言い訳
2020年11月8日
なかなか賢い小学生がいて、中学受験を目指しています。真面目で素直な男の子なのですが、この日、宿題をすっかり忘れてしまっていました。人間、忘れることはあるものです。ふだんはちゃんとやっているので、強く叱るようなことはもちろんしませんが、それは失策であるということはひとつ認識させる必要がありました。
――どうして忘れたの。尋ねると、「時間がありませんでした」と彼は答えました。実は一回休日があり、ふだんより時間的には余裕があったはずです。けれども、人の生活そのものに踏み込み、「そんなはずはないだろう」と決めつけて責めることは、私はしません。彼は、時間がなかった理由も少し説明しました。本当にそれでその宿題ができないほど、分刻みの生活をしているとは思えませんでしたが、それでも問い詰めはしませんでした。
実は、彼以外の全員(人数が多いクラスではありません)、なぜか示し合わせたように、宿題をすっかり忘れていました。これは実に珍しいことであり、いまもって謎です。しかし、とにかくそれをひととおり解いておかないと授業はできません。――仕方ないから、いまから少し時間をあげるから解いてみてごらん。私は命じて、しばらく待つことにしました。
すると例の彼は、10分後に全部解き終わりました。前を向いて、涼しい顔をしています。終わったの? 彼はにこにこして、誇らしげに「終わりました」と答えました。
――いま、君、自分で自分の首を絞めたこと、気づいてる?
私が意地悪く尋ねます。彼は不思議そうな顔をしています。聡明ではあっても、そこは子どもなのですね。いまお読みの皆さんは、もちろん意味がお分かりだと思います。
――君はいま、10分で解いてしまいましたが、この一週間で、10分間という「時間がありませんでした」と君は先ほど言いましたね。本当でしたか。
これを笑顔で言うところが、互いの関係の上にあるということなので、この生徒のことについては、ご安心ください。彼には私の意図が伝わったようでした。ところで、こんな子どもじみた言い訳、私たちおとなも、しているのではありませんか。神の子どもとして、どれだけばかばかしい言い訳を神に対してふだんやっているか、我が身を振り返るばかりです。