【メッセージ】控え目に言わせて
2020年11月15日
(コヘレト12:1-2)
青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。(コヘレト12:1)
「君には無限の可能性があるんだ」
青春ドラマでありそうなセリフ。実際、教育現場では投げかけたくなりそうな言葉であり、先生の話に、出てきませんか。何かスクールのコマーシャルにもありましたっけ。
若い世代に対しても、それから小学生などにも、おとなが言ってしまうかもしれない言葉。それを聞いて、「そうなんだ」とやる気になる子がいたなら、それはそれでよかったと言えるのでしょう。他方、こんな言葉を向けられると、プレッシャーを感じてしまうという人もきっといるでしょう。そんな期待ばかり背負わされて迷惑じゃん、と憤る人もいるのでしょうか。
確かに「無限」とちと大袈裟かもしれません。きっと何かできるよ、好きなことをすればいいんだよ。親が、子どもをリラックスさせようと、そんなことを言うのは日常的なのですが、NHK朝の連続テレビ小説「エール」では、これが親子の分断の原因になった、という場面がありました。音楽的才能に恵まれた両親の娘が、そんなふうに言われて、反抗するのです。自分には何もない、と傷つくシーンは、迫真のものでした。
何をしてもいいんだよ。これが実に辛い。作文の課題でも、「自由課題」だと、子どもは何を書いてよいのか分からなくなります。むしろ、「遠足のことを書きましょう」などと言われたほうが、子どもはうんと書きやすいと手を動かせるのです。何を書いてもよいと言われるのでは、何を書いてよいか分からなくなるだけです。
これは哲学的な装いで考えると、「自由」という概念の捉え方の比較的新しいものに関係してきます。これは恐らく19世紀後半あたりから意識されてきたように思われます。ヨーロッパ社会が革命を経て、自由を重視する社会へと変遷した背景で、何かしらすっきりしないものを哲学者たちが感じ始めたということだと思います。
自由は大切なもので、結構なものではないか。いや、単純にそのように言えるのかどうか。それが先ほどの、何でも書いていいよという作文を前にしたときの戸惑いと気持ち悪さです。何もかも自由に自分が決めるということは、どうしても不安になるのです。むしろそれは「眩暈」を呼ぶ、とも言います。実は自由には責任というものが伴います。自分が自由に選んだことについては、その結果についての責任を、選んだ自分が負うことになります。他人の言いなりにやったことについては、それほど自分の責任だという気持ちを懐かずに済みます。自由でないほうが気楽なのです。
なんでも自由に決めてくれ、というのはその意味では一番苦しいものです。近代社会が基本概念とした「自由」でしたが、必ずしもそれが理想そのものではなかったことが分かります。かといって、ここまで浸透してしまった自由をむしろ制限したほうがよいはずだ、という懐古主義の求めるままに歴史を戻すことはできせん。アーミッシュと呼ばれる人々は、機械文明を利用せず、いつの時代だろうというような生活を続けていますが、その信仰の姿のように、新しい時代に容易には乗らないという生き方もあることを思い知らされます。彼らは、ある意味で歴史を元に戻しているような生活をしていることになります。けれどもこうしたことは例外中の例外でありましょう。
「君には無限の可能性があるんだ」というのは、励ましや希望を表す、とも考えられますが、言われた若者にとっては、残酷であるか、プレッシャーのかかるものであるか、それは朝ドラ「エール」で少し描かれていた親子のぶつかり合いからも、推察すべきものと思われます。
しかしそれよりもまた別に、「無限の可能性」という言葉のレトリックをまともに読んではいけないことを思い知らされます。人間はそもそも、有限ではありませんか。しかし若者には無限だという言葉を贈る。応援しているつもりであるが、言われたほうが苦しくなると共に、このおとなたちの発言は、余りに無責任なもの、と呼ぶことはできないでしょうか。自分はもうやり直しの利かない人生を送ってきて、まあ失敗だったと思う場合もあるでしょうが、なんとなく満足して振り返るような状態にありながら、若者に対しては、すばらしい者になれ、とプレッシャーをかける、言うなれば無責任な応援をしているだけ、そんなふうに私は感じてしまうのです。
