の、ユダヤの愛国者ラジスの死があるでしょうか。死に損なった彼は、自分の「はらわたをつかみ出し、両手に握り、これを群衆目がけて投げつけ」(マカバイ二14:46)て、復活を祈りつつ死んだといいます。いえ、それ以上に筆舌に尽くしがたい殺され方として、同じマカバイ記第二で、七人の兄弟たちが、母親の目の前で殺されていく場面がありますが、プロテスタントの方も、こうした血生臭い場面をひとつの現実として、読む機会があって然るべきではないか、と考えます。
◆レビ人の旅
士師記のこの場面で、遺体を切り刻んだという出来事に至る経緯を、簡単に確認しておくことにしましょう。
エフライム山地にレビ人がいました。レビ人というのは、神事に関わる仕事をしています。祭司のような特別な地位ではなく、下級の祭司のように言われることもあります。私は個人的に、一般公務員のように見なしておいて、そう大きな違いはないだろうと考えています。祭政一致の世の中です。宗教的な儀式も公務でした。もちろん、統一国家があるのではないので、これも緩い規定なのでしょうけれども。
このレビ人に、ユダのベツレヘムの一人の女と結婚していました。但し、この女は側女だったそうです。今時は「妾」という言葉もなかなか通じないでしょう。「二号」ともまた違いますが、正式な妻以外にも存在していた妻のような女性です。古代ばかりでなく現代でも、つい最近までは当たり前のようにいたのではないでしょうか。天皇家は、明治天皇まで、この制度で子孫を絶やさず得てきましたが、大正天皇後になくなったため、現在の後継者問題が起こっているものと考えられます。
話を急ぎましょう。その女がレビ人を裏切り、ベツレヘムの実家に戻ります。レビ人の夫は説得して連れ戻そうと、実家を訪ねました。女の父親は彼を喜び迎え、もてなしました。娘を手放したくないのか、父親は、「もう一日」「まあもう一日」と連日彼を引き留め、なかなか帰してくれません。しかし数日後、ついにレビ人はその場を立ち去ります。
あいにく夕暮れが近づいている頃でした。もう一日泊まっていけ、という父親の言うとおりにしていたら、この悲劇は結果的に起こらなかったことになります。間もなく日が暮れ始めます。そこはエブス人という、イスラエル人ではない民族の町でした。レビ人は、他民族の町では泊まりたくないと言い、もう少し先の、ギブアという町まで行くことにします。そこは、ベニヤミン族という、イスラエルのひとつの民族の町でした。
しかし、もう暗くなり、誰も泊めてくれる気配がないままに、どうしたものかと町の広場で休んでいたところ、一人の老人が通りかかります。ここからが、お読み下さった聖書の箇所となります。老人は、町の外の畑で農作業をしてきた帰りでした。この人もエフライム山地の出身でしたが、いまはギブアにいました。老人はレビ人たちに声をかけます。何をしているのか、と。
エルサレムに帰る途中だが、ここで自分たちを泊めてくれる人はいないようだ。でも大丈夫です。食事など必要なものはあります。レビ人がこのように答えると、老人は、自分に任せよと言い、夜この広場にいてはならない、と注意して、自分の家に連れて行きました。
食事をもてなしくつろいでいると、戸を叩く音。ならず者たちでした。男がそこに来ただろう、そいつといいことをしたいんだ。柄の悪い同性愛者たちでした。今の時代にこのような描写をすると偏見を増してしまいそうですが、上手に聞いてください。老人はそんなことを求めるなと返事をし、さらに、自分の娘とレビ人の側女がいるから差し出すが、レビ人には手出しをしないでくれ、と言います。ずいぶん酷い話ですが、彼らが男色であることを前提していたのかもしれません。ならず者たちは、それではダメだ、あの男だ、と騒ぎ続けます。
ここで推測も入ってきますが、恐らくレビ人が、側女を外に差し出します。あれほど労して実家にまで迎えに行った女ですが、自分の身に及ぶ危険を恐れてか、つまみ出すのです。あるいは、老人の娘まで犠牲にしてはならない、と判断したのかもしれません。男色なので女は襲わないとでも思った可能性もあります。可哀想に、女は一晩中陵辱され続けることになります。標的は、必ずしも男だけではなかったようです。
翌朝、レビ人が家に戻ろうとして扉を開けると、女が倒れています。酷い目に遭いながらも、レビ人のいるところまで戻ってきていたのです。しかし、事切れていました。レビ人は女が死んでいることを確認します。そのまま遺体をろばに乗せて連れ帰り、そして、この酷い仕打ちを全民族に知らせるために、遺体を十二に切り刻み、イスラエル全部族に送ったといいます。
