コラッツ予想
2021年10月4日
コラッツ予想に懸賞金がかけられていると朝日新聞が報じたのが2021年9月4日。株式会社音圧爆上げくんというところが、1億2000万円を提示して、コラッツ予想の真偽の証明を求めたのだ。
中学入試問題にもこの予想のアルゴリズムを用いたものが時折出されるので、算数業界ではおなじみであるのだが、証明はなされていなかったわけである。いや、大学入試でも出題されたことがあるらしい。
コラッツ予想とは、言葉で言えば、このようなものだ。「偶数なら2で割り、奇数なら3倍して1を足す。どんな正の整数も、この操作を繰り返せば、必ず最後は1になるだろう」
つまり、循環して1に届かないケースや、数が1へと減らず大きな数へ進んで行くようなことが起こらないということを証明しなければならない。
これは「予想」である。成立するという保証はいまのところ、ない。だが、反症例も見出されていないので、これは成立するという見通しではないかと思われる。しかし、分からない。
17世紀から、フェルマーの最終定理が、このような予想として数学者の関心を集めていた。三平方の定理(ピュタゴラスの定理)の2乗のところが3以上の整数ではありえないということの証明である。これはついにフェルマーの謎の言葉の330年後、1995年にワイルズにより証明されたという。
これを証明するためにも、いくつかの「予想」が提示されていた。それが積み重ねられて、日本人が提示した予想を、ついにワイルズが証明にこぎつけたというわけである。凡そ、整数問題とは思えないような方法による証明であったそうである。
このような難問は多々ある。今度のコラッツ予想も、フェルマーの時のように、予想自体は小学生でも理解できる単純なものである。だが、それの証明となると訳が違う。
数学はこのような証明について、まだ合意が成立しやすい分野である。抽象的な議論ではあるが、だからこそ、曖昧さがなく、真偽が明確である。これが人文分野ではそうはいかない。経済のように、一度きりの事象で実験が不可能であるものとなると、なおさらどうしようもなくなる。だがそれもまた、「学」として認められる。またタイプが違うのである。
聖書の研究もまた、合意は不可能であろうと思われる。よく、聖書の矛盾を見つけた、と得意そうに語る人がいるが、そんなことはあたりまえであって、周知のことである。問題は、それを矛盾と見る人間そのものが問われているのであり、「あなたはどうか」という問いかけに対して、私たち一人ひとりがどうレスポンスするか、が問題となっているということだ。
聖書を数学のように解こうと思ったら、コラッツ予想どころではない難しさがあるのかもしれない。つまり、一意的な結論など出ない、ということだ。一人ひとりが異なっていて、一人ひとりがそれぞれに神に大切にされている以上。
但し、コラッツの予想は本当らしいと信じられているように、聖書の言葉の行く末も、信頼するに値する頼もしさがあるのではないだろうか。それがもはや「予想」ではなくなる時が来ることを待つことができるのだから。