(サムエル上8:1-22, ルカ19:11-27)
あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。(ペトロ一1:5)
◆王とは
ひところ「王様ゲーム」なるミステリーが流行ったことがあります。また、「王殺し」と言って、弱くなった王を殺す風習があることがセンセーショナルに知らされたこと(フレイザー『金枝篇』)もあります。もう少し平和にいくならば、絵本の中の「王様」は、えてして威張っている割には知恵がなく、知恵や勇気のある者に最後に褒美を出すか、王位を奪われるかといった、西洋風の昔話が、私の頭には浮かんできます。さらに言えば、「バカ殿様」風の、愚かな役回りもあるように思います。また、日本だと「おおきみ」と言われた存在でしょうか。考えていくと、「王」というものについて、各人各様のイメージをもっているような気がします。しかし聖書は、確かに「王」という語を使って歴史を伝えています。
イスラエルは王を長らく立てませんでした。イスラエルの歴史はそう伝えています。神こそが王であるから、人間の王はなかったとするのかもしれません。ただ、士師ギデオンの息子アビメレクが王とされた記事があります。勇士ギデオンは、王になってくれと言われても、拒否していましたが、その死後、アビメレクは、自分の兄弟たちを大量殺害し、自分が王になったのでした。愚かなことだと批判を受けたようですが、戦争においては才能があったのか、3年間周辺地域を治めました。比較的狭い地域であったとは思われますが、イスラエルに王が現れた話でした。
このように、イスラエルの歴史の中に見る王は、戦争のリーダーであるように描かれています。この後、大きな支配力をもったイスラエル国には、正式に就いた初代の王が現れます。そのサウルも、兵士でした。サウルの後にさらに強い力をもってイスラエルを統一したダビデもまた、日本なら義経を思わせるような戦いの天才であり、サウル以上の兵士でした。正に戦術に長けた軍人でした。
どうも、私が頭に思い描く、へなへなとしたわがままなお城の王様というのとは、訳が違うようです。
◆王を立てよ
そのサウルが王位に就く直前の場面が、今日お開きした聖書の中に描かれています。逐一コメントするつもりはありません。もはや筋道を辿るだけでよろしいでしょう。ただ、このサムエルというのは、イスラエルの王を立てるために神に呼ばれた預言者のことだ、とだけ紹介しておきましょう。イスラエルは、神をこそ主として崇める宗教的な共同体だ、ということになっていますので、王たるものは、神により任命されるという形がどうしても必要なのです。いえ、驚くことはありません。日本の天皇制もそうした宗教的基盤に基づいて即位するのですし、ヨーロッパではやはり神の名の下に位が授けられるようになっています。
イスラエルの人々にとって、この時代、ペリシテ人の脅威が重大な関心事でした。今の「パレスチナ」とは、「ペリシテ人の地」という名前です。この民族は、特に地中海沿岸に住みついていましたが、鉄器を有するために、イスラエルは長く歯が立ちませんでした。鉄は、材料と共に、高温を維持する施設が必要でしたから、どこの民族でも簡単に作れるわけではなかったのです。士師記からサムエル記でよく登場しますが、このペリシテ人が、イスラエルに王政をもたらしたような結果となりました。
そう、ペリシテ人がいたからこそ、イスラエルには、戦いをリードする王が、喫緊の課題となっていたのでした。申し訳ありませんが、歴史的にああだこうだということを、ここで考えるゆとりはありません。この問題に関するイスラエルの民の反応に急ぎ移ります。公務を担当する長老たちが集まり、いわば公的な会議が行われたのです。
問題は、サムエルが老齢に入っていたことでした。王ではありませんでしたが、預言者サムエルは、何かとイスラエル諸部族の指導者であったのです。しかし具合の悪いことに、サムエルの二人の息子は指導者になれるような器ではなかった。そこで、別の「王」を立ててください、と長老たちがサムエルに求めます。
サムエルは、王を立てることは、神とイスラエルの関係の中で、よくないことだと考えました。主はどういう判断を下すかを求めます。まず「主に祈った」(6)という姿勢には、学ぶものがあります。すると、主は応えます。人々の声に従え。サムエルが拒まれたのではなく、人々は神を拒んだのだ。どうやら主なる神は呆れているようです。すぐに他の神々に仕えることをこれまでもしてきたではないか。サムエルよ、あなたではこの勢いを防げない。但し、王を立てるということは、どういう事態が待っているのかを、「はっきり警告」(9;新共同訳)せよ、とだけ命じます。