ギブアのあったベニヤミン族にも送ったのかどうかは知りません。しかし他の部族は、ベニヤミン族の非道に怒り狂い、この後兵を集めて、ベニヤミン族の壊滅のための戦争が始まるのです。その経緯は、ぜひまた各自でご覧ください。
◆老人との出会い
今週、敬老の日が設定されています。1966年に制定されたといいますから、比較的新しい祝日でしょう。法律上は「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」という趣旨が規定されています。これを踏まえて、物語に登場した「老人」にスポットライトを当てることにしましょう。物語の主人公はレビ人でありましょうが、老人との出会いが運命を変えます。それはやがて、イスラエル民族の歴史にも大きな影響を与えることとなりました。
孫は老人の冠/祖先は子孫の誉れ。(箴言17:6)
力は若者の誉れ/白髪は老人の輝き。(箴言20:29)
老人を尊敬すべきことを、聖書はあちこちで告げます。穿った見方をすると、老人が実際大切にはされていなかったからこそ、こうしたことが言われるという可能性もあります。が、長生きをする人がいまのように多くなかった時代、尊敬すべきだという知恵があったのかもしれません。日本で貧しい農村においては、「口減らし」のための姥捨て伝説が知られていますが、興味深いにしても、研究にもっと耳を傾けたいと思います。
物語の老人の素性は、よく分かりません。エフライムの山からどうしてベニヤミンの地のギブアに来て住んでいるのか、畑仕事をしているのは何故か、歴史に詳しい人は当時の社会事情というものから説明をしてくれるのかもしれませんが、私はよく知りません。畑仕事をしていたといいますが、よそから来て、土地を所有することはなかなか難しかったのではないでしょうか。だとすると、土地を借りて耕作していたのでしょうか。恐らく、老人はこのギブアからすれば「よそ者」であったということになります。
「よそ者」は、現代において考察に値するテーマです。かつての村社会における「よそ者」とはずいぶん違う形で「よそ者」という認識がなされています。それは身近な社会では「いじめ」に通じるものもあるでしょうし、今や「難民」や「外国人」についての扱いにも関わることになるでしょう。住民にとっては、新たに施設を建てようとする行政に対して、「よそ者」の感覚で抗議することもあろうかと思います。教会でしばしば「共に生きる」というスローガンが掲げられますが、それほど簡単なものではありません。この「よそ者」という概念は、私たちの現在において、大きな課題となりうるものだと考えます。しかし、ここでそれを議論することは控えます。
物語の中での「かけひき」にも興味深いものがありす。レビ人は、「家に迎え入れてくれる人」がいないと言いながらも、物品に困ることはなく「必要なものはすべてそろって」いると言います。これは一種の、助けて欲しいというサインでもありえます。日本人でも、気を使わなくてよいという意味で、きっとこのように言うでしょう。これに対して老人は、二つの点を答え、また後に事件が起こったときにもうひとつ、老人の際立った態度があります。
1 不足しているものは任せよ
2 広場に泊まることだけはだめだ
3 娘を暴漢に与えようとした
老人の娘というのが、年齢的にどのくらいの女性であったのか、分かりませんが、暴漢に差し出そうとしました。当地にもてなしの文化があったとはいえ、常軌を逸しています。
◆もてなしの文化
中東文化において「もてなし」は重要な作法であったと言われています。新約聖書でも、牧会書簡の中では幾度も、教会の上に立つような人物は、旅人や客をよくもてなす人でなければならない、と告げられています。
