最後まで戦うべし

2021年8月23日

夏期講習も終了が近い。受験生は仕上げの模試があるが、それまでにも小テストの嵐である。時間の長短は様々あれど、監督をしていていつも思うことがある。
 
最後まで書き終わった生徒が、顔を上げて空を見ているのである。もちろん、それまでの緊張感が少しほぐれたというのを咎めるつもりはないし、ほっと一息したことを悪く言うつもりはない。だが、それは一瞬ではなく、「もう書いたもんね、お仕事終わり」とでもいうかのような表情なのだ。
 
もちろん、小学生の頃から、「見直し」や「確かめ」は言われ続けているのだと思う。だが、そのようにする生徒は偶々そのテストだけ、というのではなく、すべてのテストにおいて、同じように、残り時間を殆ど無為に過ごすのだ。
 
塾だから、成績別のクラスとなっている。上位クラスで監督をすると、こうした風景が全くない。いったい最後まで解答欄を埋めているのかどうか分からないくらい、全員がテスト用紙に視線を落としている。とにかくタイムアップまで、標的から目を離さず、食らいついているのである。
 
だから、成績上位にいられるのだろう、と私は解釈した。それほどに、この一枚の答案の仕上げに執念を抱いているのだ。また、そうでなくてはならない、と私は思っている。というのは、たとえば私がそうした頃に自分に言い聞かせていたことは、「これでもか」という言葉であった。時間が許される限り、最後まで挑む。相当に自信があり、何度見直しても大丈夫というふうに思えても、「これでもか」というかけ声とともに、考え続けた。
 
オリンピックのようなスポーツ大会を鑑賞する機会があったら、私たちはきっとそこから学ぶことができる。スポーツは、ルールに基づく、まさに戦いである。古代ではどちらかが死ぬまで戦う見世物もあったというが、もちろん現代では、そんなことはしない。何度敗れても、また挑戦する事ができる。ともかく選手は、ここへくるまでに重ねてきた無数の練習を経てきた。それが、どうかするとわずか数分、数十秒で試される機会がその大会である。何時間もの戦いであればなおさら、少々の劣勢に諦める暇などない。選手の戦いぶりに、私たちは、「諦めない心」を必ず覚えるものである。
 
テスト時間は、昔の中国の科挙でもない限り、数十分か2時間以内というものであろう。その間が、まさに試合時間である。与えられた時間を、唯一のチャンスと受け止めて、時間いっぱい、できることをしなければならない。そういう真摯さをもっているかどうか、もまたテストされているのに違いない。
 
さて、与えられた有限の時間の中で、精一杯本分を尽くすということになると、私たちの人生がそうだ、ということ、結局話はここに行き着くことになるしかないだろう。



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