私のOA機器
2022年5月30日
例によって、長い文章である。大部分は、OA機器の変遷について懐かしめる方だけのための、マニアックな文章であることを、お断りしておく。
中学校で生徒会に入っていた。何か勧められてやり始めた流れだった。報告書だったか、印刷原稿をつくることになり、使っていたのは、ボールペン原紙だった。ブルーの薬品のついた原紙に、ボールペンで書いたものが印刷の原版となる。間違えたら修正液もあった。
年代が分かるだろうが、懐かしいと思える人もいらっしゃるだろう。もう少し先輩クラスだと、ガリ版を活用していたはずだ。私も歳の離れた姉がいたので、ガリ版を知っている。謄写版というのが本当の名前だろうか。調べると、1894年に日本人が発明したのだそうだ。パラフィン紙のようなもの(ロウ原紙)を「ヤスリ(紙ではないぞ)」の上に載せ、鉄筆で書くと、傷が付き、そこをインクが通るようになるという理屈である。ヤスリの目に沿って思ったとおりに書くためには、少しばかり練習とコツが必要だった。ロウ原紙には方眼目盛りが入っていて、そこに書き入れていけば、文字は揃うが、読みやすい字体というものがあった。
ボールペン原紙だと、ヤスリが要らないので、技術は必要でなく、どんな字体でも書けた。学級の文集などは、それぞれが自分の頁を自由に書けたし、イラストを見せることもできた。
活版印刷は、活字(というものが何であるのかすら、もはや若い方には分からないだろう)をプロが拾って、初めて使えるものだと見られていた。和文タイプライターというものがあった(朝ドラの「とと姉ちゃん」で登場した)が、実物は殆ど見たことがなかった。確か梅棹忠夫の『知的生産の技術』でこれが紹介されていたと記憶する。
大学に入り、タイプライターを購入した。ドイツ哲学をすることは決めていたので、ドイツ語(つまりウムラウトやエスツェットが入った)タイプライターに飛びついた。しかも、調べてみると、スピードが段違いだというので、迷わず電動タイプライターを購入した。私は、こうした文明の利器的なツールには、金を惜しまない。そのためにアルバイトをしていたようなものだった。だから後に、コピー機も自分で購入したほどだ。
技術はすぐに身につくので、あまりに速く打てるようになったが、タイプアームが追いつけず、絡まることがよくあった。インクリボンはカートリッジ式で、カーボンだときれいな文字が打てた。が、一方向で使えば使用終了となるのでハイコストとなる。どうせ使用目的は自分が、ドイツ語原書をルーズリーフに打ち、広い行間に文法的メモや訳などを書き入れるためである。布製のインクリボンを往復で使い、薄くて読めなくなるまで使い切った。
ここまで、経験のない方にはついて来られなかったかもしれない。この辺りから、少しずつ現代につながるものに変わっていく。というのは、これで私は「qwert」のキー配置を完全に身につけたのである。これは今もなお役立っていることになる。尤も、その後ウムラウトなどのキーのない、標準的なキーボードになっていくのだが。
ワープロが登場した。が、手塚治虫がCMしていたものは小さくなったものの、当初のフロア単位で拡がるコンピュータのように、デスクに拡がる大がかりなものであったように記憶する。最初のものは数百万円したはずだ。
これが、ポータブルになった。価格も20万円くらいで手に入ることになった。これは今でも高くて手が出にくい価格だが、当時はなおさらだった。だが、奨学金とアルバイトがあった私は、すぐに購入した。富士通の、親指シフトが目に付いたOASYSである。速く入力できる、という評判は、私にとり恰好のターゲットとなった。事実、実に速く打てた。ただ、液晶ディスプレイが、一行のみで、8文字しか見えないものだった。打ち間違いは修正できたが、それを見つけるのは至難業だった。記憶装置が、カセットテープだったなど、想像できるだろうか。そのまた昔の、コンピュータの磁気テープ、さらに紙テープなどの時代よりはずいぶんましになってはいたのだが。
しばらく親指シフトでいたが、大きな画面のワープロが登場して、それは文句なしに魅力的だった。ところが入手しやすかったのは、シャープの書院シリーズだった。こちらは、今のキーボード配列と同じ、JIS配列である。かなり迷った。が、機能性を考えると、こちらに軍配が上がった。キーボードがまるで違う。最初は戸惑ったが、そこは若さか、次第に順応した。そして親指シフトほどのスピードにはやはりならないが、実用上問題ないほどに、速く打てるようになるのに、さほど時間はかからなかった。
ところで、私の日本語入力は、ずっとかな入力である。ところがいまは、ローマ字入力が主流なのだという。どうしてだか、私はさっぱり理解できない。聞くところによると、アルファベットだけ覚えておけば、英字も日本字も打てるから、楽なのだという。そんな馬鹿な。私は英字も日本字もどちらも自由に使える。いったい、日本語で考えを打っていくのに、ローマ字で置き換えるなどということを、どうやってやるのか、分からない。私の頭の中には、かな文字が次々と浮かんでくる。そのまま打つのであって、子音と母音というような分離した文字を、一瞬でも介在させると、頭の中に浮かんだ考えが、そのまま流れ出ていかなくなる。たぶん、ローマ字打ちで慣れていくというのは、その辺りも無意識にできていくのだろうが、私の頭はただかなが流れていくばかりである。また、濁点などを除いて1文字に基本的にキー一つであるから、恐らくかな入力のほうが、少ないキー操作で打ち込めていると、個人的には思っている。