考えてみれば、イエスと弟子たちは、どのように生活していたのでしょうか。私はいつもそれが気になります。イエス一行は、ガリラヤの地方にひとつの拠点があったとは思います。しかし、エルサレムに向けて旅もします。ヨハネによる福音書では、エルサレムとの間を幾度か往復します。しばしば人の家で食事をしているとも言いますが、決して少人数ではなかったであろうイエス一行は、どのようにして迎えられていたのでしょうか。それも旅人をもてなすという、イスラエルの習慣に基づき、いつでも可能だったのでしょぅか。それにしても、ふだんの食事はどうやって得ていたのか、衣服は洗っていたのか、そんな費用はどう調達していたのか、不思議に思うことばかりです。従っていた女たちがそれを営んでいたのかもしれませんし、いわゆるパトロンであったのかもしれません。私たちにとっては日常の関心事である、衣食住について、福音書などは何の情報も提供してくれず、彼らの生活が、まったく見えてこないのです。
この老人もレビ人も、エフライムの山地に関わりがあります。同郷のよしみとでもいうのか、老人はレビ人に心を開きます。「一行は足を洗い、食べたり飲んだりした」(21)といいます。足を洗うというのは、普通奴隷が主人の足を洗うことを指すでしょうが、ここでは具体的な場面は分かりません。ただ、飲食を共にしているところを見ると、これは同胞としての歓迎であり、親しい交わりを意味することは確実です。
身分が違う者や外国人、また軽蔑している相手とは、決して食事を共にしない、というのが、当地の文化だったはずです。
イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。(マタイ9:10-11)
イエスのことを、ファリサイ派の人々も、律法に詳しい教師のように見ていたことでしょう。しかし、イエスは、律法を守れない汚れた連中と一緒に食事をしている、と非難しているわけです。このことは、イエスを異質な者として見る目を育み、やがてイエスを殺すという考えに展開していきます。共に食事をするという老人のもてなしは、完全にレビ人を親しい大切な人物として扱っていることになります。
ただ、それはレビ人が神殿に仕える立場、あるいは公務員だったから、という可能性もあります。何らかの便宜を図ってもらいたい思いが隠れていた、とすると穿ちすぎかもしれませんが、老人はこのレビ人を大切に扱います。しかし、それは男だからです。女に対する扱いは、実に軽いものがあります。
24:ここに処女である私の娘と、この人の側女がいます。この二人を差し出しますから、辱めるなり、好きなようにしなさい。しかし、この人にそのような恥ずべきことはしないでください。
ならず者たちに対して、やはりこの言葉はないだろう、と私たちは思うでしょう。老人は悪い人ではないはずです。しかし、こんなことが平気で言えるわけです。これは、聖書の描く文化と人間の浅はかさとに対する、一つの考察にあたるのではないかと思います。そして、現在の男文化が、ここからどの程度脱却しているのか、真摯に省みなければならない、と私は叫ばなければならないと考えます。多分に、あまり変わりがない、という事実を、特に男の側はもっと見つめなければなりません。もちろん、私もです。
◆私たちの現在
私たち現代の人間は、そして日本に住む私などは、こうした過去の中東の文化をお手本にせよ、などと安易に考えるべきではない、と思われます。無闇に見知らぬ者を家に招き入れて泊まらせるような危険なことを、推奨することはできません。中東でいくらもてなしが美徳だとされていたとしても、果たして実態はどうだったのでしょうか。物語と現実とのギャップについては、これもまた、事情をよく知る方に教えて戴きたいと思う次第です。
老人は、レビ人と食事を共にしました。いま私たちは、食事を共にできない日々が続いています。それは突如襲いました。強力な感染力をもつウイルスの存在が判明し、当初中国国内で防御服を着ている映像を見ている頃ならば、まだどこか余裕をもって見ていたような社会が、やがて、ヨーロッパからの、居並ぶ棺桶の映像に、すっかり震え上がってしまったのです。そこにも何か差別感覚があるのかもしれませんが、それはともかく、会食は厳しく制限される空気になりました。
外食産業は大打撃を受け、特にアルコールが関係すると即座にダメだとされると、店舗経営はもう瀕死状態となりました。学校給食の現場でも、「黙食」がルールとなり、今に至っています。「黙食」は、禅寺でのルールであったり、修道院では当然であったりしたかもしれませんが、今回のものは、一説には、福岡のカレー店の提言だったと言われています。楽しい語らいがあってこそ、共に食することの喜びがあったはずでしょうに、いまの低学年の子たちは、小学校で、話しながら食べたことがないという事実に、切ない思いが致します。
