【メッセージ・受難節】くじ引きの衣
2022年4月10日
(詩編22:16-22.ヨハネ19:23-24)
主よ、あなただけは
わたしを遠く離れないでください。
わたしの力の神よ
今すぐにわたしを助けてください。(詩編22:20)
◆平家物語
中学高校の古文で「平家物語」の一部を読みました。しかし敦盛の最期はけっこうショックでした。まだうら若い少年を掻き斬らねばならなくなった熊谷次郎直実の心理もさることながら、平敦盛の潔さ。そしてどうしてこんな酷いことになるのかという不条理感が、まさに無常観というものなのかという、そんな情緒も植え付けられたような気がします。
その場面が頭にあるものですから、2022年初めから放映されたアニメーション「平家物語」は、敦盛が登場した時から、もう涙なしでは見られませんでした。アニメ「平家物語」、ご覧になりましたか。とは言っても、夜中の放送ですから、録画でもしないとやっていられません。もちろん私も殆ど録画で見ることになりました。
京都アニメーションで「けいおん!」や「聲の形」を生んだ山田尚子監督による作品は、和の色に囲まれて言葉をしっかり伝え、そして何よりもその「心」を描く見事な腕で、視聴者の心を掴んで離さない名作だったと思います。
そこには、「ゆるし」と「祈り」が流れていました。特にその「祈り」のほうは、最初から最後まで物語を貫き、祈りの中で物語が終わります。原作でもそうですが、当時は神仏に祈るというのが、何よりも優先されるべきことでした。医療の現場でもそうですし、戦いにおいてもまず祈る。死というものを受け容れる度合いも、現代人とはかなり違い、神仏に委ねるために祈る姿は、アニメであっても胸を打たれます。
壇ノ浦の戦いでは、追い詰められた平家の者たちが、西を向き念仏を唱え、次々と海に飛び込んでいく。まだ十にもならぬ安徳天皇が、清盛の北の方に、「共に極楽に参りましょう」と懐かれて、神器と共に飛び込む場面の哀しさ。そして、その母たる平徳子、建礼門院も後を追うものの、引き上げられて泣き叫ぶ様は、もう号泣を呼ぶしかありませんでした。この建礼門院が、京都の大原に籠もり、寂光院にて余生を祈りの中で過ごすというのが、平家物語の幕引きとなるわけです。
◆首
ここから少しばかり残酷な表現が続くことになります。聞くのが嫌な方は耳を塞ぎ、あるいは次の節まで飛ばしてください。
それにしても、平家物語では、戦とはいえ、やたらと首を斬るものです。もちろんアニメではそんなシーンはひとつもありません。しかしその後原典を、ダイジェスト版にて読みましたが、とにかく凡ゆる場面で、事ある毎に首を斬りまくるので、想像力をシャットアウトしない限り、胸苦しい気分に包まれ続けるのを覚えました。
もしかするとこれは喩えなのではないか、とも思いましたが、その首を懐に入れて抱き運ぶ場面もありますし、当然晒し首という仕打ちがたくさん描かれます。文字通り、首を掻き斬って殺すのが当然だったものと思われます。当初は荘園のガードマンとして雇われたに過ぎなかった武士たちが、社会的にも権力をもつようになったところで、武士は武士、常に正に首を懸けての人生だったということが窺えます。
聖書で、そんなふうに首を斬り落とすような場面が、あったでしょうか。
動物の首を捻り殺すというような、生け贄の表記はたくさんありました。もちろん旧約聖書の、律法を中心とした辺りです。大きな動物は絶命させるために大動脈を切りますが、鳥は首をもぎ取るというような方法も採っています。
しかし聖書をご存じの方がきっとすぐに思い起こされるのは、洗礼者ヨハネの死の場面ではないでしょうか。ヘロデ王を批判したことで捕らえられたヨハネでしたが、ヘロデ王自身は殺すつもりはなかったようでした。しかし再婚した妻の娘が見事な踊りを披露したことで、うっかりほうびを出すと約束した時、妻の指金で、ヨハネの首が欲しいと娘が求めることになります。マルコによる福音書から引用します。
6:24 少女が座を外して、母親に、「何を願いましょうか」と言うと、母親は、「洗礼者ヨハネの首を」と言った。
6:25 早速、少女は大急ぎで王のところに行き、「今すぐに洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、いただきとうございます」と願った。
6:26 王は非常に心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、少女の願いを退けたくなかった。
6:27 そこで、王は衛兵を遣わし、ヨハネの首を持って来るようにと命じた。衛兵は出て行き、牢の中でヨハネの首をはね、
6:28 盆に載せて持って来て少女に渡し、少女はそれを母親に渡した。
