いま医療従事者に対して
2022年8月5日
医療現場が機能不全になり始めた。重い病気と同じで、症状が出てきたら、もはや手の施しようがない、という場合がある。病状が表に出ないうちに手を打つのでなければ、助かるものも助からなくなるかもしれない。
だから、そうならないうちに対応しなければならなかった、という点では、政治的な方策が万全ではなかったことは確かである。しかし政治的な場面では、経済との板挟みがあり、経済を動かすために、病気への対応を万全にできないのだとすれば、経済を打ちきれなかったことが、大きな要因となるだろう。となれば、国民一般の責任でもある。
ここへきて、福岡では、大学病院までが一部の病棟閉鎖を余儀なくされている。スタッフが感染すると、人員が確保できなくなるのである。そうでなくても、各地で医院の診療ができないケースが多々起こっており、また、救急搬送もすんなりできないことや、コロナとは関係のない重病患者のオペも滞ることなどは、以前からすでに常態となっている。
患者が自宅待機なのは、医療現場を見れば誰にでも分かる。自宅待機はけしからん、と言い始める論者が、テレビにもいるようだが、医療現場をどうぞご覧ください。それ以外に何をなすべきか、現場の医療スタッフの目の前で、その持論を講釈して戴きたい。
テレビで吠えるのは、いわば風評被害をもたらす最悪の事例である。ほかにも、SNSでも同様に、自宅待機はけしからんと、権威のある人が、事態を知らずに正義の声として感情的に呟く場合があるが、そういう人が非難しているならそれは正しいのだ、と人々が思い込むであろうことを考えると、責任は重大である。
確かに、政治を批判したつもりかもしれない。だが、その矢は直接的には、医療従事者へ向かう。子どもになにかあったら責任をとってくれますか、などと食らいつくケースもある、と先日報道されていた。親としてその気持は分かるが、もはや現場では、トリアージが当然のこととしてなされているだけであって、それをしなければ、医療全体が破滅する状態になっているのだ。
現在でいえば、解熱剤が枯渇している。コロナ禍初期の、マスクがないのと同様で、この急激な感染拡大に、生産がまったく追いつかないのである。いま、発熱したら、特に子どもにはきついというのは気の毒で仕方がない。だが、熱を下げる薬は、医院のほうには、もう殆ど回ってこない事態となっている。こうした事態を起こしたのは、仕方なく感染した人というよりも、お気軽に感染した人々でもあるし、それを許している社会、そして私たちなのである。
政府や医療団体が声明を出すのは、医療従事現場の声を代弁しているのが基本である。これを非難するとなると、現場の人々を非難していることにもなる点に、想像力を働かせて戴きたい。もっとよい制度もあるかもしれないが、制度というのは簡単にはできないし、付け焼き刃で簡単に機能するものでもない。それよりも、保健医療がお金を使いすぎるなどと言って、保健所の数を減らすことに、同意してきた報いがここへきている側面もあるのだとすれば、責任というものは、国民一般にもあると言えようし、そもそもいま、政治が悪い、と吠えている人々が、かつて保健所を減らすことに猛反対したのかどうか、そこのところも知りたい。病院はそんなに要らない、などと経済的な数字を根拠に考えたことはないか、知りたい。
医療従事者は、この二年半余り、不要な外出や会食も禁じられている。あるいは職業精神として、それをしないよう自粛し、あるいは制約されている。どんなに世間で祭りが復活しようが、街なかに行くことすら、なかなかできないでいる。そして休日もワクチン接種に駆り出され、日常的に感染者に囲まれた危険状態の中で長時間勤務をしている。この人たちへのリスペクトが微塵もないばかりが、そのストイックな献身活動を否定するような言動を、傍から見ているだけの評論者などが、簡単にメディアを使って、自らの正当性を誇るように言い放って、それでよいのだろうか。言葉の暴力ではないのだろうか。
医療従事者も、人である。しかも、これだけ己を捨てて耐え続けている人である。その尊厳を踏みにじるようなことを、して戴きたくない。コロナ禍の最初の頃に、お祭りのように、医療従事者に感謝しましょう、のようなキャンペーンもあったが、他方で、子どもじみているという批判も当初からあった。いまは、感謝の「か」の字もなく、むしろ医療従事者への誹謗中傷が正義のような顔をして、表に出てきている。公に医療現場を非難することは、まさに誹謗中傷であるとしなければならないのではないか。そこには、人としての愛も消失しているし、感謝するような心も全くない。キリスト教徒と称しながらも、そんなことを言う人すらいるとなると、どういう信仰をお持ちなのか、私には全く理解できない。
他方、あるキリスト者の医療従事者は、こんなことを言っている。
「たとえ明日、世界が滅びようとも、今日、私は、白衣を着ます」