南波志帆、何者?

2021年5月25日

「南波志帆」さんをご存じだろうか。ホリプロ所属の歌手である。1993年福岡県(たぶん遠賀町――実に福岡県内の自治体で「町」を「ちょう」と読むのは、この「おんがちょう」だけ。ほかはすべて「まち」と読む)の生まれ。いまNHKFMで月曜から金曜まで21:30〜23:00放送の「ミュージックライン」を担当している。2015年から続けているので(木曜日までだった年もあるが)、ずいぶんな人を相手にトークを繰り広げていることになる。
 
そう、毎回ゲストを招くのが基本スタイルの番組。1時間半のうち、1時間ほどがゲストとのトークである。この間、もちろんCMはない。曲もかけるが少ないので、アーチストからたっぷりとエピソードを引き出す時間となっている。
 
少し想像して戴けると分かると思うが、そのアーチストの曲をどれほど聞き、背景について資料を集め、知った上でなければ、トークなどできるはずがない。これを毎日、週5日、続けているのである。
 
それだけでも驚異的であるのに、かけたそのアーチストの曲に対する評価の言葉に、いつも感動する。たとえばある時は「なんか、胸が締めつけられるような、センチメンタルな美しい曲で、とっても心を持って行かれました。ステキな曲でした。ほんと、心の琴線に触れる、いい曲だなぁと思いまして、その目覚まし時計の秒針、そしてアラームの音で、さわやかな朝を感じながら始まりますが、○○さんの美しい歌声とコーラスワークが、その朝を切なく彩って、そして曲が進むにつれ、転調をはさむことで、より印象的で、聞き所の多い楽曲に仕上がっているんですが、……」といった具合である。これは最近のもので、もっと以前にはしびれるような評もたくさんあり、それを聞いたアーチストが、いたく感動している様子が伝わってくることも度々あった。たとえばディーン・フジオカさんがそうだった。「葛藤を抱えながらも、メロウにきらめきながら、ゆらゆらと漂う感覚が、心地よくて、とっても引き込まれました。ステキですね〜」と言われて、「ステキなコメントですねぇ……」と驚いていた。
 
原稿をつくっていたのかもしれないが、明らかにそうでない、即興の対応の言葉の中にも、びっくりするような表現を発見することがよくある。
 
若い方なのに、ゲストが気持ちよく語れるように配慮し、実に聞き上手になっている。そして、うまく情報を引き出すような問いかけが絶妙なのである。
 
最初私は、この人の声と話し方に魅了された。番組の最後と、一日に何度か「5分でミュージックライン」という、次のゲスト紹介のコーナーが流れているのだが、それらの最後に「バイバ〜イ」という声を聞くのがたまらなない。気の抜けたような、けだるい言い方が殆どであるが、時にその調子が微妙に違うのも愉しみなのだ。
 
正直、平日の夜は私は仕事をしているので、殆ど番組を聞く機会がない。だからあるとき全部聞いて、そのトーク術に感動したのだ。言葉を選び、タイミングよく流し入れるその術は、習い覚えたのだろうか、それとも天性のものだろうか。自分が何とか語ろうとする仕事をしているし、教会で語る人もそうなのかもしれないが、実は「傾聴」と、発言を促す「問いかけ」というのが、私たちのトークには一番必要なものであるということを、教えられるような気がしている。
 
ご本人の楽曲はというと、実はかなり難しい。転調の具合も構成もかなり難解で、真似して歌うことはできそうにない。詩の言葉もハッとさせるものが多い。
 
南波志帆、何者? というところだが、その声に癒されるために、今日もまた、「5分でミュージックライン」の最後の何秒間かを、トキメキながら待っている。
 
 
なお、「らじる・らじる聞き逃し配信」のことをご存じなかったら、もったいないので、お知らせしておきましょう。ラジオはもう時代遅れだなどと妙な偏見をもっている人、実はいま、違うのです。  



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