デフォー『ペスト』
2020年9月1日
関東大震災からもうすぐ百年を数えようとしています。先般私は、ヨーロッパを襲ったペストや、リスボン地震の際に、果たして教会はどのように対処したのか、あるいは教会の実情はどうだったのだろうか、そんな疑問を呈しました。
もちろんその答えはまだまだです。これからじっくり資料や作品にあたって考えるべきことではあるのですが、ひとつのヒントがありました。100分de名著で2020年9月に、デフォーの『ペストの記憶』が取り上げられるというのです。これは新しい訳による題であり、普及版としては文庫の『ペスト』という題で知られており、古くからいくつかの訳があるといいます。『ロビンソン・クルーソー』で有名なデフォーの作で「ペスト」と付けば、この作品のことであるはずですので、この面白さを黙っている訳にはゆかないと思い、記すことにします。
これは文学作品なのか、タイトルの現代どおり「ジャーナル」なのか、たんなる空想なのかどうなのか、定義に困る作品だと言われています。舞台は17世紀半ばのイギリス・ロンドン。作者は当時幼児でありましたが、18世紀になり、パリで再びペストが拡大しているという知らせを聞いて、かつてロンドンが味わったこの疫病の出来事について皆が知る必要があると考え、資料を集め、またエピソードを調べ、ある意味でとりとめもないままに綴ったものがこれであるとされています。でたらめでない証拠には、当時のロンドンで出された法律をそっくり引用して紹介したり、感染者数や死者数などのデータを随所で載せているからであり、また身近なところでの反応を含め、人々の証言がリアルに描かれていることも特徴です。
私は、文庫本を半分くらい読んだところで、番組のテキストが手に入ったので、そちらを一気に読みました。通常この番組は、まずテレビでガイドしてもらってから原典を読まないと、難解だというものをよく扱うのですが、今回は、まず原典を(もちろん日本語で)読むのは全然困難ではないと思われますので、どちらからでも、お薦めできると思います。
教会関係の方々にお薦めできるというのは、ロンドンの教会の様子がけっこう描かれていることと、デフォー自身がピューリタンとして、信仰の眼差しを含んで綴ったり、また描写したりしているという点があるからです。当時イギリスは、ピューリタン革命を経て、王政復古の時代となっていました。そこへ生まれ落ちたデフォーは、革命の反動で、迫害の中を生き、嫌な思いを経験しながら育ちました。ピューリタンの聖職者は聖職権を剥奪されるなどし、ピューリタンは官吏からも締め出されていたのです。
しかし、ペストの感染が西からロンドンへと拡大してくるにつれ、ロンドンの国教会の聖職者たちの多くはロンドンを逃げ出します。しかし信徒が集まる礼拝堂には、今度はピューリタンの牧師が説教を務めるというようなこともあったのだと書かれているのです。但し、事態が悪化すると、それは会衆がいる限りではあったが、と但し書きがしてあります。そしてこのことが、対立していた国教会と清教徒との関係を緩和することになったということは、後のほうで記されています。信徒のほうでも、互いに別の教会を拒んでいながら、ピューリタンの牧師の説教をありがたく聞く国教会員がいて、打ち解ける土台ができたのだという評価がなされていました。
まだ被害が深刻でなかった頃には、「政府当局が市民の信仰を奨励し、まさに頭上にふりかかろうとしている恐るべき審判を避けるために、罪を懺悔し、神の恵みを希うよう、公式祈祷と、断食と自省の日を定めたこと」(p59)で真摯に生きる人がいたことや、「教会や集会に参集してきた」様子が、まるで群がるようであったと記されています。扉近くに近寄ることができないほどに人が集まっていたのだそうで、「異常な熱心さ」があったといいます。市民が、神の恵みを祈り求めるために礼拝堂に熱心に集まることを「敬虔な行動」(p126)と表している場面もありました。
しかし、ロンドンに病勢が猛威をふるいだすと、教会にやって来ることをみな恐れはじめ、従来のように多くの人々が参集するということはなくなっていきます。牧師の死者も増えていくのです。このような状況で「敢然として教会に出席し、会衆を前にして牧師の聖務を果たすということは、並大抵な勇気と信仰ではやってゆけるものではなかった」ともあります。教会の扉はつねに開け放たれていたために、牧師の司式があろうとなかろうとおかましなしに、人々は教会に入って経験な祈りを捧げたのだそうです(p127)。
ロンドンに疫病が蔓延してくると、人々の精神がおかしくなってきます。牧師の中にも、外を歩きながら両手を点に向けつつ、国教会の祈祷書をぶつぶつ唱えていた人がいたと言っていますが、基本的に人は家の中に閉じこもっていたので、そうした人が目立ったのでしょう。「この危険きわまりない時期に臨んでいながら、公然と礼拝に出席することをやめない人たちもかなりいた」(p192)という見方がなされていました。
当時、ペストの治療法はおろか、原因すら定かではない時代でした。それが細菌性のものであることが分かるのは19世紀末で、パスツール研究所と北里柴三郎とが別々に発見しています。旧約聖書続編をご存じの方は、トビト書で臭いにより悪魔を退散させる場面を思い出されるかもしれませんが、デフォーの当時も、ある臭いにより予防できるなど考えられていたそうです。そんな中で、安息日には教会にぞくぞくと人が集まります。病原菌が猛威を揮っていない地域では、「教会も集会も全面的に閉鎖されたことは」(p376)なかったのだそうです。もちろん、猛威が続いている間はそうではありませんでした。ある礼拝で、一人の女性が変な臭いを感じて席を立って出て行くと、全部の人が教会を次々と出て行くことになったそうです。医者は健康そうに見えても同じだと警告し、人々は互いに疑心暗鬼となりました。症状を隠しているかのような妙な恰好をした人々には近づきませんでした。
人々の反応や、助け合う様子、とくにロンドンではいまでもそうですが、貧富の差が大きいところであるため、貧しい人々への篤志や扱いなどを含め、心理的にも経済的にも、いま私たちが読んでも大いに参考になることが多々あります。身につまされることもあります。原典を読むのが難しい方には、番組をご覧になるだけでも違うでしょう。教会のことを特に大きく取り上げることはない点を除けば、興味深く知ることができるだろうと思われます。
なお、番組の解説者であり、新しい訳の訳者が、ウェブサイトに、いま新型コロナウイルス感染症が蔓延する中で、この作品を用いたコメントを載せていますので、リンクしておきます。