「リスペクト」
2021年11月17日
ミュージシャンの生涯を描く映画が目立ってきた。ついにはこのたびセリーヌ・ディオンの半生までが映画となったが、少し前に「ボヘミアン・ラプソディ」がクイーンを、フレディ・マーキュリーを中心に描いた。その制作の年、シンガーとして全米で1位にも選ばれたことがある歌手・アレサ・フランクリンが亡くなった。アレサのための映画の計画は前からあったが、アレサ自身、アレサ役にはジェニファー・ハドソンを指名していたのだという。そして、その映画が完成した。「リスペクト」である。彼女の代表曲の一つであり、それを象徴的に用いている。このようなネーミングは、クイーンの場合もそうなのだろう。こちらはほぼアレサの生涯のおよそ二つの場面に集約したものを描き、彼女をを正にリスペクトして作られてあったように見える。リーズル・トミーという女性監督による作品なだけに、必ずしも美しく飾らない、女性の心や生き方が力強く迫ってきた。
例によって、ネタバレを起こしてはいけないから、ストーリーや見所の紹介はご勘弁戴きたい。
教会でその歌の才能を発揮していたアレサにとり、牧師の父親は絶対的な存在のようだった。その父親が促して、歌手としてデビューする。この父親も父親なのだが、とりあえず教会は保持できていた。アレサは教会を離れたようなところから、また教会に戻る。数々のヒット曲もうれしいが、賛美の歌が力強く響き渡るのは珠玉でもあったし、魂を揺さぶるものだった。
教会とは素晴らしい、と思ったし、賛美は素晴らしい、という思いにも満たされた。
彼女は、黒人の公民権運動にも大きな力を与えている。冤罪の黒人のために動いたこともあるし、映画では、マルチン・ルーサー・キングが登場し、彼女と親しく話をする。行動を共にもしていたが、運動の最前線にいたわけではないと本人は言っている。キング牧師の葬儀の場でも歌うなど、大きな影響を及ぼしているのは確かだが、決して出しゃばらず、自分の弁えを主張し続けていたという。
映画に出てくる教会の様子についてだが、聖書の細かな解釈の違いを論ずるのでもなく、儀式や制度の違いでいがみ合うようなものでもない。組織の維持に頭を痛めるような雰囲気はどこにもない。神の下にある兄弟姉妹は互いを受け容れる。厳しく対処する時もあるにはあるが、牧師のだらしない生活も、その娘のありえないような体験も、教会のあり方に何ら影響を与えない。日常的に、何気ない挨拶ですら神の関与と共にある生活をしている様子も映画の中に見られたが、そのように常に神が共にいて、そして人は神に向けて歌う。神の下に同胞が集まり、彼女の歌に涙し、立ち上がりアーメンと主に向けて叫ぶ。
歌はいい。魂に響く。揺さぶられる。理屈で説明できない涙が、私にも浮かんでくる。英語も日本語も関係がない。
映画の曲の中で、私の好きな歌が、一番残念な場面に使われていて歌にならなかったのは、少しばかり惜しいと思ったが、そんなのは個人的見解だ。ポピュラーな曲のただの恋愛を描いた歌詞であっても、読み込んだとき、それは神との信仰のつながりを表していると受け取ることも可能なものは数多い。近年はそのようにして、「明日に架ける橋」もゴスペルの一曲となった。その私の好きな曲についても私はそう感じている。そしてこのときの失態から、アレサは教会にこそ自分に必要なものがあったということに気づかされるのだ。
教会はいい。そして、賛美はいい。