ボンヘッファーのガンディー宛書簡から
2021年9月12日
ボンヘッファーが、インドのガンディーに当てた手紙が発見されたという。それが『福音と世界』2021年9月号に掲載されていた。1934年のものであるという。まだ28歳と自ら名乗り、ガンジーに傾倒した中で、助言を求めるという手紙を送っている。
適切な解説と読みやすい翻訳とで、よい紹介記事となっている。ドイツとヨーロッパの危機に際し、ボンヘッファーはなんとかそれを打破しようとガンディーを頼る。訪問する熱意をもって、この書簡を送っているのだが、従来それに対するガンディーの返信のみが知られていた。それが近年ボンヘッファー自身の書簡が見つかり、2018年に明らかにされている。
「この書簡を読むと、一九三四年にボンヘッファーがどれほど心をかき乱されていたかが分かる。……ドイツの教会闘争に巻き込まれたままであった。」という解説を受けて、本文の邦訳が掲載されている。その中から、断片的にだが、ボンヘッファーの教会に対する思いの強く表れたところを引用させて戴きたい。
「しかし、キリスト教会のほとんどの組織化された団体は、現実の要請に応えようとはしません。……キリスト教は、現在ある諸相とは全く違うものにならねばならないでしょう。」
「……本当に精神的に形づくられた活けるキリスト教の平和運動を必要としています。西欧のキリスト教は、山上の説教から新たに生まれ変わらなければなりません。」
「しかし、誰一人として、妥協することなく山上の説教に合致した新たなキリスト教的生き方への道を、私たちに示してくれません。」
もちろん、ドイツにおける、しかも当時の教会の姿は、日本のそれと比較しようもないし、現代の日本とパラレルに見てよいという保証もない。だが、この紹介文では、別に兄に当てた、同じく1934年の手紙の一部をも明らかにしている。そこにはこのように書かれている。
「日々、西欧においてはキリスト教も――いずれにせよ従来のキリスト教の形態や解釈は――終焉が来ているのではないかという確信が、ぼくの中で日々強まっています。」
2021年、私たちの世界にとりあえずヒトラーはいない。とりあえず自由な社会が世界を取り巻いている。だが、どういうわけだろう。これらのボンヘッファーの言葉が、私には実にリアルに響いてきて仕方がない。私がこの場で繰り返し語っていることと、同じようなことが叫ばれているように思えて仕方がない。そのことに今回私は驚いた。と同時に、怖くなった。
やはり、何かがおかしくなってきている。私がおかしいのかもしれない。だが、それは私だけがおかしい、ということを意味するのだとすると、その可能性はあるにしても、そうではない可能性も小さくはないということで、静かにささやく声は止めてはならないと考えている。