阪神淡路大震災と癒し

2021年1月17日

「癒し」という言葉がいまのような使われ方で広まったのは最近のことだ。ある調査を借用すると、1988年にマスコミに登場し、1994年から急増しているという。そして1998年から大きく取り上げられたことが見られるのだそうだ。
 
災害からの癒しについて、日本では、安克昌(あん・かつまさ)という医師が、貴重な足跡を遺している。1995年1月27日の5:46と言われる。神戸から淡路島の辺りを中心として、京阪神地域を広く地震が襲い、とくに神戸の街は大火災に見舞われ、焼け野原となった区域があった。各地で建物は崩壊、電鉄会社や高速道路も大きな破壊を受けた。安克昌さんは、精神科医として現場で対応にあたり、心的外傷に対して多大な対症措置をした。心的外傷というと、聞き慣れない方もあるかとは思うが、「トラウマ」と聞けば恐らく誰もがご存じのことだろう。「心的外傷後ストレス障害」も、その後「PTSD」という略称で広く知られるに至った。
 
昨年2020年のこの日付を以て、『心の傷を癒すということ』の新増補版が発行されている。元々この本は、1996年の第18回サントリー学芸賞を受賞したものだが、2020年1月28日から、NHKで同題のドラマが4話にわたり放映されたため、それを記念して、番組についての説明なども含めて、かなり厚い本となって出版された。ドラマは俳優の柄本佑さんが好演し、評判だった。ラストシーンでは、実のお子さんたちも特別に出演するひとこまがあった。このドラマを再編集して、一本の映画として公開されることになるというニュースが、昨日流れていた。素晴らしいドラマだった。テレビドラマの「間」の取り方が削られるのだろうとは思うが、ぜひ多くの人に見て、知って戴きたいと願っている。
 
「癒す」という言葉は、聖書にたくさん登場する。特にイエス・キリストが人々の病気を治した記事の中に、度々「いやされた」のように書かれている。キリスト教会にもかつて「癒しの集会」というのがあり、病人を呼び集めて、癒しを祈るような集会があった。
 
「癒し」については、また改めていろいろ語らせて戴こうかと思う。ただ、ひとつだけお考え戴きたい点がある。いったい、「どうなったら『癒された』ことになるのだろうか」ということである。
 
たとえば、病気が治ったらだ、と単純には答えられるかと思う。それは、何か病気というものが、本来ないものだったのに後から付け加わったので、邪魔なその病気というものを追い出した、のようなイメージで捉えればよいことなのだろうか。それでは、「悪霊」を追い出したという記事と実は全く同じことではないか。現代人は、聖書の中の「悪霊」の記事を、古代の迷信で医学を知らない人々の錯覚のようなものだと嘲笑しがちであるが、しかし先のように考えたのだとすれば、「悪霊」というものを「病原菌」だとか「癌」だとか呼び換えているだけのことで、実のところ構造は何も変わっていないのではないだろうか。
 
また、事故で腕を切断した人がいる。もしも癒されるというのが「元に戻る」ことであるならば、この人は決して癒されることはないだろう。ほかにも、「心が癒される」というのはどういうことなのだろうか。いったい、「どうなったら『癒された』ことになるのだろうか」、考えてみれば私たちは何も分かっていないのではないだろうか。
 
阪神淡路大震災は昨年、発生後四半世紀を超え、次は半世紀へ向けての旅を始めた。すでに、関東大震災からはやがて百年を迎えることになる。今年は、東日本大震災から十年。すでにこの震災ですら、過去のものとなり、へたをすると忘却されてしまうこととなっている。福島の原発は安全だなどと偉そうに論評している老人が、東日本大震災発生の年号をも間違えているのを見たことがある。
 
安克昌さんが元来PTSDについて学んだのは、オーストラリアのラファエルによる『災害の襲うとき』(みすず書房)であった。この本は邦訳されており、入手可能である。『心の傷を癒すということ』と共に、開いてみることをお薦めしたい。
 
キリスト教会が、なんの思索もなく、流行り言葉であり呪文であるかのように、「癒す」だとか「寄り添う」だとか、非常に無責任に、そして「当事者」からすると残酷な響きでぶつけられるような形で、言い放っているように私には見えることがある。もちろん私もその例外ではない。ただ、自らは思いやっているつもりで、さらに具合の悪いことに自分では良いことを言っているようなつもりで口にするような、そんな「癒す」「寄り添う」が、「当事者」からすればとんでもない刃のように聞こえるという可能性を、私たちは想定することからまず始めてみたいと思っている。
 
いま私は、何人かの声による「当事者」についての思索を味わって学んでいる。近年よく言われるようになったこの言葉は、実は私が哲学を始めるときのひとつの重要な視座に深く関わりがあるものだと分かってきた。しばらくまた切実な思いで、これについて問うていきたいと考えている。私は必ずしも、阪神淡路大震災の「当事者」にはなれないのだけれども、曲がりなりにも、あの揺れの何分の一かは味わっている。そして、何度も足を踏み入れた場所の被災状況を知っている。偉そうなことは言いたくないものの、何か言えることがあれば、探し出して、言わなければならないと思っている。



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