スタートライン
2021年1月1日
正月。これは元来、旧暦の最初の一カ月の月の名であり、松の内と称する、半月ないし一週間をそのように指すようになり、あるいはまた三が日に限って言う場合もある。1月1日は祝日としての「元日」である。「元旦」は、「旦」の文字が地平線と日の出後の太陽を表すとされ、元日の朝を表すので、午後の行事について元旦とお知らせしてはならない。
正月は、年神(歳神)を迎える時である。スサノオの子として生まれたというのが、年神の正体らしい。これは日本神話の世界。陰陽道ではまた別の存在があるともいう。正月になると各家庭を来訪するといい、豊穣をもたらす守り神と見なされているようだ。年末の大掃除は、そのための仕度にほかならない。また、これは祖先の霊と考えられることもあり、そうすると正月の儀礼は、死霊に向けてということにもなる。
ややこしいのは、その正月というのが、太陽の運行に基づく立春をいうのか、月の運行に基づく旧正月をいうのか、歴史の中でも変転していることだ。本来は、月に基づく旧暦であったはずなのだが、改暦の後には太陽暦から正月としている。世界における取り決めにも関わり、新たな一年の始まりとする時にも、諸事情が絡まっている。
新しい年という名は、何かが始まるという気持ちを伝える。私たちは、これまでの出来事を水に流して、ここから新しく何かを始めることができるし、新しい歴史を刻む気構えが可能になる。これまでがどうであれ、今日からまたやり直せるのだ。
平原綾香に「スタートライン」という曲がある。彼女の作詞である。「子供を救おう!未来を守ろう!」キャンペーンの主題歌として作られた。
走り続けたい
どんなに傷ついても
いつか僕は新しい
スタートラインに立つ
親に愛されることを知らないという子どもの立場から歌う1節のサビの部分である。子をうまく愛せなかった親の立場から歌う2節。どちらも切ない。平原は、詞を作りながら自ら号泣していたというエピソードを本人が語っているのを聞いたことがある。
新型コロナウイルス感染症が2020年を席巻した。否、支配したと言ってもいいほどだ。そのことについては殊更に説明はいらないはずだ。疫病そのものに苦しんだ人、亡くなった人がいる。経済的に絶望の縁に追い込まれた人がいる。学業的にほぼ無為な思いで孤独を過ごした若者がいる。生活と生命のすべてを献げるように医療に従事し、そのあげくに差別と偏見を受け心身ともに追い込まれた人がいる。家族に会えないなどの悩みを含め、コロナウイルスに限ってももっと様々な問題を抱えた人がいる。もちろん、災害やいじめなどのため、いま消えてしまいたいと思っている人がいることを思うと、挙げ尽くすことなど不可能だ。一人ひとり、置かれた情況や立場において、苦難を味わい、暗闇の中を過ごしている。
その2020年のカレンダーを外して、2021年のカレンダーを今日から使う。過去へすべてを葬って、新しい歩みを始めたい。誰もがそう思う。希望はあるのか。期待してよいのか。ワクチンが実用され始めたことは喜ばしいが、すでにウイルスの変種が生まれたともいい、そうするとそれに対するワクチンはどうなるのか。このいたちごっこは今はどう見ても人間に不利だ。
今日がスタートラインになれるのか。それとも、本当のスタートラインはまだこれから先にあるものなのか。レールを誰かが敷いてくれるのを期待するばかりでなく、自分もまた、何かができるだろう。人々が、互いに誰かのために何かができる、そういうスタートでありたいと願う。
「スタートライン」の歌詞は、先ほどのサビが、すぐ続いて少し変化した形で結ばれる。私もまた、幾度涙したか知れないこの部分が、また響いてくる正月である。
走り続けたい
どんなことがあっても
神さまがくれた
スタートラインだから