沖縄

2022年6月23日

差別は、自分はしていない、と言える者はいないだろう。「つもり」ならだ分からないでもないが、きっぱり言い切ると、その人はもはや信頼の置けない人間だということを天下に示すことになるだろう。
 
私も、絶対にそんなことはしていない、などと言うつもりはない。ただ、こと沖縄については、そのようなことは決して言わないだろう、と思えることがある。実際に聞いた言葉である。
 
「沖縄には、米軍施設の7割が押しつけられています。沖縄の平和のために祈りましょう。」
 
だいたい、こんなふうな内容のお誘いであった。虫唾が走った。私は、この祈りには断じて同調しない。このような仲間には、決して入らない。キリスト信仰を与えられた者として、私はこんな言葉を、恥ずかしくて、苦しくて、告げることができない。私と同じ感覚の方には、ご説明はいらないだろうと思う。
 
そんなことを言いながら、同じようなことを、各方面でやっているではないか、と指摘されるかも知れない。気づかない罪を赦してください、と祈るばかりだ。
 
九州国立博物館で、7月半ばから、特別展「琉球」が始まる。リーフレットがあった。鑑賞の許される感染状況だといいが、と願っている。よくない傾向が現れているようなので。
 
軍人を記念するような23日という日付には、あまり関心がないが、沖縄の方々の痛みには、ただ頭を下げるばかりである。新婚旅行で訪ねた、あの時の空気を、まだ覚えている。


※もっとも、すべての人があのように言ってはいけない、のように考えているのではありません。それぞれの人の立場により、様々な言い方が可能になります。



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