私はその世代ではないし、話に聞くくらいしかなかったのですが、全共闘世代の若者は、大学にたてつくのが生き甲斐であるかのようだったそうで、大学組織や教授たちを糾弾しまくっていました。安保闘争だけでなく、社会的な要求もあった中で、内部抗争や過激派による犯罪行為で自滅していったことは、ある意味で残念でした。
その反動なのか、それに続いた世代は、無関心世代・シラケ世代などとも呼ばれました。「シラケる」という言葉も最近流行らなくなりました。それは闘争的ではないにしろ、それでもなお、おとなたちの言いなりになっていたとは言い難く、それなりに反抗をしてきました。フォークソングも、元来そんなおとなへの反発に由来するものでしたが、次第に情緒的な世界を歌い、ニューミュージックへと進展してきたような様相を帯びています。戦争を知らず、戦争の気配もなく育った世代は、かつてのおとなからすれば何を考えているか得体の知れないものと映り、新人類などと呼ばれました。
けれども、こうした若者たちは、つまりいまから見れば「かつての若者」たちにしても、それなりにおとなに変わっていきます。いまのおとなたちも、かつては若者でした。反抗しました。しかし、かつて自分たちが批判していた、あの「おとな」に、やがて自分たちがなることを避けることはできませんでした。すると、あの「おとな」と同じようなことを、言うようになります。「そうは言っても世の中は理屈通りにはいかないんだよ」などと、経験を重ねたいっぱしのおとならしく、教訓を垂れるのです。かつてはそれを、くだらなく汚いことだと忌み嫌っていたはずなのに。
いやはや、若い方々には、夢のないことばかりお話ししてしまったかもしれません。こんなダメなおとなたちではあるけれど、若い皆さんには、「エール」を贈る気持ちが嘘なのだ、というつもりはないのです。次の世代を託すためには、何をすればよいか、考えないはずがないのです。
このコヘレトもまた、そんなエールを贈っています。そもそもこの「コヘレト」と訳した人物、どんな人物だったでしょうか。以前は「伝道者」などとも呼ばれることがありましたが、それだけで説明できないので、仕方なく原語の響きのままに「コヘレト」としたようですが、だからこそ、私たちにはただの固有名詞のようにしか聞こえなくなってしまいました。
聖書は、一部の例外を除けば、人間の容姿や恰好というものを殆ど問題にしません。福音書のイエスは自然に目を向けますが、パウロに至っては自然には一瞥もしていません。その福音書でさえ、イエスの容姿については全く口を閉ざしているのです。また、しばしば人物の年齢についても曖昧なままに描ききっています。私たちのリアリズムとは違うのです。それで、コヘレトについても、私たちが人物像を捉えることが困難な中にあります。けれども、なんらかの年齢を重ねた人であろうことは、読んでいて感じます。あらゆることを試みてきたというからには、生活に余裕があったに違いなく、財産も豊かであったことでしょう。いわば好きなことをやれた立場にあったということです。お金も時間も、苦労することはありませんでした。そして知恵にも恵まれていたことは容易に想像できます。それでイスラエルの伝統では、これはあのイスラエル最大の繁栄の中で君臨した王ソロモンに違いない、などと囁かれるようにもなったのです。
12:1 青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。
