危機の神学 (『文學界』2020年8月号)
2020年7月12日
図書館から借りて読むくらいしか殆どしない『文學界』ですが、今回のふれこみを見て、早く読みたくて買ってしまいました。特集が「"危機"下の対話」であり、文学的な関心からの対談が居並ぶ中に、「若松英輔×山本芳久」の対談が、「危機の神学」と題して掲載されていたからです。見ると、6月にリモートで収録したのだそうですが、すでにこの二人は、『キリスト教講義』という本の対談で話題になっていました。私はそちらはまだ読んでいませんので、今回の対談も先入観なしに楽しみにすることができました。
もちろん、この特集は、新型コロナウイルス感染症による世界の変化に関するものだと理解できますが、これを神学に絞った中で取り上げた『文學界』の着眼点にひとつ拍手を贈りたいと思います。
さて、せっかくの新刊雑誌。ここでネタばらしをしてしまうというのはどうかと思われますので、話題の変遷だけをかいつまんで宣伝させて戴こうかと思います。
まず「危機」の語義から入り、そもそも危機とは常にあるものだという構え方から話を始めます。それは否定的な意味合いをもつものではない、と。そして取り上げるのがアウグスティヌスの『告白』。そこから、「呻き」という鍵を手にして、被造物の呻きも視野に入れます。果たしてこのコロナ禍において、日本の宗教界は危機に対する発言ができなかったのではないか、ともチクリと刺します。
アウグスティヌスの『神の国』についても考えを深め、信仰と自己についても問いかけつつ、日常に伴う危機というベースに戻りながら、「弱さ」というキーワードを中心に、共にいる神を深く理解しようとするのでした。
結局ネタばらしをしてしまったかもしれません。パウロの「弱さ」はいまこそ、またこれからきっと、必要になるのではないか。それだけ取り上げると何を言っているのか分かりませんが、12頁にわたり、なかなか読み応えのある記事でした。また、話の中でとられた新約聖書の解釈には、私も新たな目を開かれた思いがして、有意義な経験をさせてもらえました。
この『文學界』にはほかにも興味深い対談や作品が揃っていますので、しばらく退屈しないで済みそうです。