コロナが変える社会とこころ
2021年1月13日
こころの科学 215号(2021.1)
書店で、ふと魔法をかけられることがある。目が、その表紙に釘付けにされ、ふらふらと近づいていく。手に取ったが最後、もうその本を自宅へ連れて帰らなければ、気持ちが落ち着かないようになってしまう。
その日、「こころの科学」というタイトルに、何故か目を奪われた。特集記事が「コロナが変える社会とこころ」とあった。
学生時代、幾度か買ったことがある雑誌。ずいぶん遠ざかっていたが、このタイトルは、新型コロナウイルスの拡大する情況で、人のこころがどうなっているのか、どう分析されているのか、精神科医や心理学関係者、現場の医師などの執筆者の声を知りたいという最近の私の気持ちを捕まえて離さなかった。
いろいろ収穫があった。「被害者・加害者という構図」を生みやすくなること、「慈悲、赦しの重要性」が必要であること。「生き方や働き方を見直す人が増えて」おり、「当たり前の生活ができることに感謝する気持ちが強くなったりした」と話していること。
学生については「青年期の友人関係はアイデンティティの確立に影響を及ぼし、人格形成と密接にかかわる非常に重要な問題である」こと。また、「人の行動を決定する動因は、科学的根拠に基づく良識ではなく、恐怖心や憎悪・怨恨・嫉妬といった負の感情であることが多い」ことも教えられた。さらに「戦争という集団的狂気の最中に良識を保つことがいかに難しいか」も説かれていた。
こうした「コロナ禍にともなう環境変化に対し、人の柔軟性が十分でないと精神症状へと発展してしまう」ことが指摘される中、医療現場では、「従来の災害でのボランティア活動などと異なり、感染の問題は連携を分断するものである」ことが感じられている。それでもなお、「多くの若手医師がこの診療に進んで参加し、立ち向かっている」ことを頼もしく見つめ、「今の若手医師に日本の医療の将来を託しても大丈夫、と思った」という声もあった。
現場では「日本赤十字社としても初めての試み」として、サポートガイドの作成には心理臨床の関係者が集められた事情も明かされ、大学病院では看護師のメンタルヘルスを守るための努力がなされ、「何が、誰が、良い・悪いということ」ではなく「相手を否定せずに、お互いの考え、立場を話し合えていることが大切なこと」だと考えさせられたという感想もあった。
他方、看護現場では「今回の感染拡大を"災害"として捉えて支援する必要がある」と考えられ、「察するに余りあるストレスフルな状態」であるうえに、「医療機関にとっては未曾有の出来事である医療資材(マスク、ガウン、手袋等)の不足によって、入院患者への直接ケアが最小限になった」ことが改めて訴えられた。このことは今一般社会では忘れ去られているような気がするのだが、どうだろう。
私たちは「物理的「密」を避けながら診察の内容を「密」にすること」が望ましいという希望もあったが、逆に、「感染症患者への偏見や差別が、目の前に存在する子どもという弱い存在に向けられる構造」があり、「新型コロナウイルス感染症は、私たちの社会とこころに潜在するものを端的にあぶり出した」と漏らす深刻な発言もあった。
「新型コロナは社会的格差や劣悪な生活環境、障害者など社会の弱いところをついて拡大した」ため、これの解決のために望ましい各方面での必要が挙げられ、「自立した個人が増え、対話を文化にし、本当の自由と民主主義」を日本で実現したいと期待する声で、特集頁は終わっている。
ある文章で「医療崩壊という言葉が一気に現実味を帯び緊張感が高まった」と思い返しているのは、四月一日のクラスター発生の時の思い出である。本誌の記事の執筆時期は、秋である。そこで全体的に、いくらか楽観的な口調が見られる。その後、冬になり感染拡大は勢いを増している。いまの精神科や病院の現状は、この執筆時とは比較にならないくらいに逼迫していることだろう。
医療崩壊と経済破綻を防ぐにはどうすればよいか。それは、私が、あなたが、自身と触れあう人を守る行動をきちんととることである。「こころ」が崩れるばかりでなく、いまや「からだ」と「社会」が壊れていくことを回避するには、自分を例外と考えないことである。自分とひとを愛するということの重みは、本当に現実のことであるのだ。