パーソナルコンピュータが登場した。新しもの好きの私は、富士通のFM7を手に入れた。FM8から安くなり、性能も上がったのである。これは家庭のテレビにつないでそれをディスプレイとするものだった。NECとどちらにしようかと悩んだが、ワープロでの信頼もあり、ビジネスライクなNECでなく、遊びの要素のある富士通にした。当時の記憶装置は、カセットテープであった。ふつうのカセットテープにデータを保存すると、ピーピーガーガーうるさかった。また、カウンターによく記録しておかないと、保存したデータがどこにあるか、巻き戻しで調べなければならなかった。
これで、BASICはだいたいマスターした。これは、いまウェブページでHTMLを使うのに役立っている。だいたい理解的には匹敵するのではないかと思う。それで、いままで二度、教会のウェブサイトを構築した。そのどちらも、教会がいろいろまずいことになってしまったため、ウェブ上に存在はしていないが、ひとつの教会は、そこに挙げた写真をいまなお再利用している。
さすがに、マシン語はできなかった。ただ、BASICをマシン語に変換する手段があって、本当のマシン語よりは効率が悪いのであるが、ちょっとした満足感はあった。
順番としては、この辺りでコピー機が入ってくる。トナーがけっこう高価なため、格安感はなかったが、資料が自分の部屋で複写できるということには、満足していた。当時は今のようなコンピュータ環境にはなく、新聞記事のスクラップというものが活躍していた時代である。これを、A4規格でコピーしていくと、整理がつきやすい。これは、野口悠紀雄氏の案を参考にした。
ワープロは、数年後に新機種の良さを見定めて、大枚はたいて購入した。これも、奨学金とアルバイトの賜物であった。その他に、月に一万円以上本の購入に充てていたから、えらく贅沢のようだが、自炊の故の食費がその書籍代くらいで収まるのが通例であったから、生活は質素なものだったと思う。フロッピーディスクが使えるようになって、記憶装置は格段に便利になった。一枚に1MBくらいの容量だったはずなので、よくぞ当時その中に文書を入れることができたものだと、むしろ感心する。しかし仕事の能率はとにかくよくなった。文書を自由に作成できるようになったのは、このときからだと言ってよいだろう。私にとっては、画像云々はほんの付録だったので、文書については、このとき一定の型ができたはずだ。写真やイラストは、実に限られたソースしかなかった時代だ。
やがて、聖書に出会い、教会に行くようになる。ここの牧師が、はがきを決まって、プリントゴッコでつくっていた。手伝ったことがあるが、原始的でもあり、手加減が利く世界であったので、楽しかった。教会では、リソグラフが週報印刷に使われていた。
教会のイベントのポスターをつくっていた。姉がもっていたレタリングセットを、小さい頃から触らせてもらったことがあり、レタリングは我流だか学んでいた。それがふんだんに活かせた。デザインの腕前は大したことはなかったが、福音の理解は外れていなかったと思われ、内容に含蓄をこめて作成していた。それがそのうちワープロで「拡大文字」を利用することもできると分かり、やってみたが、当時の拡大文字は、小さな文字のドットをそのまま大きくするので、「ビットマップフォント」のままにギザギザだとあまりに変なので、ドットの■を斜めで塗りつぶす処理を施した、不思議な味わいのある拡大文字になっていた。いま、
わざとそうなるように作った「ワープロ明朝」というフォントもあるので、懐かしい方は試してみるとよいだろう。
看板を書いたことがある。大きな鉄板を用意してもらい、それにアクリル絵の具で、毛筆により書いていった。教会の行事予定が、見やすくできた。ともかく今にして思えば、当時はこうした手作業ばかりだったわけで、よくぞあんなことをやっていたものだと、半ば呆れ、半ば感心する。ツールの発展というものは、日進月歩であり、それを取り入れていくと、いろいろなことができるものだと、よく分かる。かといって、いま私はYouTubeを作成しているわけではないし、その時間も情熱もない。DVDに、様々なワイプをかけてオリジナルの映像を巧みにつくる年配の方がいたが、趣味でやる楽しさがあれば、なんでも挑戦できるというものだろう。ただ、えてして素人は、テクニックをてんこ盛りにして、落ち着きのない作品にしてしまうものだから、気をつけるべきであろう。
時代は流れ、故郷の福岡に住むようになって、知り合いから、マックを譲り受けた。さすがに型番は覚えていないが、「漢字Talk」と聞いて、懐かしく思う方はいらっしゃるだろう。通信はしなかったから、塾の仕事の上でのプリント作成にはけっこう役立った。そして、新たな時代のパソコンの仕組みを理解することが少しずつできた。
