爪先の手洗い
2020年7月21日
真夏に、行き交う人が皆マスクをしている。そんな風景を、いったい昨年まで、私たちは想像したでしょうか。
新型コロナウイルスの感染が問題になった当初、私はあまりに大袈裟に騒ぎすぎるのではないかとまず構えました。インフルエンザで例年何千人と命を落としていることを思うと、感染力の強さのほかは、怯えすぎないほうがいい、と。
そして、ろう者に対してマスクで口元を隠すということは、コミュニケーションを益々打ち切っていくことになるから、必ずマスクをしていよというルールには慎重であるように提言もしました。事実、マスクそのものに、感染を防御する十分な力はないのです。
それでもいまは、実用性はともかくとして、ひとつの社会的ルールとして、ひとと向き合うときにはマスクを欠かすことができなくなりました。何故か日本はまだそこまでの姿を呈してはいませんが、海外ではインフルエンザとは比較できないほどの惨状を呼び込んでしまったからです。
マスクというのは、分かりやすい指標です。しているか、していないか、見た目ではっきりしています。人は、見てすぐに分かりやすいものについては理解を示します。それをちゃんとやろうという思いは、恥の文化ではいっそう強く働きます。ところが、外から見て分からないが、もっと大切なことがあります。手洗いです。
手洗い、相変わらず熱心にやっていますか。
いくらマスクをしても、手洗いをしなければ、感染を拡大することに寄与してしまいます。また、自らの感染を招くことにもなります。いま「手洗い」と言いましたが、掌だけをちょっちょっと洗うことでは効果があります。一番の要点は爪先です。爪の間が菌の最大の隠れ家です。
アルコール濃度がいくらでないと効果がない、という知識を気にしている人がいます。しかし、アルコールは殺菌のためにすることであり、よほどの濃厚な接触が必要になる場面でなければ、私たちは日常それほどの必要性はないだろうと言えます。高濃度のアルコール消毒を度々手に施すと、手の組織が傷んでいきます。殺菌効果のある石鹸があればそれもよいのですが、流水だけでも、洗えば十分除菌ができます。むしろ、この除菌さえ怠らなければ、感染に関しては問題は殆どなくなるとも言えるわけです。しかし、テレビ局のレポーターがアルコール消毒をして店舗や施設に入るときも、以前として爪先を消毒している様子は殆ど目にしません。私はここのほうが、マスクよりもよほど問題であると見ています。
空気感染もいろいろ言われていますが、いわゆる「夜の街」の接し方や食事会の類でのようなことを避ければ、空気感染を怯えるというよりも、接触による感染のほうがよほど危険であるという認識のほうが重視すべきポイントであるように思われます。にも関わらず、マスクをかけているかどうかだけがやかましく言われ、手洗いについては実にルーズです。ひとは見えるものには注意しますが、見えないものについては如何にいい加減であるのか、思い知らされます。
女性の皆さん。トイレで自らのものに触れた男性が、手を洗って出て行くのは当たり前だとお思いですか。私が公衆トイレで見るかぎり、洗う人はそんなに多くありません。割合の統計をとったことはありませんが、印象では、まあ洗う人が半分はいるかな、という(人によっては恐らくショッキングな)レベルです。
トイレで、私のように爪先まで洗っている人を見ることは、まずありません。手洗いの大切さは、ただの画餅となっていないか、再考を求めたいと思います。聖書を読む・祈る、そうしたことがまさか画餅になっていないか、という面も気になりますが。
なお、テレビの取材シーンで「アルコール消毒をしますね」と言ってやっているとき、掌だけこすって(手の甲も指の間も手首も全くしません。況や爪先をや)しかしていない、あさイチの若いリポーター君(だけではないけど)、4ヶ月前からいまも変わっていませんね。テレビ局も、あんな悪い見本を垂れ流しにしているのは、反面教師としてならよいのですが、衛生観念を損なうので、やめて戴きたいと切実に思います。