しかし、実はまだたくさんあります。背景を説明せずに幾つか引用します。
17:50 ダビデは石投げ紐と石一つでこのペリシテ人に勝ち、彼を撃ち殺した。ダビデの手には剣もなかった。
17:51 ダビデは走り寄って、そのペリシテ人の上にまたがると、ペリシテ人の剣を取り、さやから引き抜いてとどめを刺し、首を切り落とした。ペリシテ軍は、自分たちの勇士が殺されたのを見て、逃げ出した。
……
17:54 ダビデはあのペリシテ人の首を取ってエルサレムに持ち帰り、その武具は自分の天幕に置いた。(サムエル上17:50,51,54)
31:8 翌日、戦死者からはぎ取ろうとやって来たペリシテ軍は、サウルとその三人の息子がギルボア山上に倒れているのを見つけた。
31:9 彼らはサウルの首を切り落とし、武具を奪った。ペリシテ全土に使者が送られ、彼らの偶像の神殿と民に戦勝が伝えられた。
31:10 彼らはサウルの武具をアシュトレト神殿に納め、その遺体をベト・シャンの城壁にさらした。(サムエル上31:8-10)
このほか、サムエル記下には4:7と20:22にもあり、他に士師記7:25にも見られます。こうして見ると、サムエル記の頃にはそういう殺し方が常識的であったようにも見えます。イスラエルが王国を築く以前に、最も戦闘が激しかった時期なのかもしれません。
◆十字架刑
さあ、耳を塞いでいた方々、怖い話は終わりました。いえ、ここからも残酷なことは告げなければなりません。でも、今度は耳を開いてください。ここからの酷い話は、誰もが聞かなければならないことなのです。誰もが、自分の問題として受け止める必要のある出来事なのです。
22:16 口は渇いて素焼きのかけらとなり/舌は上顎にはり付く。あなたはわたしを塵と死の中に打ち捨てられる。
今日詩編から選び出した箇所は、ここから始まります。これだけ聞くと喉が渇いたのかということにもなりかねませんが、この後「わたし」はリンチを受けているということが明らかになります。その時、激しい口渇を覚えるのです。
この詩編22編は、イエスが十字架の上で漏らしたと言われています。マルコによる福音書がこのように伝えています(マタイによる福音書も同様)。
15:34 三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
これは、詩編22編の冒頭にある言葉です。
22:2 わたしの神よ、わたしの神よ/なぜわたしをお見捨てになるのか。なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず/呻きも言葉も聞いてくださらないのか。
十字架刑は、斬首刑と比べると、残酷ではないような気がします。私も以前はそのように捉えていました。でも、それは単なる無知からでした。十字架刑は、当時最も残酷な刑だと見なされていたのです。ですからローマ側も、ローマ市民に対してはこれを課すことはありませんでした。いえ、国家反逆の罪に対しては用いられていたでしょうが、国家にとり最悪の大罪のみが、十字架刑に相当したはずです。
まず、死に至らない程度の鞭打ちが与えられます。それでも骨や金属が先に付いたようなものですから、肉をえぐるほどの威力がありました。そのためイエスは、自分が架けられることになる柱を抱えてまともに歩けなかったのだろうと考えられます。また、茨の冠をイエスに被せたのは、メンタルを破壊するものだったと思われます。服を剥ぎ取られているのも、それをもたらすかもしれません。
釘打たれたのは、掌ではなく手首に近い箇所だったのでしょうか。掌だとそこが裂けて落ちてしまいましょうから。足も釘打ちされた骨が発掘されるなどしており、事実だったことが確認されています。よく絵に描かれているような、釘止めされてぶら下がるというのは事実上不可能ですから、足台があっただろうと考えられています。
どうしてか。それは、この刑が、苦痛を長引かせる目的があったためです。医学的にどこまで正しいかどうか私には判断がつきませんが、聞き知ったことで、素人でもそうだろうと思われることを少し挙げることにします。足台があるとしても、体重が腕にかかるとき、肩が壊れるでしょう。そうなると体重は胸部を圧迫します。呼吸困難になることが予想されます。しかし直ちに絶命ということにはなりにくく、血中の酸素の供給がじわじわと起こり、全身の臓器の機能が不全に向かいます。こうなると、窒息と呼ぶ状態に近くなるでしょう。致死までには、体力がある人間には一日も二日もかかった可能性があります。そもそも十字架刑は、見せしめの要素が強かった刑ですから、それが長く続くことで、見せしめの効果は増大したことでしょう。