基本的に、今日はこの部分だけ心に入れて戴いたら十分でしょう。歳を重ね、人生の真理を探究してきたいいおとなが、未来の長い若者たちにアドバイスできることがあるとすれば、これだけなのです。これが精一杯だということなのです。次の世代の若者たちは、経験や知識にまだ乏しいことでしょう。知識はあるかもしれませんが、経験の裏打ちがまだなされていない。それに対して、失敗の連続だったかもしれないけれども、このいいおとなは、実際にやってみたこと、見聞きしたことという経験が確かにある。頭ではこれがいいと思っても、実際にやってみるとこんな困難があり躓くのだ、という痛い経験をしている。だからこそ、この経験という財産を、いくらかでも、若者に知らせたい、という気持ちが起こるのです。しかしそのおとなたちも、かつて若者であった頃に、そんなメッセージを受けていたはずです。しかしそれを聞きませんでした。その故に失敗を自ら経験するしかなかったのであり、このようにして人間社会は、年配者の警告を無視した末に、また自ら痛い目に遭い、それをいずれ警告として発するものの、それをまた若者たちは聞いてくれずという、発展性のないループを回り続けているだけのような気もしますが、そんなふうに言うと、あまりにも悲観的でしょうか。
コヘレトも、そのあたりをさて、感じているのかいないのか、それでもなお、自分にできることは、次世代を担う人々に、言わないわけにはゆきません。余計なお節介はやめたほうがいい。無限の可能性だなどと、不安ばかりもたらすもの、無責任な押し付けのようなものも、やめておこう。結局、何々をしろ、とも、何々をするな、とも、軽々しくは言えない自分を見つけてしまいます。でも、それでも、これだけはいま言いたい。コヘレトは、できるだけシンプルに、ここだけ考えてくれ、と言葉を発します。「お前の創造主に心を留めよ」と。
と、気になって原文を眺めてみました。日本語で受けるニュアンスと、何か違うようなことがないか、という目で見てみると、ありました。冒頭の言葉です。最初の言葉が「覚えよ」なのです。「覚えよ、おまえの創造主を」のような順番です。外国語だから語順が違うのは当然だろう、と思われるかもしれませんが、この部分に来たとき、読者が目にするのはまず、「覚えていろよ」という、喧嘩の後の捨てぜりふのような語からだったというのは、どんな印象を与えるものか、改めて聞き直してみてよいのではないかと思うのです。
「覚えとけ」という一言が、ずんと響いてこないでしょうか。
しかし、もう少し原文をよく見ると、この「覚えとけ」にはおまけがありました。「そして覚えとけ」と訳して然るべき表現がとられているのです。ここまでの前の内容を踏まえ、受け継いでいるということなのです。日本語訳にはこれが反映されていませんが、確かに、受け継いでいるニュアンスがあります。12:1があまりにも有名であるだけに、そこに目が奪われていました。私たちは、この言葉が出て来る背景に目を留めることを忘れてはなりません。それを無視して、いきなり格言のように「お前の創造主に心を留めよ」では不十分だったはずです。そこでこれに先立つ若者についての言及について見てみましょう。
11:9 若者よ、お前の若さを喜ぶがよい。青年時代を楽しく過ごせ。心にかなう道を、目に映るところに従って行け。
そう。コヘレトの言葉は、空しい空しい、あるいは「空」を繰り返し、気が滅入るようなことばかり度々言ってきました。それでも根本的には、ペシミストになりきれないような文書であるように、私たちはここまで読んできたのでした。確かに「空」を感じることが世界にはたくさんある。けれども、何か肯定できるものがあるに違いない。肯定できるものを見出すために、肯定できないことを、これまで省いてきたのだというふうに捉えることができるかもしれない。あれではない、これでもない、と除外を重ねてくることにより、残ったものが大切なのだ、というように見出していく過程がここにあるかもしれない、と考えるのはどうでしょうか。邪魔なものを否定して遠ざけてこそ、本当に受け容れるものが見つかるという考え方です。おおぜいの異性にもてるから、とその誰をも大切にしているだけでは、実はいつまでも孤独なのであって、唯一の伴侶、ただひとりの大切なひとを見出すためには、誰もかれもを個人的に愛していくわけにはいかない、などという説明をすると、お叱りを受けるでしょうか。