かつては、楽しく話しながら食事を共にする、というのが当然でした。会話のない食卓、あるいは別々の部屋で食べる「個食」が、異様なものとして見られていた時代からすると、この黙食の風景は、明らかに異様なものです。あの「普通の」食事の光景が懐かしく思えますし、それがどんなに大切でよいものであったのか、いまさらながらに思わされます。日常のなにげない生活が、どんなに貴重であるのか、いまもなお感じ取りたいものだと思います。
災害に見舞われた方々が、平凡な日常がいかに大切にすべきものであったのか、しみじみと感じられる、そのようなことを口にするのを聞いたことがあります。いまのあたりまえのような平和や安心を、正に「有り難い」ものとして、感謝する心をもちたいものです。そして、この被災者の言葉からすると、いま私たちは、確かに災害の中にいます。医療施設は、リアルに災害の中における有様です。トリアージが実行されていますが、多くの世の中の人々は、その実情を感じていないし、知ろうともしていないように見受けられます。
◆もてなす主人
今日は、老人の姿に注目して、もてなしの文化について考えてきました。だから私たちも、さあ、誰でももてなしましょう、とでも言いたいところですが、そういうことが望ましいとは思えません。やはり無謀というものです。危険過ぎます。そこから考えても、この老人の姿、どこか神々しい気が、しませんでしたか。
1 老人は、足りないものはないか、と気遣った。レビ人は強がる素振りを見せましたが、少なくとも泊まるところ、住むところが、ありませんでした。居場所がなかったのです。
私の父の家には住まいがたくさんある。もしなければ、私はそう言っておいたであろう。あなたがたのために場所を用意しに行くのだ。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたを私のもとに迎える。こうして、私のいる所に、あなたがたもいることになる。(ヨハネ14:2-3)
イエスが、信じる者たちのために、神の国に居場所を備えてくださると約束したことを、私たちは忘れてはいけません。
2 老人は、広場にいてはいけない、と忠告した。もちろんギブアにおいては、身の危険を感じさせる場所でした。しかし一般的に広場というのは、イスラエルの町において、裁判や商売など、公的な活動の行われる場所でした。神殿ではなく、社会的な場所でした。聖書がよく「世」と呼ぶところ、俗的な場所を指すものと思われます。この世の常識やこの世の原理を第一としてはならない、そこからのみ世界を見るのは危ない、そう受け止めてみる必要があるのではないでしょぅか。むしろ、老人が神々しいなら、神と共に食する祝宴へと、招かれていく必要があるのだ、と理解してみたいのです。
3 老人は、レビ人を助けようと、娘までも差し出そうと言いました。それだけではなく、レビ人の側女まで犠牲にしようと言うなど、女性をいったい何と見ているのか、義憤が湧いてくる人もいるでしょうが、少しだけそこに目を瞑りましょう。老人は、ただの通りすがりの旅人を守るために、自分の娘をも犠牲にすることを提言しました。そう、もちろん、父なる神が独り子を与えたということに、私たちは少しだけでもイメージを重ねることが許されるだろうと思います。老人の場合は、結果的に口だけのものとなりましたし、この老人を神聖視するつもりはないのですが、私たちはここでイエスのことを、思い起こすことくらいは、してよいのではないかと思うのです。
神が人をもてなすという構図は、新約聖書のあちこちに見られると思います。祝宴への招きは、神の国への招きでもありました。それはただの喩えでしょうか。神を信じる私たちは、日常、どんなに神のもてなしを受けているか、いま一度考えてみませんか。
私の魂よ、主をたたえよ。/そのすべての計らいを忘れるな。(詩編103:2)
何の価値もありません。私は神に背を向けもするし、落胆もさせています。けれども、神はこんなにも日々その言葉を与えてくださいます。生きる言葉です。生かす言葉です。それは希望を与えるということです。愛とは何かを知らせます。守りを与え、心を支え、日々絶大なもてなしをしてくださっています。私たちも皆、このもてなしを受けています。これを噛みしめたいと思うのです。
◆共に働く者