イエスが息を引き取ったとき、特別な安息日が始まろうとしていました。ユダヤでは日没が一日とカウントする日の始まりです。そのとき遺体を十字架の上に残しておきたくなかったために、ユダヤ人は、早く絶命させろとてピラトに迫ります。兵士たちは、同時に磔にされた二人の足を折ります。これは、体を支える足を折ることで、体重が一気にかかるようにし、窒息死をもたらすためだと思われます。但し、イエスは既に死んでいたので、足を折らなかった、そういうことがヨハネによる福音書(19:33)に記されています。イエスは思いのほか、早く死に至ったのです。
この十字架刑、執行者の立場から見ても、特異なものを感じます。人は、人を殺すということを快く思いはしないものです。日本での死刑執行は、複数で執行ボタンを押して床が開くシステムですが、機能しないボタンと機能するボタンとがあるそうで、誰のボタンが作用したのかは誰にも分からないようにされているそうです。
現代人とはまた感覚が違うかとは思われますが、自らの手で接近した相手を殺すというのは、きっと心理的にしんどいものです。『戦争における「人殺し」の心理学』(デーヴ・グロスマン/ちくま学芸文庫)という本は、そうした問題をレポートした珍しい報告です。関心がおありの方には、一読をお勧めします。
十字架刑は、執行者が直接致死行為をするわけではありません。ただ柱を立てるだけです。そして受刑者は、いわば自ら死んでゆくのです。執行者の心理的な負担は、他の刑よりは軽かったのではないでしょうか。直接首を斬るとなると、自分のその手がその感触を覚えます。そして、他の誰でもない、自分が殺したことは否めません。
◆神への願い
想像を絶する苦痛の中で、イエスがなんと「大声で叫んだ」とまで言われる、「わが神、
わが神……」の言葉。窒息寸前でそんな声が出るのかどうか、私には分かりません。今はその言葉をどう受け止めるか、に心を寄せます。
この「なぜわたしをお見捨てになるのか」については、イエスの絶望を表している、と解釈する人がいます。その人が受け止めた意味での解釈は自由ですが、他の可能性を否定するような解釈の仕方は、聖書に耳を傾け聖書から何かを聴こうとする人のすることではありません。確か遠藤周作氏が広めたように記憶しますが、イエスが叫んだこの詩編22編は、前半こそ絶望的ではありますが、後半に至り神を信じ賛美する様子が強くうたわれているということで、イエスは苦痛を受けながらも、結局この詩の最後を言いたかったのだ、という理解も可能です。尤も、これもまたひとつの信仰的解釈なのであって、そうなのだと決めるわけにはゆかない考え方ではあるでしょう。
今日取り上げましたこの詩の部分は、まず客観的に自分の置かれた状況を説明しています。でも、考えてみましょう。それは本当にいじめられている「わたし」が描写できるものでしょうか。
22:16 口は渇いて素焼きのかけらとなり/舌は上顎にはり付く。あなたはわたしを塵と死の中に打ち捨てられる。
22:17 犬どもがわたしを取り囲み/さいなむ者が群がってわたしを囲み/獅子のようにわたしの手足を砕く。
22:18 骨が数えられる程になったわたしのからだを/彼らはさらしものにして眺め
22:19 わたしの着物を分け/衣を取ろうとしてくじを引く。
「わたし」が手足を砕かれながら言える言葉ではないように思えます。となると、詩人がここに「わたし」の身に自分を置いて、いわば投影しているようなことになるでしょうか。
詩人はダビデだと書かれていますが、本当にダビデ王本人だとしなくてもよいのだと現代のクリスチャンは把握しています。それは不信仰に基づくものではなく、恰もダビデのスピリットを宿した人が書いたとしても、「ダビデの詩」という題を認めるという、寛い考え方を表しているものと捉えたいと思います。
ダビデ本人であれ、ダビデをリスペクトした人であれ、確かにダビデが苦境に陥ったことの数々を思えば、これを、ひとつのシンボルのように受け止めてもよいかもしれません。詩人は、自分がこう喩えられるような情況に追い詰められている、あるいは追い詰められていたのです。まさに命の危機なのかもしれません。貧困や迫害を頭に置いているのかもしれません。今の時代なら、いじめられて鬱的になることもあるでしょうか。
苦しいときには喜びなさい。神が助けてくれるから。信仰する人に対して、このように慰める人がいます。同じ信仰仲間としては信じがたいような言葉ですが、いつでも喜べと聖書にあるでしょう、とさも信仰深いかのような顔で、苦痛に喘ぐ人に聖書の言葉を塩のように塗るような態度には、私は怒りすら覚えます。