だから、と申しましょう。コヘレトは、ここでも若者に対して、敢えて生き方を伝授します。聞いてくれるだろうか、しかしこれが知恵だ、精一杯求めてきた末に見出したことだ。若者よ、と心を向けます。但し、そこで「君たちには無限の可能性がある」などとは言いません。そんな詐欺めいたものに夢想するのではなく、「いま、ここ」を生きることに確かな目を注ごう、そしてそのように生きよう。いま君はどうしてる。若いね。若さが確かにあるね。それが分かった。じゃあ、素直にそのことを喜べばよい。シンプルに言おう、「喜べ」。コヘレトはそう告げているように聞こえます。こうしたメッセージ、ちらほらとこれまでも顔を覗かせていました。少し拾ってみます。
3:12 わたしは知った/人間にとって最も幸福なのは/喜び楽しんで一生を送ることだ、と
5:17 見よ、わたしの見たことはこうだ。神に与えられた短い人生の日々に、飲み食いし、太陽の下で労苦した結果のすべてに満足することこそ、幸福で良いことだ。それが人の受けるべき分だ。
5:18 神から富や財宝をいただいた人は皆、それを享受し、自らの分をわきまえ、その労苦の結果を楽しむように定められている。これは神の賜物なのだ。
5:19 彼はその人生の日々をあまり思い返すこともない。神がその心に喜びを与えられるのだから。
9:7 さあ、喜んであなたのパンを食べ/気持よくあなたの酒を飲むがよい。あなたの業を神は受け入れていてくださる。
これらは、ある意味で伏線だったと思われます。その伏線が、間もなくこのコヘレトの言葉の終盤にさしかかった中で、専ら対象を若者に絞ったような言い方で、人生の喜び方をアドバイスします。若者としても、どうでしょうか、このようにアドバイスする人生の先輩がいたら、ちょっと受け容れてもよいような気がしませんか。
11:9 若者よ、お前の若さを喜ぶがよい。青年時代を楽しく過ごせ。心にかなう道を、目に映るところに従って行け。
このようにちょっと心許してもいいと思わせる言い方をばらまいてはいますが、これで全部を終わらせるようなことをコヘレトはしません。これを結論としているのではないからです。それで、このような人生の肯定は、必ずしも無条件の肯定ではないような気がします。いま「喜べ」「楽しく過ごせ」と言ったそのフレーズに続いて、間髪を入れず、コヘレトは次のように告げます。
11:9 知っておくがよい/神はそれらすべてについて/お前を裁きの座に連れて行かれると。
これは怖い。ここまで、喜べ・楽しめ・。好きな道を行け、と行ってきていたように見えました。そこへ「但し」と目を光らせるような表情で告げるかのように、「裁きの座」が待っている、というのです。
いま「怖い」と言いましたが、「怖い」と思った人は、「裁きの座」という言葉に、「罰されるんだ」という意識をもったのだと思います。ということは、この人は「喜べ楽しめ」を、神の前に悪いことだと判断したことになります。たとえば「好きにしていればよいさ。その代わり、後悔するぜ」と言っているかのように感じた人です。その人は、喜べ楽しめと言われたときに、どんちゃん騒ぎで傍若無人な振る舞いを好き勝手にするのだ、と思っていたのではないでしょうか。
他方、「怖い」と思わなかった人もいようかと思います。「喜べ楽しめ」という言葉に自分が対応することが、神に罰されるようなことではない、と想定していた人は、びくびくする必要はないわけです。「裁きの座」、どうぞどうぞ、というわけです。
「喜べ楽しめ」は、聖書の精神からすると、実はこの後者のケースが標準となります。パウロ書簡には非常に多くこの「喜ぶ」という言葉が登場します。「主に喜ばれる」という表現も多いのですが、パウロ自身、またパウロが手紙を書き送った相手が喜ぶ、または喜ぶように、という使い方が目立ちます。キリスト教は、喜ぶ信仰をもたらします。
