熊本地震から5年

2021年4月15日

2016年4月14日、熊本地震の最初の一撃は、塾での授業中のことだった。もう間もなくすべて終わり、帰りの仕度を始めようかという呼吸の頃だった。さすがイマドキである。教室中に、突然ウワンウワンと異常な音が響きわたった。
 
これは何だ、と私が驚いている中で、初期微動が始まった。これで私の脳裏にはすべてがつながった。「机の下に潜れ!」
 
かなり強く揺らされた。横揺れだったと思う。これが熊本に震源をもつ巨大な地震だということは、後から分かった。その被害の全貌は、夜明けになって次々と判明していった。
 
余震はもちろんあったが、一日と数時間を経過した16日となった深夜に、またしても強い規模の地震が立て続けに起こった。震度7に迫る揺れをこれだけの短期間に繰り返したのは記録にないという
。  
田舎作りの木造の建物の多い益城町は、その揺れの大きさや発生した断層の力が猛威を振るい、特に多くの被害を出した。田圃に長く走る亀裂を実際にその後間近に見て、自然の力を改めて知った。
 
あれから5年。私たちの時は淡々と刻まれていく。大震災も、過去の中に記憶が薄れるし、それを人は喩えて「風化」と呼ぶ。現に、その体験をしていない若い世代、記憶に残らない世代が時とともに増えていく。どう伝えるか。あの恐怖と苦難と知恵を、将来また起こり得る災害のために、伝えていかないといけないし、さらにその世代が次へと伝えていかなければならない。
 
人類の歴史は、伝えていくことにより、知恵をつないできた。これを、人の思想が受け継がれていくと見るのではなく、思想自体が続く中に、人を巻き込んでいく、と見る人がいる。人は自分で何かを思いついたかのように思いなすものだが、実はひとつの思想が、その時代にその都度、思想を受け取り展開し伝えていくような人間を用いていくのだ、というのである。まるでヘーゲルの理性の歴史のようだが、これもまたひとつのものの見方であろう。
 
どの災害でもそうだが、簡単に復興したり、乗り越えることができたりするものではない。少なくとも傷は残るし、生きていることの感謝と共に、生きているが故の辛酸がすんなりなくなるなどというものではない。
 
痛みは、ずっと続く。現にその災害で被害を受けていない者にとっては、寄り添うことすらできるものではないが、少なくとも忘れてはならないと自戒している。



沈黙の声にもどります       トップページにもどります