この詩人の苦痛にも、一気に最後の賛美に至るのだという理解をするのも、私はそれに近いものがあると思います。ここでも、直ちにそのような段階に昇華しているわけではありません。詩人は、救いを求めています。離れないで、助けて、救い出して、答えてください。こう願っています。
22:20 主よ、あなただけは/わたしを遠く離れないでください。わたしの力の神よ/今すぐにわたしを助けてください。
22:21 わたしの魂を剣から救い出し/わたしの身を犬どもから救い出してください。
22:22 獅子の口、雄牛の角からわたしを救い/わたしに答えてください。
◆ゆるしの懇願
救い出してください。神よ、我を救い給え。必死の願いです。
高校の時、英語ではすっかり落ちこぼれてしまった私でした。英語というものが根本的に分かっていなかったのだと思います。洪水のように襲ってくる単語や熟語が、苦痛でたまりませんでした。ただの記号のように押し寄せてくる単語の数々は恐怖でした。
辞書で引いても引いても、きりがない。特に覚えているのは、違う単語を引いても、日本語訳で同じものばかりが現れてくるので、どう区別できるのか、さっぱり分からなかったという藪の中に放り置かれたような間隔です。引いても引いても、「懇願する」とか「嘆願する」とか訳すように仕向けられる言葉の、多いこと、多いこと。いまちらりと調べてみると、そのように訳せる語がいくつか並んでいます。
implore, intercede, suppliant, upplicate (嘆願する)
appeal, crave, petition, plead, pray, olicit (懇願する)
そもそも日本語でも、これらの違いがよく分からない身です。嘆願のほうは、いろいろ説明をして願う感覚があるでしょうか。懇願は説明とは関係なしにひたすらお願いするような感じでしょうか。それにしても、日本語ではこれらの言葉は殆ど日常使われないのに、英語だとそれを表す言葉がたくさんあるという事実には驚かされます。後になってこれは、英語の文化には神があるからではないか、と思うようになりました。学問的にどうであるかは知りません。私の印象です。人は常に神の眼差しの中で生きており、神の下にあることを意識しています。神よどうか赦してください、と願うときは、欲望に基づく呑気なお願いではありません。生きるか死ぬかの必死の願いです。それが日常的な感情基盤にあるとなると、様々な情況で願う場合の違いや程度の違いがあることでしょう。
ダビデまたはダビデの心を受けた詩人は、助け出してください、と懇願します。それは、端的に言って「救い」求めていると言ってよいのだろうと思います。
しかし日本語では、武士道や潔さに価値をおく文化があるとするならば、助けを求めるというのは弱々しい精神と見られるかもしれません。助けを願うなど「見苦しい」のです。神の前に審きを受けるという人生観がなく、自然に還るとか、極楽往生をするとかいうだけの終末意識だと、赦してもらわなければならないという切実さがないということになるのでしょうか。
◆兵士とくじ
もうひとつ、この詩編の箇所を受けている場面を、お開きします。描いているのはヨハネだけではありませんが、ヨハネによる福音書が非常に具体的に描いているので、それを引用致します。ヨハネによる福音書は、福音書の中でもずいぶん後のほうで書かれたという研究があり、また思想的で特殊な雰囲気を醸し出すものとなっていますが、一部の記事にはたいそう調査して正確さを認められると、信頼性が寄せられてもいます。この兵士たちの記事も、極めて臨場感があり、しかもそれを旧約聖書との関係で捉えているところが、見逃せないように思えます。
19:23 兵士たちは、イエスを十字架につけてから、その服を取り、四つに分け、各自に一つずつ渡るようにした。下着も取ってみたが、それには縫い目がなく、上から下まで一枚織りであった。
19:24 そこで、「これは裂かないで、だれのものになるか、くじ引きで決めよう」と話し合った。それは、/「彼らはわたしの服を分け合い、/わたしの衣服のことでくじを引いた」という聖書の言葉が実現するためであった。兵士たちはこのとおりにしたのである。
先ほどの詩編の「わたしの着物を分け/衣を取ろうとしてくじを引く」(詩編22:19)をぴったりと合った内容であり、思い出させるものとなっています。
どうして兵士たちは、着物、とくにここでは「下着」と称されているものを分け合うのでしょうか。決まった説はないかもしれませんし、私の想像を交えて言いますので、話半分にお聞きください。執行者として決して快くない仕事に携わる下僕には、役得としてこうしたものが与えられていたのかもしれません。