どうかすると、人里から隔離された粗末な館で、苦痛に耐えながら修行をしているような熱心な修道者を理想とする姿を、キリスト教に想像する人がいるかもしれません。いえ、こういうことを言うと多くのプロテスタントの信徒の方は、冗談だと笑うことがあるのですが、私は必ずしも笑えないと思うのです。
正しいもの、美しいもの、善いもの、それを慕い求めていく若者を、嗤うことができるのでしょうか。いえ、キリスト教会もまた、それを求めて来ているのではないでしょうか。そう言うと、斜に構えたおとなが、「教会だって人間の集まるところだから、理想だなんて思ってもらっちゃ困るよ」とか「教会は罪人の集まりなんだ」とか言う場合があります。それはある意味で正しいことです。しかし、何かしら純粋に正しいことを求めて教会に行ってみたい、という人々の願いは、果たして間違っているでしょうか。そうしたことを求める人は世の中に確かにいます。教会はそんな人を、純粋でウブだなどと評して、追い返すようなことをしていないでしょうか。それでよいのでしょうか。キリスト教会に、正しさや善さの魅力がないとき、それを求める若者たちが、カルト宗教求めた、とまで言うと、言い過ぎなのかもしれませんし、自意識過剰なのかもしれませんが、そのような考え方をする必要があるほどに、教会はいったいどういうところであるのか、もっと世の中の「どこにいるのか」を考える視点をもってよいのではないか、と切に思います。
戻ります。「裁きの座」という言葉を、怯えるのではなしに、「そうあってください」と願うような生き方をする、そのように、「喜び楽しむ」ことが、ここでは望まれていた、そのように捉えてみたいと思います。だから、もうくよくよしないでいい。神の意に適う喜びの生活を、君たちは送るとよいのだ、というコヘレトから若者たちへの助言だと受け止めて、ここの最後の言葉を味わいます。
11:10 心から悩みを去り、肉体から苦しみを除け。若さも青春も空しい。
最後の「空しい」は、「つまらない」意味には取らないようにしてみます。それこそ、これまで述べてきたような、新しい解釈路線を表に出して、「束の間」の意味でいまは読んでみることにします。くよくよするなよ、苦しい思いもいらないんだから。短い青春の時期を、もっと大切に、喜び楽しめる生き方に、しようじゃないか。こんなふうに読んでみたいのです。
12:1 青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。「年を重ねることに喜びはない」と/言う年齢にならないうちに。
だから、自分を創造した神のことを考えてみよう。「私はどこから来たのだろう」という、哲学からしても根本的な問いを、誰しも考えたことがあるだろうと思うのですが、私を創った方がいる。そのことを心に刻んでおこう、というのです。
ところがこの後、レトリックの強いフレーズが並んでいます。「苦しみの日々」「歳をとっても喜びがないという歳になる」「太陽が闇に変わる」「月や星の光がうせる」「雨の後雲が戻ってくる」と立て続けにまくしたてています。表現そのものは、当時の人々の心に響くものだったでしょうから、文化の違いについてとやかく言うつもりはありません。言いたいことは、いずれも歳をとってから後悔するようなありさま、後からはもう取り戻せない残念な生涯というものを指摘したいということではないかと思われます。
おとなから若者にアドバイスできることは、若者からすればしばしば鼻につくものであり、うるさいお説教ということになるのでしょうが、もしかすると、こんな失敗があってなぁ、としみじみ語るとすれば、ちょっとは聞いてもらえるでしょうか。失敗を語るようで、自慢の心というものも人間心理にはあるので、気をつけないといけませんが、それよりも一番嫌なのが、明らかな自慢話。こうやって成功したんだぞ。これが世の中には蔓延しています。成功談は、しばしば本となって、刺激的なタイトルが付けられていますが、それを読むと自分も成功するんじゃないか、という読者心理をもくすぐり発行が絶えません。でも、たとえ百人に一人でも、成功者がいれば、その成功者が本を書いているだけなのであって、その人の成功過程は、そのようにすれば必ず成功する、という訳ではないはずです。そうした方法があれば、それを真似すれば百人とも成功するはずですが、世の中そんなふうにはいきません。しょせん成功者が振り返って語っているだけなので、こうすれば成功する、というようなアドバイスとして有効になることはないのです。意地悪な言い方をすれば、ただの自慢話であり、その自慢話を売ってさらに金を儲けるという仕組みになっているだけだ、とも言えるでしょう。意地悪すぎる見方かもしれませんが。
