祈ります
2021年5月15日
大阪での新規感染者の増加が著しかったが、その数字が各地方へ飛んでいる模様です。人の動きがある限り、新型コロナウイルスの感染拡大は、簡単にはなくならないように見えます。
大阪では、亡くなる方が多いことで心が痛みます。苦しかったことでしょう。また、その家族な身内の方々の苦悩と悲しみも、想像を絶するものがありましょう。高齢の方が多く亡くなっていますが、自分の親や恩師のことを思うと、他人事のような気がいたしません。
亡くなる方を目の前で見る医療従事者のために祈ります。感染防備の体勢が、患者に接することができなかったような感覚をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。もちろん、感染の危険を間近に日々医療機関に勤める方々は、自分の感染への恐怖があると共に、そのことがまた多くの弱い人々の命を奪うことへとつながることへの不安がまた大きいかもしれません。
それゆえ、たとえ休日が取れても、外出を控えている場合が殆どだろうと思います。その家族もまたその点で気を使うでしょうし、たとえば外食ひとつ、取らないように強いられているのだとも言えることでしょう。マスコミが、こうした見えないところの苦しさをもっと報じてくれたらよいのですが、ワクチンを早くよこせしか考えない企画者や司会者、コメンテーターの集まりでは、生の人間の置かれた状態への想像力も欠落したままとなっています。
このマスコミの報道が日本全国に「感染」しますから、全国的に、医療従事者のしていることを想像する人も、稀少となってしまいます。わずかに、現場を見聞きした人が、あるいは想像力のある方が、従事者の大変さを知り、思いやりをもつことができているようです。
もちろん、ただ医療機関に限定してこうした有様を考える必要はありません。役所を含む公務員も、部署によっては危険な場面があることでしょう。生活全般に気を使う人がたくさんいるはずです。残念ながら、同じ公務員でも、集団で会食することの意味が分からず感染を拡大させてしまった例もあり、報道されなかっただけで各地にそのようなこともあったのだろうと推測されます。が、介護などの現場を含め、ほんとうに緊張の中で毎日張りつめた仕事に明け暮れる方々がたくさんいて、ほんとうに頭が下がります。私たちがいまこうして生活していられるのも、こうした方々の命懸けの仕事の故です。精一杯してくださっていても、もはや病院は危機的ですから、事故に遭っても救急搬送ができない現状にありますが、たとえ丸一日かかろうと、受け容れてくれる病院を探してくれる公務の方々は、ありがたいこと限りありません。いまこの時にも、感謝すべきこうした方々が、闘っていて、それで私たちは安心が得られていることを知らなければなりません。
私のような小さな者にはとりたてて何もできませんが、そうした方に賛同したり、声を挙げたり、できることがあると思うし、何よりも私の場合は、助け主である神に祈り求める役割があると信じています。皆さんのことを忘れる日はなく、皆さんのことを神に助けてくださるようにと祈り続けることは、できると考えています。
福岡も、非常事態宣言の対象地域となりました。そのことの意味に気が付かなかった馬鹿な私は、図書館に本を返却に行き、閉館しているのを見て、頭を抱えて帰りました。すみません。
ワクチンのために、それを求める人に、なかなか行き届かないのを申し訳ないと思う医療関係者もいることでしょう。ひとつのバイアルに針を別の箇所から刺すという離れ業から、正確な薬量の量り取りの技術など、緊張の場面が続きます。もちろん、ゆっくりと十回動かすなど、手間のかかるルーチンも含めて、そんなにスピードを上げられるものではないことは当然なのですが、もうワクチンを神のように見なすマスコミは、早くしろと政府を批判しているつもりで、その批判がいっそう医療関係者を苦しめることになるということへの想像もできません。政府をただ批判するとカッコイイと考えているかのようですが、それは現場の方々への暴力となります。いったい誰がワクチンを打つのでしょう。現場は、ただでさえ緊張の毎日でいる医師や看護師が、休日返上で打つのです。もちろん、退職した人を呼び集めようとしているのも事実ですが、現場を長く離れていた人が取り組むには、この技術は簡単ではないとも聞いています。可能ではあるでしょうが、単純な計算通りにはいかないことが予想されます。簡単に24時間打てるようにしよう、とか、オリンピックのために確保しよう、とか言わないで戴きたいのです。超人的に働き続けているこうした方々も、同じ人間です。動員するような兵隊ではないし、確保するような材料ではないのです。