服のほうは四人に分けられたのでしょう。しかし下着は、立派なものだったのでしょう。ヨハネは、縫い目のない一枚織りのものであったと説明を加えています。普通はそうではなかったとすれば、イエスの着ていたものは貴重品に属する可能性があります。ならば、四人で切り分けてその価値を落とすよりは、貴重なままに誰かが得たほうがよいと思ったと解釈することもできましょう。
ただしそれは、ヨハネが詩編22編と結びつけるために描いたというあたりも、少し踏まえておくべきなのかもしれません。「くじを引く」(22:19)ところに結びつけるための記述である、と捉えることも許されるのではないでしょうか。
その「くじ」ですが、古来イスラエルでは特に、「くじ」には神意が顕れると理解されていましたので、神の思し召しを知る方法だとされていたはずです。今の私たちが真似をするのはよろしくありませんが、かつてイスラエルではそうでした。聖書には百節以上にわたり「くじ」が登場し、それも殆どが旧約聖書です。プリムの祭りにまつわるエステル記はくじがテーマでしたが、イスラエルの初代の王サウルは、くじで神意が証明されました。その子ヨナタンが、サウルの命に背いていたことがくじで明らかになって危うく命を失う羽目になる場面も有名です。ヨシュア記などには、くじにより部族氏族が土地を与えられる様子が描かれています。そしてイスカリオテのユダの穴を埋める使徒を選ぶためにも、くじが引かれ、マティアに当たったことが使徒言行録に記されています。
◆救いへの道
たとえくじが神意であると信じられていたにせよ、それは神の意志を受けることについて、ただ受け身で待つだけのように思われます。自分が何かをするのだという人間くさいものではないから、それは信仰深いのでしょうか。あの詩人は、「わたし」と称して、どうか救い出してください、と懇願していました。救いがくじで当たって与えられるように、というような考え方ではありません。誰かひとりが当たって救われるというような呑気なことは言っていません。この「わたし」を救い出してください、と繰り返しました。
イエスに私たちは、本当に救いを求めているでしょうか。それが真摯ならば、なにがなんでも、と懇願し、時にはきちんと事態を説明して嘆願もするでしょう。自分の命は一つしかありません。その唯一の自分の救いのために、必死になるはずです。
その求めが聞かれるかどうか、それを「わたし」の側が決めることはできません。結果は、神に委ねるしかありません。それは、私たちが「くじ運」などと呼ぶような結果によるものではありません。神の必然は、神の心からもたらされる論理により、決められます。
イエスの下着は、くじ引きされました。兵士たちは、イエスを見るのではなく、衣のほうに夢中でした。けれども私たちの目は、まっすぐに十字架の上のイエスのほうに向いています。そうですね。まさか、衣のほうを分け合うようなことを、していませんね。神学論争、教義を蓄えて、恰も自分は聖書をよく知り、聖書に適った存在であるかのように見せかけておきながら、実は自分の都合や理性の論理で、尤もらしいことを神の定めであるかのように語ってはいないでしょうか。イエスのあれを取った、これがもらえたぞ、と喜んだり、また争ったりしている兵士の姿の中に、自分たちの姿を見ることはないのでしょうか。
イエスという方は、分けられることがありません。人の都合で、人の感情で、イエスはこうだと決めつけては、違う見方をする人が、いやイエスはこうだ、と別の姿を正しいと言い、そこで言い争っているようなことをしている場合ではありません。イエスの救いの力は、見上げるすべての人に注がれています。このイエスは、誰にでも見えるように、そこにいます。激痛とすらもはや呼べないような苦痛の中で、十字架の上に晒し者になっています。死者として晒されているのではありません。命の君として、残酷な刑を受けています。
何のために受けているのでしょうか。それは私のためです、との息苦しい思いの中で、このイエスを見つめることができる魂を、主は探しているのだと私は思います。そこに晒されているのは、自分の疵であり、自分の罪です。それに気づくためにも、私たちは祈りましょう。他人を変えるためでなく、変わらなければならないのは自分であることを知ることができるように。自分がそこに磔にされるべきだった、否本当に磔にされている、とまで震える魂こそが、神の求めているものだ、と信じて止みません。そのような魂をこそ、救いへの道に置くことを、神は計画しているのではないか、そう希望します。それはギャンブルではない、確実なくじに基づくことになります。
その道の行く先がどのようであるのか、それは、次週の復活の知らせの中で、明らかにされることでしょう。イエスを見上げる一週間であることを願います。