作文指導
2022年1月4日
いちばん伝えたいものは何か。
他のすべての言葉は、そのために存在する。
気取った板書を、私は小学生たちに示した。中高一貫校を受験する六年生のクラスである。おもに作文の授業を担当している。
公立中学でありながら中高一貫とする制度が各地で始まっているが、大人気だ。私立中学並の教育指導を、公立扱いでしてもらえるのである。とくに英語教育は普通の公立中学とは格段に違う。入学試験に必要なのは、やたらと知識があることではない。もちろん面接もあるが、他教科は「適性検査」の名の下に一括され、それとは区別されるのは作文だけである。一定のテーマで300字程度の作文を書かせる。要約のようなものが付くこともあるが、要するに文章表現能力である。その点、「適性検査」も、知識の多さではなく、説明能力が中心となっており、理由説明や解法の過程を記述させるものが多い。
その作文である。訳あって、彼らを指導するのは受験半年前からである。最初はとりあえずほめる。そして、書くことが楽しいという気持ちからスタートさせる。だが、そこで信頼関係が成立したことを見計らうと、基礎から徹底的に厳しく朱入れという形で、書かせたものを悉く直していく。
企業秘密だからそれ以上詳しくは言わないが、書くことが基本的に嫌ではない子どもたちが集まってくるものの、技術的には全く形になっていないものだから、それを矯正していくことが私の仕事である。というよりも、自分の心の中にあるものをはっきりさせることと、それを文章として読者に伝わるものに組み立てることができるように導いていく。
一つひとつ具体的に、どこをどうすればよいという一般的なことをレクチャーすると同時に、一人ひとりの作文に具体的に手入れをする。この繰り返しで、いつの間にか彼らはちゃんと書けるように変わっていく。毎日食事を続けることで、いつの間にか背が伸びるようなものである。
正月休みが終われば、最後の調整をしてすぐに受験本番となる。その年末最後の作文授業で、私は最初の標語を掲げた。
いちばん伝えたいものは何か。
他のすべての言葉は、そのために存在する。
ひとつの作文において、言いたいこと、伝えたいことはただ一つであるはずである。それ以外の、すべての言葉は、それを伝えたいためにこそ存在するものである。これを心に刻み込むことで、これまで培ったテクニックが真に生きてくるものだと考えた。
そして、私がこのことをここに書いたときに、伝えたいことは何であるか。これのできない説教者へのアドバイスであることを、お感じになっていた方は、すばらしい。
※なお、これは作文についてのセオリーであって、物語についてはそうではなく、むしろ逆だと言える。そして、その逆の世界で物語を紡ぐような説教がありうることも、申し添えておく。いずれまた、それについてお話しできたらと願うところである。