チャールズ・ハッドン・スポルジョン
2022年7月1日
2022年の半ばを迎えたが、私は例年元日から、黙想用の本を決めて一年間続けるようにしている。自分の思いつきを中心としてはいけない、という戒めからであるが、それ以上に、すぐれた先人の黙想に従ってみるということの意義を、重視するからだ。
最近は、加藤常昭先生のものも何年か続けたが、今年からは懐かしいC.H.スポルジョンの『朝ごとに夕ごとに』を見つけて、それを読んでいる。一日ふたつなので、慣れるまでは、ついひとつ忘れるようなこともあったが、さすがにもうリズムができてきた。
もちろん、日本語版である。新装版が1986年に出ており、ここにあるのはその初版であるから、たぶん私が信仰を与えられて間もなく、教会の牧師の薦めで買ったのだろうと思われる。実は妻のを借りているのだが、3500円の価格が付いているから、貧しい生活をしていた彼女は、当時そうとう無理をして買ったはずだ。
スポルジョンは、19世紀イギリスを代表するバプテスト派の牧師であり、説教者である。牧師の息子であったが、学歴は殆どないようなもので、18歳にて牧師を務め、一年間で信徒数を10人から数百人に増やしたという。その熱い説教は、やがて特別な会場で何万人と人を集め、多数の回心者を出した。その説教を毎週直ちに新聞社が競って入手し、いかに早くそれを印刷するかを競っていたという。
英語が大の苦手だった私が、少しばかり英語をまた学ぼうと思ったのは、スポルジョンの説教を読みたかったためだ。説教集は多々あるので入手は易しいが、その英語は、百年余り前の英語、現代の英和辞典には載っていない語がたくさん出てくる。しかし大辞典を買うゆとりもないし、手軽に持ち歩けないため、小さな辞書でその時代の単語が載っているものはないか、と探したところ、見つかった。三省堂の『エクシード英和辞典』である。これはすぐれものである。ポケットに入る大きさにして、19世紀の英語が読める。
スポルジョンの説教は、絵に描いたように鮮やかである。庶民の誰もが思い描けるような、具体的なものに喩えられ、生活の中の出来事と重ねて、イメージ豊かに聖書の言わんとすることを噛みしめることができる。荒んだ生活をしていたであろう人々にも、聖なる道が与えられるということを、きっぱりとした言い方で勧め、導くその力は、近年の日本の教会での説教者には、ぜひ一度振り返って戴きたいものである。
万が一だが、スポルジョンの名をすら知らないという説教者がいたとしたら、それはもったいない。間違いなく、それは説教者として、そしてその教会にとって損失である。なにもスポルジョンに限らないが、すぐれた説教集は、ことあるごとに読み返す価値がある。個人のものではないが、日本には、説教塾の塾生の説教を集めた説教集もある。塾生という立場だが、すべて日本の各地の教会の牧師かそれに匹敵する人々である。時折読み返しては、励まされ、心をわくわくさせてもらっている。
スポルジョンの『説教学入門』は、ダイジェストではあるが、加藤常昭氏の邦訳がある。同じ訳者のものに、ボーレンの『説教学』もあるが、こちらはやはりいかにもドイツという実直さがある。スポルジョンは、ずっと庶民的でお洒落であるし、実際的である。説教者の服装やゼスチュア、声の出し方まで、面白くアドバイスする。
確かに、その時代特有の考え方も、含まれる。そんなことはいまはできない、というものも確かにある。だが、全体的に大いに学ぶところがあることは、間違いない。かの『朝ごとに夕ごとに』には、カトリック教会を悪魔のごとくに言い放つ頁もあるし、いまなら差別的な表現ととられるものも含まれよう。だが、たんに自己本位的に「霊的な」と呼ぶだけでは済まないような着眼点には、時折唸らされる。たとえば、エジプト王が、献げ物をしたいというモーセに許可を出すものの、「あまり遠くへ行ってはならない」と告げたその言葉から、ひとつの黙想が始まる。あまり遠くまで、などと中途半端な姿勢をもつな、肉の世からは徹底的に遠ざかれ、分離せよ、と勧めるのである。
スポルジョンには、生涯忘れることのできない痛みがあった。大劇場での集会で、紛れ込んだ何人かの敵が、意図的に「火事だ」と叫び、会場に大混乱を引き起す。パニックとなった会衆のうち多数の負傷者と、何人かの死者を出したのである。この事件の後の初めての説教が「キリストの高挙」という説教として知られている。キリストの十字架の死に、自身が重なる思いが溢れていたものと思われる。
さらに歴史的に古い古い説教も、私たちは入手可能である。さすがに、千年以上も時代を遡る説教は、時代文化的についていけないものがあるが、それでも、歴史を超えて伝えられた説教には、輝く信仰があるものと慰められる。次の目標は、挫折しているクラドックの『説教』であろうか。日本語訳が高すぎるので英語版を手に入れたが、中途で放棄している。なんとかしたいと願いつつ、集中力が続かない。語学力のある人が羨ましい。