猫に会いに行く

2022年2月21日

地域猫に、会いに行く。まるでその公園が自分の家の庭であるかのように。
 
地域猫に、会いに行く。親の無事を確認するために、実家を窺うように。
 
陽が当たるとはいえ、風が刺すような午後。寒さを覚えるキジ猫くんの見ている前で、私はベンチに座る。それは、どうぞのサイン。猫も分かっている。ベンチの上に飛びのり、音を立てずにじわりと近づいてくる。ほんの一瞬だけ、こちらの出方を試しているのだ。そこに行っても安全か、観察し、判断している。
 
だがその様子を見ていると、何も迷わず、さも当然のことのように、私の膝の上に脚をかけ、登ってくる。私はただの座布団になる。キジ猫くんは自分の手足を、私の脚の間に都合よくセットすると、からだを円くする。もうこちらの顔など見ていない。もうおまえはただの座布団だからな、と魔法をかけてくる。
 
はい、ご主人さま。私はただの下僕です。
 
ずっしりと重い。そして、温かい。生き物独自の温かさだ。それは、彼にとってもそうなのだろう。だからこそ、人肌を求めて、こうして危険を顧みずに大胆に賭けをしてくるのだろう。何をされるか、分かったものではないはずなのに。
 
実は、私が腰を下ろすのを最初に見ていたのは、茶白猫ちゃんだった。この子は、最初私には近づいてこなかった。だからビビりちゃんと呼んでいた。だが、幾度もこの場所に来るようになって、顔を覚えてくれたらしい。ある日、近づいてきた。撫でられても退かなかった。信頼を得たのは、うれしかった。
 
私の膝に行こうとしたその時、かのキジ猫くんが、すたすたとやってきて、その場所を占有してしまったのだった。円くなったキジ猫くんは、すでに眠りの領域に入った。茶白ちゃんは、私の膝の残りのスペースをちょっと確認すると、諦めたのか、私のすぐ傍へ来て、座った。風よけになるのかもしれない。キジ猫くんの体温が感じられるのだろうか。それとも何か考えていたのだろうか。
 
うむ。考えていた。一息つくと、立ち上がった。その狭いスペースを見計らって、片足をそこに掛けた。確かに茶白ちゃんは、きゃしゃである。からだも軽いし、ごつごつした体格だ。でも、さすがにそのスペースは君にも狭すぎるだろう、と私は思った。
 
いやいや、猫は恐るべし。髭の幅の隙間は全身が通れるともいうし、猫は体形がどうにでもなる液体だという説もある。茶白ちゃん、忍び足のようにして、私の膝に全身をのせてきた。無理でないか。いや、心配は無用だった。猫はちゃんと自分の体位については計算してから行動する。
 
のった。
 
さすが猫。計算通りだ。そしてキジ猫くんは動じない。完全に眠っている。意地悪をするつもりはないようで、私は少しほっとした。気のせいか、体温が2倍に上がったように思えた。気持ちの問題だったのだろうけれども。
 
もうひとりのキジ猫くんは、最初からこの様子を見ていた。この子は、人間の膝にはのらない。ただ、何か羨ましいとでも思っていたのだろうか。一歩前に手を伸ばした。茶白ちゃんは、キジ猫くんのように熟睡ができないようなので、このもうひとりのキジ猫くんの動きに反応した。あんたも来んの? とでも言うかのように。
 
ボランティアさんたちには、本当に頭が下がる。毎日の餌やり、それは欠かすことができないわけで、雨の日も雪の日も、淡々と与え続ける。数人での交代ではあるが、全員が休むということはない。なかなかできることではない。
 
冬はまた、猫にとり危機である。住まいとなるボックスはあるが、福岡とはいえ、外気は耐えられない。そこで市販のカイロを夕方に置きにくる。餌を与えている間に、取り替える。様子を見ながら、毛布を置くこともある。これを、毎日だ。
 
人間がいつも見える公園なものだから、猫の多くは、人間に慣れている。この子たちのように、人肌の温もりを求めて寄ってくる子もいるが、まだ捕獲されて間もないようだと、警戒心がやたら強い場合もある。もちろん、人間には決して近づかない子もいる。
 
地域猫を守る人たちは、野生の猫を捕獲し、不妊手術を施す。野生の猫だと捕まえられて、嫌な言葉だが殺処分される。特に子猫が多いという。子猫を増やさないことが、殺される猫をなくすための有効な方法であるため、手術は苦渋の措置だと言えるかもしれない。人間に対しても、これをしていたことが問題になっている。猫だったらやむを得ないと考えるしかない。
 
しかし、手間暇と費用からしても、大きな大きなことだ。寄付に頼っているが、それでうまく賄われているのだろうか。譲渡会も時々開かれ、誰かを引き取ることも可能なのだが、私は生活スタイル上、飼うのが難しい。それでも、そこに行けば、たくさんの癒しをもらうことができる。彼らのために、また彼らを支えるボランティアさんたちのために、殆ど何もできないのだけれども、私は、ささやかながら、餌になる缶詰などを、毎月贈ることにした。
 
この保護する人たちから毎月、「ありがとうございました」とウェブサイトに報告されてくるが、「ありがとうございました」といつも言いたいのは、こちらの方だ。行方不明になった子の知らせは辛いが、毎週訪ねては、冬を乗り越えて生きる猫たちに会えるとうれしい。自分だけ暖かな家にいて申し訳ないとも思いつつ、共にがんばろうな、と声を掛けて、公園を後にする。
 
早く春がくるようにと願うばかりだ。



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