8月15日と6月23日

2021年7月2日

2021年も今日7月2日でちょうど折り返しとなった。所詮ひとが定めた「1年」という区切りなので、この「中央」にはそれほど特別な意味はない。だが、何かしら区切りとなるような、記念となるような日というのは、誰にでもあるだろう。
 
これが国民的なものとして成立しているものの代表といえば、「終戦記念日」というものが毎年大きく取り上げられる。同じ太平洋戦争の終戦に関していえば、先日迎えた「沖縄慰霊の日」もある。
 
幾度も繰り返すが、これらの記念日を「当事者」として迎え、亡くなった方を偲び平和を誓うということについて、私は何の異論ももたない。だが、当事者でない人々が、これらの日を用いて自分たちの主張を正当化するかのようにしているとなると、私はそれに強い疑問と懸念をもつのである。
 
「終戦」ではない、「敗戦」だ、などと言うその人が、重要な日として口にするのは殆どの場合「8月15日」である。これはご存じの通り、録音した天皇の声が日本にラジオで流れた日である。降伏の宣言を受け容れた日(8月14日と見てよいだろうか)でもなければ、降伏文書に調印した日(9月2日)でもない。戦闘が終わった日でもない。ただ単に、天皇の声が、神の声として、あるいはせいぜい祭司の声として、国民の耳に入った日である。高校の教科書によくあるように、この日は「戦争が終結することをラジオ放送で国民に知らせた日」なのである。この日を「戦争の終わりの日」として尊ぶということは、結局天皇崇拝の域内にあるということではないだろうか。
 
しかも、戦後しばらくの間は、この「15日」を特別な日だとする認識はなかったという。1963年に閣議決定で「全国戦没者追悼式」が15日に行うこととなった影響が大きいのではないか。つまり、この15日を唯一無二の終戦の日にもっていったのは、当時の内閣であり、天皇を中心に据える営みの一つだったのである。いくら「敗戦の日だ」などと言って抵抗したつもりであっても、所詮天皇中心の日に賛同していることを暴露しているだけのことではないだろうか。
 
沖縄慰霊の日はいま、6月23日である。この制定については、私も詳しく調べたわけではないが、1961年当時の琉球政府(日本返還は1972年)が戦没者遺族などの陳情を受けて制定につながったという。この日に牛島中将と長参謀長が摩文仁で自決したことで選ばれた。但し、この自決の日付は22日ではないかという説もあり、一時慰霊の日はこちらになろうとしていたとも言う。
 
説明は不要だと思うが、軍人が死んだ日を以て、沖縄の終戦としているのである。沖縄で軍隊が、住民に手榴弾で死ねと命じ、また家族親類同士で殺し合うことを教えたことは否めないが、その軍の司令官の死を、慰霊しているのである。この日を、「命どぅ宝」という言葉――私も直接その発音を聞くのはネットが初めてだった――をモットーとして、沖縄の味方だ、沖縄に寄り添うのだ、と声高に叫ぶグループがあるが、この日が軍人を祀る日であることをどこまで意識しているのか、甚だ疑問である。
 
沖縄市は、9月7日を「沖縄市民平和の日」と定めている。降伏文書の調印が行われた日だからである。また、アメリカ軍が沖縄本島に上陸したのは4月1日のイースターの日であったし、3月26日に慶良間に上陸したのが、日本に上陸した最初である。また、6月23日以降も当然戦闘は続いており、アメリカ軍が公式に沖縄戦終了を宣言したのは、7月2日であった。
 
いかに戦争に反対を唱え、平和を主張したとしても、8月15日や6月23日を軸に叫んでいたら、それはうまいこと操られていることになりはしないだろうか。少なくとも私が政府や軍関係にいたら、内心ほくそ笑むことだろう。いろいろ反対を叫んでいても、所詮こちらの思惑通りに天皇を崇拝し、軍人を記念しているのだから。
 
平和を訴えるなら、まずはこの日付を安易に前提しないことから始めなければなるまい。そして念をさらに押すが、これは当事者でない人々が引っかかっていることに対する、私の痛みである。当事者の痛みは、計り知れないものであり、いつを記念しても、口を挟むつもりはないのである。



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