そのボールペンがないと困る
2021年4月13日
本にはマーカーを入れる。以前は黄色い帯のインクだったが、ここのところボールペンにしている。黄色い蛍光色だ。これでサイドにラインを入れる。けばけばしくなくてよいし、ちゃんと目立つ。愛用の蛍光色ボールペンがあり、これが近くでは案外手に入らない。
一年前、このボールペンのことでひどく困った。新型コロナウイルスの感染拡大の中、初の緊急事態宣言が出され、それを売っていた大型書店が閉まったのだ。確かに私は、手許に数本、予備のペンをもっておく主義だ。いつどこでインクが切れても、次を準備しておくためである。しかしこのとき、偶々予備のペンを買っていなかったので、1本しか予備がなかった。
1本あれば十分だろう、と思われるかもしれない。だがこのペン、太さが0.7mmと私のもつペンの中では比較的太く、そして桁違いに本を開き線を引きまくる私にとっては、一カ月もてばよいほどであった。
お気に入りの蛍光色ボールペンが限りある資源となった。私はこれに精神的にやられた。
仕方がない。本によっては、色を変えた。ほかのペンで代わりにならないか。わが家は文具店ができるのではないかと思われるほど、多種多様なペンがごろごろしている。その中に予備の赤や別の黄色もあった。本によっては、これらを使い分けることにした。それまではすべてお気に入りのもので引いていたが、たとえば哲学全集にはオレンジ、雑誌には赤など、本ごとに色を変えてみた。そしてキリスト教の気に入ったものにだけ黄色の蛍光色を用いることにした。これで、もし緊急事態宣言が長引いても、しばらくの間はなんとかなる。しかし、それでも限りがあるため、つまり次のものが手に入らないため、不安がつきまとった。
外出するたびに、空いている店であらゆる機会を用いて、そのペンがないか探した。だが、なかった。インターネットの通信販売に見つかった。だが、市販よりかなり費用がかかる。いよいよとなったらこれか、と嘆きつつ、できるだけ安易にそこに手を伸ばしたくなかった。
このころ、愛用のうがい薬が減ってきたので、通信販売を探したら、とんでもない値がついていた。ふだんうがい薬など買わない人が、急激に危機感をもって注文しているのだ。一部には、トイレットペーパーの醜い買い占めもあったというから、そういうことかもしれない。もしかすると、高値で転売する輩もいたのではないかと思う。
黄色いペンについて買い占めて儲けようという人はいなかっただろうと思うが、とにかく私は焦っていた。
その大型書店が店舗再開したとき、真っ先にペンを探したのは言うまでもない。まだなんとか切れてしまわずにすんでいたので、胸を撫で下ろした次第である。
大袈裟だとお思いだろう。贅沢には違いない。あの頃はマスクも高値だったし、苦労したが、ほかに食料品が手に入らないような国や地域もあることが世界から伝わってくるから、人が生活をするというのは、やはり如何にふだん恵まれているかということを実感する。まして、国を追われ命からがら逃れてきた難民生活をしているとなると、精神的にも厳しいこと限りないものと思う。その人たちの前に、法律という壁がそびえ立ち、入国が止められ、あるいは収監される現実がある。法律とは何だろうという気持にもなる。その法律を支持してしまっているのが、選挙をする私たち自身だ。
贅沢な私の危機感は、贅沢などではない人々のところに、心を向けることができるのだろうか。祈ることができるのだろうか。当事者でないということは、なんと冷たいことであるのか、もう一度噛みしめさせられる。