世界哲学史
2020年9月9日
先般、ちくま書房の新書としてシリーズ化された「世界哲学史」が全8巻、完結しました。2020年1月に発行開始、毎月一冊ずつ発行を繰り返し、8月発行で終了です。
従来の「哲学史」が、どうしても「西洋」哲学史に傾いていたのは事実です。ただ、それには理由がありました。「哲学」と日本語に訳したもの、そして世界的に「フィロソフィー」のような名で呼ばれる知の営みが、どうしても「知を愛する」という形で方向付けたプラトンの描いたソクラテス像を根底としているために、その枠組みから外れるものを、「哲学」の樹につながる枝だとしては扱いづらかったのです。
それを、このグローバルな関係の中にある時代、「哲学」の名でひとつに結ぼうとした企画でした。西洋近代哲学が生んだ理性中心主義がもたらした、戦争や分断、また地球への破壊行為ともとれるような人間の行為を見直そうという意気込みは強く感じられました。
この発行は間もなく、新型コロナウイルスという、予期せぬ事態の襲来を受け、世界観すら揺り動かされるほどの影響を受けましたが、その中で、企画を貫き通した関係者の努力と苦労に、敬意を表したいと思います。
しかし、資料の厚みの故なのか、やはり欧米の思想が多くの頁を割いたことは事実です。それでも、インドやイスラムに中国、とくに日本については、さかんに取り上げられました。南米なアフリカも、僅かではありますが、検討されました。十全とは言えないまでも、世界哲学史の理念への一歩は歩めたのではないかと感じます。
編集者グループの立場や方向性により編集された企画であるゆえに、これでよかったのか、さらにどうすればよかったのか、これから検討されて然るべきでしょう。いったい「グローバル」とは何かという問いも、十分に解答を得ていないのかもしれません。
世界はただの争いや征服といった次元から、世界を見渡せる協力と共存を求める眼差しへと進展してきました。それは、多様性を認め合うという方向性を確かに有するものではあるだろうと思います。けれども、多様性というキーワードさえ口にしておけば善良になれるかのような思い違いも、私たちの身近なレベルでも随所に見られるのは事実です。多様であってもなお、そこに共通なものがあって然るべき、という視点も必要であるように思われます。それが、ここで新たに定義されることを求められた「哲学」ということであるのかもしれません。本企画が目指そうとしている「多元的世界観」とは鉈して何か。今後もさらに問い続けなければなりますまい。問うことを「哲学する」という造語によって共有する試みも古くからありますが、パンデミックという脅威を経験した私たちは、「人間の生」と改めて向き合い、歩み始める者であることから、逃れようとしてはならない位置に置かれているようにも見えます。
哲学のあらゆる分野を網羅したわけではありません。しかし、一読しただけでも、この簡略な説明の繰り返しを見ただけであっても、世界には傾聴すべき様々な思想と文化があることを知ることができます。独り善がりで、これが真理だ、と喜び、それを他人に押しつけようとする「素人」が、本シリーズに触れることで、少しでも減ることを願ってやみません。
なお、この8巻までに収めることのできなかったものを、「別巻」として、2020年12月に発行することが決まっているそうです。早くも楽しみにしています。