そもそもそのワクチンですら、打てばもうかからないとか、マスクなしで集まれるとか、甚だ迷惑な願望が飛び交い始めているようです。マスコミは、正しい知識を紹介してください。早くしろとけしかけることしか言わないなら、暴力です。思い込みや勘違いを解くような時間をたっぷりつくってください。ワクチンの仕組みすら、殆どテレビでは聞きません。今回のワクチンは、人間の体の細胞を擬似ウイルスに見立てて免疫作用を生むという、なかなか賢い作戦をとっており、そのため生ワクチンのような危険性がかなり回避できます。しかし、そもそも新型コロナウイルスは、ウイルス自体の力は大したことがなく、これを過剰に防備する自分の白血球の一種が、しばしば自分の肺に攻撃を仕掛けることになる、という自己破壊のメカニズムがひとつ説明されていると聞きました。このあたり、私は素人のぼやっとした書き方しかできませんから、正確な情報は、どうぞ皆さんがそれぞれにお調べ下さるようにお願いします。
不確かな思い込みがはびこると、デマが生まれ、拡がります。政府や行政を批判することは、簡単な、鬱憤晴らしなので、マスコミも自己批判を忘れて普段から平気で政府に文句を言う体質となっていますから、今回も、医療崩壊や政治崩壊を招くようなことを連日平然と行っているように思えて仕方がありません。
聖書は、為政者のために祈るように促しています。安易に権力に同調するのではないか、と訝しく考える神学者も多いのですが、この疫病による禍の中、今こそ、為政者のために祈る場面ではないでしょうか。事は命に関わります。医療関係、介護福祉関係、こうした連携を図りつなぐ公務の方々、もちろんここに挙げるべき職業や立場の方々は、挙げられないくらいたくさんいます。子どもたちのストレスたるや、言葉に出せないだけに怖いくらいのものがありますし、その子どもたちを支える教諭や職員のためにも祈ります。この教員たちが、いまやブラックとも呼ばれる情況の中で、倒れそうになっている時代ですが、さらに教育行政側は、責任を問われないようにと消毒や様々な配慮のための通達を増やすという、無謀な要求をしてきている現状です。もはや疲弊どころではありません。たとえ飲食店が休業しても、外で飲み会をして感染を拡大しているということがあるとするならば、自分たちはなんで収入の道を断たれなければならないのかという理不尽さの中で苦悩している業種の方々の、生活や心が守られないかといつも気にしています。それを公的に補償するとはいっても、その分がやがて経済にどうのしかかるかも気になります。
こうしたことが、いろいろ悪のスパイラルで増えていく姿が見られます。だから、祈りでそのスパイラルに楔を打ち込みませんか。もはや教会も、偉い牧師も神学者も、SNSではお気楽なことを話題にするか、教会員に対して頑張りましょうと言うか、その程度のことしかできていないように見えます。中には、医療従事者の存在を全く忘れているようなケースも少なくありません。今こそ、祈るのがキリスト者ではないのですか。できる援助をしたら素晴らしいし、そのような声を発することでもいい。まずは祈ることから始めることを、キリスト者は知っているはずです。神を信頼するというのは、こういう危機の中でこそ、キリスト者に求められていることではないのでしょうか。
政治をただ口で批判することで、自分が正しいように思い込む愚かな性癖を、もう止めませんか。困難にある人のために、できることをと求めるのが、愛ではないのですか。愛とは何ですか。教会はいま、愛とは何かという問いを、受けてはいないのでしょうか。もしも、これくらいのことで信徒がいなくなったとしても、組織の存続にしか関心がないようなものであったとしたなら、そういう教会組織は、潰れてしまったほうがよい、とすら私は思います。自己目的しかもたない教会なんぞを、聖書の神は望んでいるようにはとうてい思えないのです。たとえば教会の牧師は、国で言えば首相かもしれません。批判をすることが正しいかのように勘違いして政府の悪口に終始するだけなら、その言葉はそのまま自分に向けられているというふうには考えられないでしょうか。
私はそうとうに、キリストの名を看板にしておきながら聖書と神の愛を蔑ろにしている現状には、失望しています。しかし憤りは、もちろん一番には、自分自身に対してです。私自身が、こんなふうに批判がましいことは言っても、本当に祈っていたのだろうかと責められ、悲しんでいます。そう、私ほど馬鹿な者はいません。自分が偉そうなふりをしているのはこの私です。口先だけなのは、この私です。でも、だから、祈ります。ひとを悪く言っているつもりはありません。それでも、不愉快に思う人は多々あるでしょう。たとえこんな私の声をブロックしたとしても、神の言葉はブロックされません。それをしてしまうと、もう信徒でもなければ、教会でもなくなってしまいます。たとえどうであれ、私はこの向かう先に神が確かにいて、神は聖書にある約束を、私が期待した形ではないかもしれないけれども、必ず実現するということを信じます。だから、その神に祈ります。神とつながります。医療従事者の存在を忘れたひとや教会が私をどんなに責めようとも、世のため人のために命を削っている方々に、報いがあるように、笑顔が今日、ひとつでもあるように、祈ります。希望があるように、切に祈ります。祈り続けます。