やっぱり、おとなが若者に説教を垂れるというのは、若者からすれば、心地よいものではないようです。成功談を聞いても、自分はそうはいかないという思いに潰されそうになるし、失敗談ばかり聞いても、なんで愚痴に付き合わなければならないんだ、と損をした気分になるでしょう。そうなると、おとなはどんな話をすればよいのでしょう。
今年の夏、ユニークな本が出版されています。『次世代への提言!』という本です。「神学生交流プログラム講演記録集」というサブタイトルが付いています。これから牧師や伝道者などになろうという、神学生たちが集まる機会に、先輩の牧師や神学者が、自分の体験談とアドバイスをする機会があるのですが、この十年のその講演を集めた本なのです。
それぞれベテランの方々で、日本のキリスト教世界で小さからぬ役割を担い、オピニオンリーダーとしても活躍した方々。名前を聞けば、おお、となるような方ばかりですが、その方々が、若いころにどんな不安を懐いていたか、苦労や失敗があったか、しかしそれをどう乗り越えたのか、あるいは神により導かれたのか、そんな体験談を多く語っています。
この方々も、教会や講演で、そうした過去の体験を語る機会はあるかもしれません。けれども、この本の原稿は、相手が神学生たち。一般の方々に話すのとは趣が違います。より深く、立ち入った事柄に触れていると思われ、事実渡しも、この方々について初めて聞くような話が多々ありました。
本の内容をいまここでご紹介することはできません。ただ、このようなメッセージは、確かに若者へ向けてのものであると言えるし、そこに「提言!」と付けられているところを見ておきたいと思います。ここにあるのは、「こうすればよい」とか「これはするな」とかいった押しつけがましい態度ではないと思いたい。本の帯にも「次世代の教会を担う人たちに贈る渾身の言葉」と書かれてあり、これを素直に受け止めたいと考えます。
このとき「次世代の教会を担う人たち」とは、もちろんこの本の講演の場では、神学生たちに違いありません。けれども、これが本になったとき、様相が変わってきます。読者がそこに巻き込まれるのです。私に向けても、この渾身の言葉が贈られていることを、ひしひしと感じるようになります。神学生さん、頑張ってね、と他人への言葉として距離を置いて流れるのではなく、自分のことだと迫ってくるのです。
そこにあるメッセージは、決して恰好つけた成功談ではありません。かといって、だらしない半生の暴露でもありません。昂揚して、神はこんなに素晴らしい、とキラキラした目で演説しているのでもありません。ひたすら、神を見上げつつ歩んできた自分の姿を、人間として精一杯誠実に語ろうという思いだけ懐きつつ、語っているようなものです。それは、実は背後に確かにある神の導きを伝えることにもなろうかと思うし、それは聞く側がそのように受け止めればよいのではないかと私は思います。もし神を信じることが薄い人や、そうした信仰をもたない人がこれを聞いても、何か人間の真摯な生き方というものが届く、そういう講演ではないかと私は感じました。
「次世代の人たちに贈る渾身の言葉」というコンセプト、それが実はこのコヘレトの言葉ではなかったのだろうか、と私は教えられました。コヘレトがどう狙ったか、それも気になりますが、今日は、やはり次の一言を、私たちそれぞれが、つまり「あなた」が、どのように受け止めたか、そこだけが残るものであればよいと願うばかりです。私としては、お節介かもしれないおとななので、控え目に言わせてください。