そのためサムエルは、いろいろと具体的に、王が立てられるということは、どういう社会になっていくかを説きます。男は徴兵があり厳しい労働が待っている。女は食糧のために徴用される。土地は没収され、作物を納める制度ができる。家にいるあなたたちの奴隷や家畜も徴用され、王のもとに連れて行かれる。言うなれば、あなたたちが王の奴隷になるのだ。きっと後悔するだろう。だが、もうその時に主は助けてはくれないのだ……。
サムエルとしては、これだけ脅せば、人々は考え直すだろうと思っていたことでしょう。しかし、「いいえ。我々にはどうしても王が必要なのです」(19)というのが、民意でした。それは、ペリシテのような他の国々と同じ王政を敷く必要があるからだ、と言います。よほど現実の脅威が大きかったのでしょう。ここで、王が戦うという、先程の考察が強く生きてきます。サムエルが主にこれを告げると、主は、それでは王を立てよ、と命じます。いやはや、サムエルは悔しかったことでしょうが、もう人々を抑えることはできませんでした。
カリスマをもつ指導者が、国を率いて独裁政治をすることの危険性を、人間は歴史で幾度も味わいました。それは先の大戦で学んだはずでしたが、いまもなおそれが続いています。そんな国が、幾つもあります。それを導く政治制度の故でしょうか。いえ、私はそうは思いません。いつでもどこでも、それは起こりうるのだと考えます。皆が同じ方向を向き始めることについて、もっと警戒しなければならない、と。
それは、やたらと政府に反対すれば防げる、というものでもないのです。この意味は、またいずれお話しします。そのことに気づいていないでいると、政府に反対しているかのようで、実はいいように操られている、ということになりかねません。これは、「はっきり警告」(9;新共同訳)しておかなければなりません。私も、サムエルの弟子になるべきだと考えています。
他方、ここには民意の怖さというものも、現れています。神の言葉を預かるサムエルですら、止めることができなかったのです。民主主義国家では、いまの民主主義こそ至上のものだ、と勘違いしているように見受けられます。これもまた危険なのです。古代ギリシアの哲学者プラトンが、民主主義を悪しきものと論じたことは、よく知られています。それは簡単に愚衆政治に陥り、誤った判断が正義とされ、やがて都市国家は崩壊するだろう、とするのです。政治的な背景が異なりますから、単純にいまの世界と比較はできませんが、確かにいま、私たちは「民主主義」を偶像視しているような気がします。フランスのギュスターヴ・ル・ボンが著した『群衆心理』がすでに19世紀末に警告し、スペインのオルテガ・イ・ガセットが『大衆の反逆』を発表したのも、いまからおよそ百年前のことでした。私たちは、アメリカの大統領の現実の中に、その警告の問題性を、学ぶことができたのではないでしょうか。
◆キリスト者の正義
そうだ、世間の人々はそうやって操られる。神を信じる者はそうした間違いから逃れられる。すばらしい。――ここにもまた、罠があるように思います。そしていまそれを告げる私自身も、果たしてこれでよいのか、とんでもないことを考え、口にしているだけではないのか、それを恐れ、顧みつつ、それでも、私の信頼する主から与えられた言葉は、語っていくばかりです。
キリスト者が、いくらかの恵みの中に置かれているとはいっても、それ故に正しい人間になるわけではありません。ここは勘違いをして戴きたくないところです。むしろ、あのファリサイ派の人々がそうだったのです。自分たちは神の教えに包まれ、それを守り、精一杯のことをしている。だから間違いなく神の祝福の中にある。相当な自信があったはずです。その自信は、自分の信念の正しさを疑うことを微塵も思わず、我こそは神の側に立つ者、正義の使者だと考えていたことだろうと思います。
そのような気持ちを、懐いたことは、ありませんか。
だって聖書にはこう書いてある。これが正しい。これに沿わない人は、間違っている。一刀両断に斬り捨てる発言を、私はどれほど「クリスチャン」の口から聞いたことでしょう。そう、正論なのです。でも、本当に正しいかどうかは、別問題です。そして何よりも、愛が感じられません。自分が正しいという輝きに満ちています。だったら、それはキリストの言葉として聞くことは、私には無理でした。もちろん、それは常に自戒をこめて告げる事柄ではあるのですが。
神の民としてのイスラエルの中に、神のほかに君臨する王などを立てるべきではない。サムエルの考えは、なにも間違っていません。その原理原則は、十分正しいものでした。けれども、「民の言うままに、その声に従いなさい」(7)と、主はサムエルに言いました。「私が彼らの王となることを退けている」(7)ことを承知の上で、主は、自分に味方の声を挙げるサムエルの主張を退けたのでした。神の忍耐を覚えます。
