報道と写真

2021年3月7日

宣言解除後初の週末、人出そろり リバウンド懸念
 
こういうタイトルの新聞記事。そこに、海の中道海浜公園のふわふわドーム(?)で飛び跳ねる子どもたちの写真がある。記事の内容は、そんなに人出が増えているわけではないという、さて、この記事のほうを見て戴きたいのだが、このリンク先の子どもたちの写真を皆さんはどう捉えるだろうか。  
記事内容に、海の中道海浜公園の説明はないが、人出がいくらか増えている、という記述がある。しかし観光地の人では回復していない、というのが記事の主旨であるように見えた。経済のためにそれが必要である、と言いたいことのようだ。これから戻ってきてほしい、という内容であった。
 
この文面からすると、子どもたちの写真を見る目は、たとえばこんなふうなものがあるだろうか。「子どもたちが遊べてよかったな」「けっこう多いな」「密でないだろうか」「先週まではもっと少なかったんだろう」「いまはこんなに増えているのか」その他、いろいろあるかもしれない。
 
私は、花を愛でに2月に海の中道海浜公園を訪れた。行ってみて、人が多いのに驚いた。そしてこの同じドームにあまりに子どもたちがかたまっていたので、失礼ながら遠目に写真に収めていた。ぼかしを入れたものがそれであるが、比べて戴きたい。私の目には2月のほうが子どもは密である。
 
休日となれば、2月からすでに相当に人混みがあったのだ。記事文面と写真とから与える印象は、この事実を全く感じさせないものだとは言えないだろうか。
 
報道による情報提供というものは、先に主張ありきであるかもしれない。そして私たちは、見た写真から、事実と違う印象を簡単に懐いてしまうことがあると覚るべきではないだろうか。
 
特に新型コロナウイルスについては、未知のことが多いだけに、様々な情報が飛び交い、当初の混乱は酷かった。キリスト教界のオピニオンリーダーが、偽の情報を垂れ流しにしているのも見た。注意を促してみても、修正もしなかった。その後も、ニュースソースを利用して、政治家を揶揄したり、何々は酷いとあまり上品でない声を投稿する人も多かった。さて、そのソースは本当に、その非難の根拠として適切であったのだろうか。マスコミや当局に操作されていた可能性は、ないのだろうか。
 
記事の意図するものに、私たちは簡単に乗せられていく。これを弁えておくことは、必要なリテラシーであるはずなのだが、自分は騙されないと口にする人こそ詐欺のカモだという話があるように、私たちの情報に対するシステムは、脆弱そのものだというところからスタートしたいと切に思う。
 
 
※なお、その後、記事のタイトルは「宣言解除後初の週末、人影まばらな観光地」と変えられている。最初は、冒頭のタイトルだった。意図を明確にするためのタイトルも、情報操作に関係するものと思われる。



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