戦争犯罪

2022年4月7日

「戦争犯罪」という言葉が、どうにも馴染まない。私の心に入ってこない。
 
言おうとしていることが、理解できないわけではない。「戦争」にも何らかのルールがあるのであって、ルールを犯すときに「犯罪」という言葉が使われるのだろう。だが、そのとき「戦争」というものは「犯罪」とはまずは関係がないというような捉え方を示しているわけで、互いに殺し合うことには「犯罪性」がないということでよいのか、という引っかかりである。
 
手塚治虫「ブラックジャック」は私の血や骨をつくった作品であるが、その中で、ベトナム戦争の時に妻を殺された男が、戦後その復讐をするという話がある(『あつい夜』1977。医師となったゴ・ウィンに銃を向けられたダグラスは「医者が人殺しをしていいのかっ」と抵抗するが、ゴ・ウィンは叫ぶ。「そうだ できれば戦争中におまえを殺したかった 戦争は人間の一人や二人殺しても罰せられん だが……戦争が終わるととたんに殺人は犯罪になってしまう こんな不都合なことがあるのか!?」
 
手塚治虫は、戦争体験から、そのマンガのあちこちに戦争についての考えを訴えている。「手塚治虫と戦争」というウェブサイトをご覧下されば幸いである。
 
但し、いまの時代の戦争は、当事者同士の戦いであるのみならず、経済的に世界全体へ影響する場合があるし、なにより世界全体を殲滅されるだけの可能性を隠し持っているだけに、他国も安易に関わることができない。武器を供与していても、戦闘の相手国とはならないという理屈になっているようだが、どのような関わり方が戦争と関係しているというのか、法的政治的にどうなのか、よく分からない。
 
他国の国内事情に干渉することはできないという考えに基づくのか、独裁政治のようなもののための難民であれば、日本は受け入れが殆どなかったと言える。今回は動いているのは、政治的には様々な事情があるのだろう。詳しい方に解説して戴ければよいがと願う。
 
聖書は戦争が当たり前にあった時代の中で記述されている。そればかりか、神が戦争を仕掛けていく。侵略することが神の祝福だと言っている。日本においてキリスト教会は、寺院や神社に比べて、全く信頼が寄せられていないという統計がある。教会の正義を弁解するよりも、もっと違う言動が求められているようにも思われる。
 
いずれにしても、被害のある人々が、救い出されてほしいと祈るばかりである。



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