そのサムエルの正義ですが、やはりここでひとつ釘を刺されてよかったのではないか、というのが私の捉え方です。それは、今日お開きした箇所の最初に現れています。
8:3 だが、息子たちは父の道を歩まず、不正な利益を求め、賄賂を取って裁きを曲げた。
長男ヨエル、次男アビヤと、名前まで挙げられた、サムエルの二人の息子たちは、イスラエルの中で政治的な地位が与えられていたようですが、賄賂で裁きを曲げた、と書かれています。これは後の預言者にとり、イスラエルの政治家の非常に醜い例として挙げられる行為です。サムエルは、息子たちを育てるのに、ある意味で失敗したのです。サムエルの懐から、イスラエルの悪が滲み出てしまっていたのです。
これは、皮肉なことに、サムエルの師匠であった、祭司エリも同様でした。こちらの場合はもっと悲惨です。やはり名前の挙げられた、エリの二人の息子ホフニとピネハスは、祭司としてあるまじき行為をしていたために、その罰として、ペリシテ人に神の箱が奪われたその時、戦死します。さらに、その知らせを受けた祭司エリもまた、崩れ落ちるように死にました。
サムエルは、エリほどの罰を受けずに済みましたが、息子たちのことでは疵を負っていたと言えるでしょう。正義を主張しても、その足元がどうであるのか、神は問うているような気がしてなりません。
◆ムナのたとえ
もうひとつ、聖書を開きます。新約聖書はルカによる福音書19章の、「ムナのたとえ」と呼ばれる箇所です。
エルサレムを目指すのが、ルカのイエスです。そして、人々の間にも、神の国への待望が、高まっていく様子を伝えています。そこで、イエス自ら、一つのたとえを話します。
似たたとえとして、マタイによる福音書25章の「タラントンのたとえ」があり、世間的にはむしろこちらの方がよく知られています。なにしろ「タレント」という言葉の語源ですから、タラントンの話は何かと引いてきやすいのです。しかし、ルカのムナの方がマイナーであるのは、どうやら別に理由があるような気がします。
タラントンに比べてムナの値打ちが実はあまりに低額だという違いもあります。でもそれもさほど問題にしないでおきましょう。もっと違うところがあります。タラントンの方では、主人が三人の僕に別々の額を預けます。恰も、ひとは一人ひとり才能が違うことを象徴するかのようです。しかしムナの方では、十人にそれぞれ等しく一ムナずつ渡します。タラントンの時には、商売をしろとは言われていないのに、しなかった者が罰されました。ムナでは、はっきりと商売をしろと命じられています。ルカの僕のほうは、なかなかのやり手のようで、商売で財をたいそう増やした者が二人、主人の期待に応えます。が、三人目が、タラントンと同じように、預かった一ムナをこっそり隠しておいたことから、咎められています。他の七人については、ルカは言及を忘れているかのようです。
タラントンのたとえは、最後にイエスがその教訓をまとめています。「だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる」(マタイ25:29)ということです。ルカにも、これはあります。しかし、このように詳細においては違いはあるものの、それは些細なことに過ぎない、と言わざるをえないような、恐ろしい背景が、ムナの話のほうにだけありました。
27:ところで、私が王になるのを望まなかったあの敵どもを、ここに引き出して、私の目の前で打ち殺せ。
いったいこれは何でしょう。ここで、私たちがともすれば通り過ぎがちな、この物語のさりげない前提を、ここで大きく取り上げなければなりません。主人が旅に出て留守にするというのはタラントンも同じですが、ムナの方には、この旅には明確な目的があったのです。「王の位を受けて帰るために」(12)と書かれています。そして、このことについて、こんな伏線がありました。
14:しかし、その国の市民は彼を憎んでいたので、後から使者を送り、『我々はこの人を王に戴きたくない』と言わせた。
これが先程の「敵ども」なのであり、打ち殺せという結末につながります。そのために、一ムナの僕の不始末が吹っ飛ぶようなものになりました。一ムナの僕は、預けられた一ムナを取り上げられただけの処分なのです。何の損もしていません。しかし、この王になる主人を憎んでいた者らは、打ち殺される羽目になりました。
当時の「王」というのは、それほど絶大な権力をもつ神のごとき存在とは見られていなかったように記憶しています。ヘロデ大王ですら、ローマ帝国の傀儡のようなものだったのです。皇帝は神の子のように扱われるべきものとされていましたが、王は地方の長に過ぎず、喩えて言うなら江戸時代の大名のようなものだったと言えば、近いかもしれません。
