夏至
2022年6月21日
今日は夏至である。太陽の南中高度が最大となる。福岡市は北緯33.6°に位置するとしよう。福岡における夏至の太陽高度は、90°−緯度+23.4°で計算できる、と中学受験のための理科で学ぶ。私ならそのわけも一度はきちんと教えるが、さしあたり計算すると、79.8°となる。かなり高い。私は一度、夏至のときに沖縄に立ったことがある。沖縄の那覇は北緯26.2°だから、計算すると、87.2°となり、ほぼ真上から太陽が照らすというわけだ。
二十四節気というのがある。中国では古くから、太陰暦とは別に、1年を24に区切って気候を知る考え方があったという。従って、一か月に二つ、その区切りがあるということになるが、夏至もそのひとつである。夏至の次は、半月後に「小暑」、そのまた半月後に「大暑」という名が控えているので、いよいよ夏本番ということになる。最大値をとるのは、「太陽高度」から「地温」そして「気温」であるという理屈については、小学校で学ぶのが普通であるから、夏至はまだ暑さの入口に過ぎないのである。あいにく、日本の大部分はこの時期梅雨に見舞われるが、そのバランスが、日本の農業をつくっているということにもなるのだろう。
よくぞ、こうした暦による知恵を、人間は身につけたものだ。暦は、文明を築くのに欠かせなかったものであろう。時季というものが分からなければ、まともに共同体を治めていくことはできない。産業も文化も、成立しなかったとさえ言えよう。
聖書は、古い文化をいまに伝えるが、その中にも、暦に関する記述はたくさんある。特にユダヤにおいては、いまもなおその暦を守っていると言われるが、聖書に基づく歴史からの刻み方は文化だとしても、太陰暦となると、太陽暦に慣れた私たちからすると、不思議な感覚がする。しかし、日本もついこの間までは、太陰暦を採用していたのだ。尤も、それは太陽暦との間の調整を考える、太陰太陽暦と呼ぶほうが相応しいとされる。
エジプトでは、太陽暦が使われていたという。1年を365.25日として計算していれば、数百年は大きくずれることがない。エジプトでは、ナイル川の氾濫の時期を知ることが、社会を維持するために必要なことだったから、太陽暦が求められたのだろうか。もちろん、ほかにも天体観測から暦がつくられていくことも、明らかではあるのだが、月を基準にすると、他の太陽や星とは整合性がとれにくくなる。だのに多くの文明が、月を基準にしていた。太陽が沈み、暗黒となるべき夜に、辺りを照らす月は、どんなにか人の心をも照らしたことだろう。
時に、王の名を以て暦を定めるということも、古今東西なされていることである。旧約聖書にも、王の名で時代が呼ばれているケースが多々ある。名は体を表すとも見なされていたから、王の名によって時を定めるというのは、王が時間をも支配しているということを、天下に示すためのものだったのだろうか。日本でも天皇を軸にした元号が保持されるのは、その辺りの心理が隠れているのが一因ではないか、と言われている。
ローマ皇帝に関して、均等に分けた月が31日になったこと、そのため一年の終わりであった2月からどんどん日が奪われていったこと、など、子どもたちにも時々話すと、好奇心いっぱいの眼差しを集める。子どもたちは、世の中の「不思議」を感知することを日常としている。大人は、そうした「不思議」を思わないから、単調な日常を見過ごしていき、時間が早く過ぎるように感じるのかもしれない。ひょっとすると、子どもたちの世界では、時間が時に逆に進むようなことが、あるのかもしれない。聖書にも、日時計が逆回転したり、時が止まったり、奇妙な描写があるが、少なくとも主観的には、それは真実なのではないか、というふうにすら私は感じる。
以上の私の話は、子ども相手の話である。厳密さに欠けるし、誤解や嘘が混じっているかもしれない。これを機に、ひとつ調べてみよう、と思い立つことはお勧めするが、妙な受け売りは避けられることが望ましい。一年の中でも特別な日に、地球規模の視野をご提供できたら幸いである。