最後に、ヨハネの手紙三から一部を引用します。このヨハネの手紙三は短い手紙であり、他のヨハネの手紙ほどの見所もありません。ヨハネによる福音書とも別物です。但し、共通の組織でつながっていたのかもしれない、という見方が基本的だろうと思います。
5:愛する者よ、あなたはきょうだいたち、それも、よそから来た人たちに誠実を尽くしています。
6:彼らは、教会の集まりであなたの愛について証ししました。どうか、神にふさわしいしかたで、彼らを送り出してください。
7:この人たちは、御名のために旅立った人たちで、異邦人からは何ももらっていません。
8:ですから、私たちはこのような人たちをもてなすべきです。そうすれば、真理のために共に働く者となるのです。
ここでは、「よそから来た人たち」を大切にしていることを明らかに善いこととしています。いま挙げた「ヨハネ」と名の付く文書に関わっているグループを「ヨハネグループ」と呼ぶことにすると、ヨハネグループは「愛」を尊ぶのが特徴です。「愛」について話が通じる仲間であるからこそ、「もてなし」を大切にしているのかもしれません。
イエスも、愛することの大切さを強調したと思います。時には、敵をも愛せよと言って、私たちを戸惑わせました。しかし後の教会でも、人類皆兄弟だから博愛こそ重要、とした様子はありません。かつてのファリサイ派などのエリートと同様に、仲間内で愛し合うということを、おもに考えていたことだろうと思います。そして私たちも、それを責めることはできません。時代が時代であり、迫害の中にいたとすると、仲間内で励まし合うことをのみ考えたとしても、ある意味で当たり前のことでしょう。
キリスト者は誰でも、キリストの愛の内にある仲間であるから、大いにもてなすべきだ、「そうすれば、真理のために共に働く者となるのです」と、この手紙は私たちに告げます。いま自分にできる精一杯の愛を、仲間に対してだけであっても、示すこと、それだけで、神の国のため、イエスのために共に働く者となるのだから、結束しようではないか。そう言っているように聞こえてきます。
あの老人もまた、神のために働くレビ人と、つながろうと努めました。それがもてなしでした。もちろん聖書は、この老人が神を意味している、などと言っているはずがありません。逆に、神のために共に働く者のひとりとして、年老いながらも、何かができるのだ、という望みを私たちに与えてくれたような気がします。
20:老人は言った。「安心しなさい。今あなたに足りないものなら私に任せなさい。広場に泊まることだけはしてはいけない。」
レビ人は、余りに酷いギブアの悪漢たちの脅しに、恐怖の最中に陥ったのか、わざわざ迎えに行くほど未練のあった側女を犠牲にして自分の命を救い、挙句死んだ側女の体を切り刻むようなことまでしました。今なら死体損壊罪です。実におぞましいことです。老人はこの現場を見ることはありませんでした。が、女が死んだ場面は見たはずです。老人は、それを見て、どう思ったでしょうか。何と声をかけたでしょうか。聖書は、何も語りません。
このように、人のおぞましい罪や言動について、神がそれを見ていたにしても、神がどのように見ていたのかということを、聖書は語りません。聖書は教えてはくれません。
私たちの現実にも、おぞましいことが多々あります。実に酷い世界だと嘆くことがあります。しかし、それらに対して、神は沈黙しています。
それならば、世の事柄に対して、私たちは、私たちの判断でひとつの結論を出すべきでしょうか。なんとかしないとやっていけない世の中に対して、何かもの申すという態度が必要なのでしょうか。いえ、今日この老人を通じて、私は、声をかけ、働くことを見つめておりました。年齢を重ねた故に、「どこに行くのですか。どこから来たのですか」(17)と、困惑したように見えるレビ人たちに、声をかけました。
年配の方、どうぞ声をかけてください。語りかけてください。きっと貴重な知恵がそこからこぼれてきます。年配の方、年をとったから口を出さない、などと言わずに、どうぞいっそう共に働いてください。この老人のように、落ち着いた語りで、人生の重みを伴った言葉を、仲間や、後継者に、投げかけてください。与えてください。あなたの力が、必要なのです。
「どこに行くのですか。どこから来たのですか」と、人の行く道について、問いかけてください。あなたはどこから来たのですか。あなたはどこに行くのですか。この問いは、人であるならば、大きな意味をもって、魂の中に響いていくはずなのです。