しかし、王位を受けたこの立派な家柄の人は、最後には強い権力をもって、裁きをなす者となりました。このとき、イエスは、神の国を期待する人々の中にこれを語ったのであり、エルサレムに向かう使命の中で、わざわざ告げたのでした。果たして人々は、イエスが王となることを望むのかどうか、問うていた、とここでは捉えてみたいのです。
この僕たちは、当然イエスが王となることを望む側です。一ムナを増やせなかった僕ですら、外へ出されたとまでは咎められていません。さて、聞く者たちは、さらに言えばいま私たちは、自分をこのどの立場に置いて聞いていたでしょうか。王位に就く人ではないとは考えますが、この僕たちに自然に焦点を合わせていたのではないかと思うのです。
本当にそうでしょうか。「わたしが王になるのを望まなかったあの敵ども」(27)は、私が見ているあの人、またはこの人のことなのでしょうか。あるいは、教会の外にいる、この世の権力者たちなのでしょうか。当然のことのように、そうしたバイアスがかかったままに、私たちはこの「ムナのたとえ」を眺めていなかったでしょうか。
◆王となることを望む
そこで、問います。いえ、私が問われています。この方が王位に就くことを望まないどころか、自分自身が王となることを望んでいなかったかどうか、問われているのです。
この方というのを、私たちはいまイエスとして考え始めています。私たちはよく「主イエス」と呼びます。「主」はまさに「主人」ということです。そうであれば、私たちは「僕」です。「僕」というとまだどこかメルヘンチックに聞こえるかもしれませんが、要するにこれは「奴隷」です。奴隷は主人に対しては絶対服従ですし、主人の所有物であるはずです。
「王」という漢字に「丶」を付けると「主」になります。だから「丶(天)」の「王さま」が「主」なのです、といったあまり面白くもない冗談が可能になりますが、イエスを王だとすることと、イエスを主と呼ぶこととは、基本的に違いがありません。イエスは王座に就くべきお方ですが、果たして私たちは、イエスが私の心の王座に就き、私の王となってくださることを、本当に望んでいるのかどうか、これをいま私たちは振り返ってみようとしています。
言えるのです。建前としては、イエスは私の主です、と。そう告白することがヨハネの手紙などで主を信じることだとされているので、私たちは言うのです。教会の仲間の前で、堂々と、イエスは主です、と言うのです。
私たちは家に帰り、家族に対して、子どもに対して、時に横暴な主人となります。いえ、誰かの主人となることが悪いわけではないのです。ただ、いつの間にか、世間に対しても、不特定多数の誰に対してでも、自分こそが主であるという態度をとるのです。自分が偉い。自分の判断が正しい。世間が間違っている。あの人が間違っている。私たちは、いえ、私は、街を歩けば出会う人を非難し、ワイドショーを見ればこいつは悪い奴だと決めつけます。私が主人となり、神となっているのです。
それでも、まだそれだけならましかもしれません。聖書を読み、これは聖書が間違っている、聖書の意味は私が思うこの意味である、そう言って、自分がまるで神よりも偉いようになることがあります。
祈るとき、神は私の言うとおりにしなければならない、というような前提を置いてすらいるようなことが、実はありませんか。私の思うことが正しい、というところから、スタートしていませんか。私が決めたことなのだから、どうしてもこれをするのだ、ねえ神さま、などと、神の名を利用するだけ利用して、自分の考えや行動を正当化するような真似を、まさかやってはいないでしょうか。
私もそうです。世に文句を言い、出会う人にこいつめと思い、血迷うことばかり言う人に、どうにもならないと呆れ返り、時にそんな自分の姿に気づいて我ながら呆れることもあります。でも、気づかない愚かな自分というものも、きっと多々あるはずです。でも、ほかの人にも、そういうところがないわけではないだろう、とも思います。世間を見るに、特にネット空間においては、そうした人が、けっこうたくさん見受けられるような気がします。
「平和」と名の付く団体が、平和を実現しているでしょうか。「合格します」と宣伝する塾には、不合格になる子はひとりもいないのでしょうか。「幸せの◯◯」というタイトルの番組に出ている人は、皆本当に幸せなのでしょうか。
「教会」と名の付くところもまた、決してパラダイスなどではありません。いくらか、信用してもよい人に出会うのは、一般社会よりは確率が高いかもしれませんが、理想像を期待すると、必ずや失望します。ある種の理想を、教会に当てはめるのはやむを得ませんが、自分がこしらえたイメージとしての「教会」を、現実のそれに押しつけることは、お勧めしません。「まさか」と思われるようなことが、そこでも起こりますし、またそもそも「教会」という名前の付いた組織が、聖書に書かれている「教会」と同じだとは限りません。ただその名前にあやかって、付けているだけの組織かもしれないからです。
