読書の契機と今後

2022年9月3日

中学生のとき、数学が面白かった。それで、大学でも数学を学ぼうと漠然と考えていた。だが、勉強以外のことに熱を入れたこともあり、数学というものをそれほど真剣に考えていたわけではなかった。数学科を受験したが、かなわなかった。当然だったと言える。
 
その頃、哲学という分野があることを知った。いや、自分の関心のあることが、ひとつの学問として存在しているということを知った、と言ったほうがよかった。なんと知恵と知識のない高校生だったことだろう。私はようやくターゲットを見出した。
 
言うまでもなく、哲学は文系学部である。理系クラスで過ごしていたため、文系となるためには、読書量が圧倒的に足りないことを思い知る。しかし何を読めばよいのだろうか。こういうとき、何らかのガイドが欲しかった。当時、『受験の国語・学燈』という雑誌があった。これを買ったのは、読書リストがあったためだ。大学受験の国語のためにお薦めする読書リストである。
 
私はたぶん、その殆どすべてを読み漁った。自分で取捨選択をせず、そこに並んでいる本を可能なものが次々と手に入れた。比較的入手しやすいものばかりが紹介されていたのも助かった。小林秀雄でも、丸谷才一でも、必読とされるライターには、漏らさず触れることができたと思う。希望の大学には入れなかったが、私は広い見識を得た。
 
自分で興味が出たから読む、というのではなく、とにかくがむしゃらに読むこと。この経験は大きかった。本は、ひとつ読むと、その中で登場したり、関連したりするということで、次の本が読みたくなる。本にネットワークのようなものがあり、雪だるま式に読むべき本が増えていく。今でも、そうやって選り好みせず、幅広く様々な世界に踏み込んでいくように心がけている。
 
すると、何事かを聞いても、アンテナに引っかかるのだ。その問題について、何をどう調べれば、ひとつの解決が得られるか、見当がつく。また、自分の中でこうではないかと睨みが利くようになり、それを検証する方法も道筋がつくようになる。
 
本ではなく、ネット検索でもできるのではないか、と言いたい人もいるだろう。確かにネット検索は便利だ。昔ならば数日かけて本をめくって調べていたようなことが、数秒で目の前に現れてくる。こんな便利な道具はない。だが、本よりも、信用性が低い情報がべらぼうにある。新たなリテラシーが必要であって、結局それらの情報を統括して判断する、自らの頭脳が必要になる。
 
たとえば、ひととおり学術的な関心をもって世界を眺めていれば、「エステティーク」という美容関係で使われている語が、多分ギリシア語に由来し、バウムガルテンがその「美学」という論述のために提唱した学に基づくことは、基本的な了解であると言えるだろう。だが、ネットには、旧約聖書のエステルという女性が化粧を施されたことから、エステルが語源だなどという無責任な思いつきがいくつか見られる。ある牧師は、エステル記からの説教のとき、明らかにこうしたネット検索にあったネタを見たはずで、これをすっかり信用して、得意そうに講壇で語った。さすがにそれはまずいでしょう、と直後に訴えたが、その後この嘘を振りまいたことについて訂正をすることは、ついになかった。たんに無知だったことよりも、このように講壇から権威をもって嘘を広めたことは、いっそう悪いことであるということが、自覚されなかったようだ。
 
さて、本がないと生きていけなくなった私ではあるが、小学生のときには、本を読むのが嫌いだった。親は、決して豊かな収入があったわけではないのに、百科事典と、子ども用の文学全集をどーんと買って書棚に並べていた。百科事典は好きだった。だが、物語は読むのが面倒だった。それでも、よほど暇ができたら、せっかく買ってくれた親に悪いと思い、ちょくちょく読みはした。おかげで、日本神話やとんち話なども含めて、物語世界には広く通じたと思う。環境を与えてくれたことには、やはり感謝するばかりである。
 
小学六年生のときの担任の教師は、クラスの子たちの誕生日に、皆でプレゼントをしようという企画をした。その都度、ひとりが10円ずつ差し出して、本人の希望するものを買ってプレゼントする、というものだ。400円くらいのものだが、当時はそれで結構なものが買えた。私は、当時好きだった推理小説の文庫をリクエストした。先生は、それで記念になるのか、と訝しがったが、私は嬉しかった。確か、ディクスン・カーのとガストン・ルルーのと、二つ買えたのではなかっただろうか(記憶違いがあるかもしれない)。
 
たびたび本を捨てよと家族に嫌がられ、幾度か諍いにもなったが、確かにそれは尤もだと考え、最近ではコロナ禍の最初のころ、自宅待機の時期にだいぶ処分した。しかし、それもすっかり元通りになり、シャーレ内のカビのごとく、収拾できぬほどに再び増殖してしまった。いい加減、またなんとかしなければならない。天国に本を持っていくわけにはゆかないのだから。



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