ついに、通信の世界が開拓されたのは、21世紀になった頃だった。当時はダイヤルアップである。富士通につないでいたが、妻の実家に行っても通信ができるように、日本全国でつなげるサービスも使った。時間により料金がかかるので、ニュース集めは、自動的に集めるアプリケーションソフトを得て、短時間で新聞記事を集められるように工夫した。つないだ短時間で情報の出し入れができるように、集中作業が必要だった。
だから画像や写真なども、別売りのCDから取り入れるのが普通だった。かつてのワープロでは、JIS第二水準の文字は、別のフロッピーディスクを差し込んで読み取らないと使えなかったほどだ。但し、「外字作成」という機能があり、私はそれでヘブライ文字をつくって印刷していたことがある。
通信が、定額制になってから、一日中使えるようになったために、ダウンロード方式が常識となっていった。ブロードバンド回線は、夢のようだった。私は、光回線は利用せず、その後有線LANから無線LANへと進展した。いわゆるWi-Fiルーターとなったのは、もちろんパソコンなどが無線LAN方式に変わった後である。買い換えるパソコンも、一時期までは、無線が使えず、LANケーブルを部屋からぞろぞろと引いて使っていたのであり、ドアを閉めることができなかったのを思い出す。長男が大学生のときに、つなぐ時だけ廊下に蛇のようにコードが横たわっていたのを思い出す。
何度もお話ししているが、パウロがもしも、こうした機器を使える環境にあったら、どんなに喜んで利用しただろう、と想像する。イエスの救いを伝えるためには何でもする、と考えていたパウロにとっては、夢のような通信機器だと言えるだろう。
もちろん、直に触れなければ伝わらないこともある、などと言って、パウロは決して部屋の中でキーボードを叩いてばかりいるようなことは、なかったとは思う。聖霊の力は、デジタル化された文字を通しても、働くと私は考えるが、人と人とのふれあいやぬくもりというものは、直接会って、顔や声などのトータルな印象と共に伝わるものであろう。
コロナ禍はまだ続いている。最初の「沈黙の春」をつくった非常事態宣言のときの新規感染者とは比較にならないほど多い現在の情況でも、人間は、必要以上の警戒はしなくてよいと定め、実際に会える場をつくりだしている。ワクチンの効果はやはり大きい。だが、ワクチン接種を済ませた者が、実は感染していながらも、発症しないために、新規感染者にはカウントされないままに、キャリアとなっている可能性は、否定できない。私もまた、どこかにウイルスを運んでいるかもしれないと考えざるをえない。
教会の集会は、一時停止された。そこから、リモート礼拝というものが始まった。デジタル環境にない人を弾き出してしまうシステムだったが、使える人にとってはありがたかった。かつてリモートの法事を発案し仏寺が、世間から批判を浴びていたが、いまやそういうことが当たり前になってしまった。厳しい地域では、なんとか集まることをよしとしても、メンバーを二分して、半数の人だけ交互に呼ぶなどの工夫をしている。聖餐式も、従来のようには行えない。愛餐会などと呼ばれる食事会も無理だ。強引にやっているところもあるようだが、リスクは高いため、判断力のある教会では、まずやっていない。
リモートであれ、通信をサービスしてやるだけありがたく思え、送られてくるだけ、感謝しなさい、そんなことを言う教会は、まさかないだろうとは思うが、送る映像が劣悪な教会は、あるかもしれない。スマホ画面ではきれいに見えるが、拡大した画面では文字が読めないことがないだろうか。見ていて気持ちが悪くなることすらあるような、斜めに歪んだ画面のままになっていないだろうか。説教のときにも説教者が小さくしか映っていないのではないか。音声レベルが低すぎて、いくらボリュームを上げても聞き取れないようになっていないか。スマホで音を拾うだけだと、会場の音が反響して、肝腎の声がまともに聞き取れなていないのではないか。会場で子どもが騒いでいる声が入ったり、椅子などの物音がそのまま響いて入ってくるようなことはないか。こうした苦言を呈している人がいるのに、2年以上も改善する気配がないとくれば、これは、伝える気持ちがない、としか受け取れなくなるでしょう。多分に、そういう教会があったら、説教を大切には考えておらず、説教が全く説教になっていない、ということを省みるべきであろうと思われる。
或る教会は、もう臨場感溢れる、申し分のない映像と音声を伝えてくれる。いや、大部分の教会が、そうである。リモートという感覚を忘れるほどに、引き寄せる説教がそこにあるからこそ、画面構成も、音声への配慮も、立派なものとなっているのだろう、と納得する。福音を伝えるという心と、信仰とが、通信技術にも、はっきりと出ている。ほんとうに、感謝一杯の思いで、まさにその礼拝に、参加させて戴いたという感想がもてるのである。恵みなのである。