共同訳聖書

2020年7月29日

教会の近くの古書店。だからというわけではないのでしょうが、キリスト教関係の本も面白いものをもっています。時々棚を見に行きます。それで今回目についたのが、「共同訳聖書」でした。
 
ご存じない方もいらっしゃるかもしれません。「新共同訳聖書」は30年ほど前に発行されましたが、それは日本のカトリックとプロテスタントとが初めて協同して取り組んだ、画期的な事業でした。しかも、従来のものとはかなり思い切った変更を多く加えたために、事前にパイロット版として、新約聖書を先に世に問うていたのです。これが「共同訳聖書」でした。
 
しかし、そのあまりの斬新さに、いわばブーイングが寄せられ、方針転換を強いられることとなりました。このため、途中まで進められていた旧約聖書の翻訳も、別のポリシーでしなくてはならなくなり、訳出上、食い違いや表記の不統一などの問題を遺しながら、突貫工事のように「新共同訳聖書」は出版されたのでした。
 
また、このような事情のため、カトリックとプロテスタントが共同で出版した初めての聖書であるにも拘わらず「新」の字が冠されることとなりました。
 
「共同訳聖書」はとくに固有名詞の表記で違和感を与えてしまったようで、「イエズス」と呼んでいたカトリックと、「イエス」と呼んでいたプロテスタントとのまるで中間をとったかのように、「イエスス」としていたのですが、どちら側からも支持されなかったようです。ギリシア語読みだと、案外「イエスス」は肯ける音ではあるのですが、翻訳というものは確かに難しい問題を抱えまくっているものだと分かります。
 
かつて、講談社学術文庫で出たときに買って持っていたはずなのですが、行方不明になってしまっていたので、この日本聖書協会のものもいいかな、と思い即座に購入しました。600円はお買い得だったのではないか、と自分では思っています。でも、学術文庫版にあったはずの細かな注釈がない、とてもシンプルなものですので、やはりあの時の、どこか言い訳混じりのような注釈は面白かったなぁと思っているところへ、探すと古書で入手しやすい価格でありましたので、つい注文してしまいました。この辺りは、性というものなのでしょうか。いけない、いけない。



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