◆教会とは
教会にずっと来ている人は十分承知していることなのですが、「教会」というのは、建物のことではありません。大雑把な言い方をしますが、それは「人々」を指します。もう少し説明を加えるならば、「人々の集まり」のことです。それは「呼ばれた」というような意味合いをもつ言葉に関係しており、「神に呼び集められた人々」というあたりが、一番無難な意味の紹介になろうかと思います。
日本の聖書へは、中国語訳の聖書の影響が大きく、それを引き継いで「教会」という表現で受け容れることとなったようです。「無教会」というグループがありますが、「無教会」では、「教会」と呼ばずに「集会」と言っているといいます。それは、元の意味をよく伝えているように見えます。
その上で、いきなり核心に迫りますが、今日の「王」というテーマに、この「教会」を結びつけて説明するとなれば、次のように考えられないかと私は見ています。
マルコによる福音書には「いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい」(10:44)と書かれています。もし、あなたが僕となって、イエスこそ主であると、頭も心もひれ伏すならば、そして、イエスこそ王であると称え、迷いなく唇から献げものをするならば、そのような人たちの集う共同体、愛という原理が共通理解となっている人々の集まりを、「教会」と呼びたいと思うのです。
そのような教会は、羊を大切に飼うでしょう。危険な時にも、なかなか先のことを見通せないような、近視眼の羊たちを守るために、主が戦ってくださることでしょう。羊飼いに従う羊たちは、王としてのイエス・キリストについて行くはずです。羊どうしで牽制し合ったり、不信感を懐き合ったりすることなく、イエスが教えたままの愛と信頼の原理によって、その人々はつながることでしょう。しかも、そのつながりは、世の中のつながり方とは異なります。互いの顔色を窺うような結びつき方ではないからです。教会という人々の集まりは、共に同じ主を見上げることにより、結びついているのです。
私の罪を厳しく指摘し、私の魂を死なねばならぬと告げ、なおかつ、おまえはもうこれで死んだのだ、と言って、あの、世にも残酷な死刑台に散った、あのイエス・キリストを見上げるのです。主は木に釘付けにされましたが、私たちはそこに目を釘付けにするのです。心を釘付けにするのです。そうだ、私は死んだのだ。主と共に死んだのだ……。
但し、主は死んだままではありませんでした。死ぬことで生きる、と言わんばかりに、生きている姿を現しました。この共通の体験をもつ者たちが集う、それが教会です。それだけが、教会です。これなしでは、もはや教会と呼ぶ意味がないのです。慈善団体ならほかにいくらでもあります。敬虔な人々のサロンもあちこちにあるでしょう。腕前を披露して互いに褒め合うカルチャーセンターもそこかしこにあります。けれども、あのイエス・キリストという惨めな姿を呈した王を共に見上げる、そこにのみつながる理由がある、ある意味で奇妙な人たちの集まり、それは教会のほかにはありません。それが教会のアイデンティティでなくて、何が教会なのでしょうか。それがしっかり確認される、神の言葉の出来事こそが、神を礼拝することだとして、主の日に共に聞き、共に主を称えることで初めて、愛も交わりも生まれる、そういう集まりこそが、教会ではないのでしょうか。
◆王について
振り返ります。
1 ひとは安易に王を立てたがる
グループにはリーダーがいてほしいと考えます。自分が率いる勇気がないため、誰かが責任者となって、上に立ってほしいと考えます。しかし、安易に王を立てることには、気をつけなければなりません。私は、慌てて新しい牧師を立てなければ、と焦ったために、散々な姿に陥っていった教会を、いくつも見てきました。残念ですが、目を覚ましていないと、見るべきものが見えなくなることがあるのです。そうなると、その無能な王ではなく、それを認める民の責任となってしまうでしょう。
2 ひとは自分を王に立てたがる
一番問題なのは、これです。自分が王になりたがっているのです。その怖さは、自分では気づかないうちに、そうしたがっていることです。ひとを見下し、誠実なひとを傷つけることを自分の正義だと勘違いし、自分だけは間違っていないと自信をもちます。神をも自分の下に置いてしまいますが、自分ではそれと気づきません。人間の中には、この根本的な罪への傾向性が根づいています。これを踏みつけにするのは、主イエスの十字架の力だけです。
3 王は主である
王はイエス・キリストでよいではありませんか。父なる神でよいではありませんか。その前に、ひれ伏す私がいる。私たちがいる。共にこの神に呼び集められた一人ひとりとして、共に主を称えようではありませんか。