文化が違う (哲学篇)
2020年7月9日
非常事態宣言のときには、どうなることかと先が見えませんでした。いえ、いま見えるという意味ではないのです。とにかく仕事はなくなるし、一日中家に息子といて、毎日いうなればだらだらと過ごすことになるわけです(必ずしもだらけているというわけではないのですが)。
少し前から、プラトン全集(もちろん日本語訳です)を開いて読み始めていました。かつてせっかく買ったのだから、と、ぽつりぽつりと読んでいたのですが、ここへきて、それが加速せざるをえなくなりました。そもそも一日十冊近くの本を並行読みする習慣のある私でしたから、ほかにも連日読むものが欲しい、ということで、やはり買っていたデカルト著作集(当然日本語訳)も読んでやろうと思うようになりました。
研究家ではありませんから、細かな議論を調べたり究明したりしようと読んでいるわけではありません。いわば小説か評論でも読んでいるかのように、さらさらと楽しんでいるだけです。すると、ソクラテスというのはなんといやらしい奴なんだ、と改めて思わざるをえなくなりましたし、デカルトのこの独断的自信はどこからくるんだろうと呆れてしまうこともありました。
しかし、いまの私たちの常識からすれば、そういうふうに感じる、というだけのことだと理解すべきなのでしょう。ソクラテスのねちねちとした、罠に誘うがための問答も、多分にプラトンの思惑なのでしょうし、それは政治的野望を撃ち破られた若いプラトンの、一種の復讐心から生まれたのかもしれません。ソフィストを茶化すような対話の展開が、その後の哲学の歴史を決定したというのはおよそその通りだと思われますし、果たしてソフィストなるものがあのように知を愛する(これぞ哲学という語)ソクラテスに敗れ去るような悪役でしかなかったのかどうか、十分に吟味しなければならないはずです。
デカルトにしても、私たちがいま知るよりはよほど自然科学者と呼ぶに相応しい存在で、喩えていうと、いま科学の専門家がいて、それが人生や文化について論じているシーンがあるとします。デカルトもそれに少し近いように見受けられるのです。もちろん、当時は現代のように学が分科されていませんから、そのようにあらゆる問題を考えるというのが、選ばれた知識者に与えられた当然の課題であった、というのが実情でありましょう。カントの頃までも、科学者と哲学者がとくに分かれていたわけではないのであって、その後科学が細分化されていったことで、専門家集団というものができ、科学が優位的に発展する一方、科学が何か他の領域、たとえば政治権力者の僕として働くようなことにもなっていったのです。デカルトは数学でも計り知れない業績があり、それも計算から関数、図形と範囲を選ばない研究をしています。人体の仕組みも宇宙の構造も、いまから見ると怪しいことも少なくないのですが、なかなかの知識を有していたことは確かです。それらは何らかの形で実証されうるものでしたから、自分の理論が実際当てはまるだろう、というふうに思えると、強い自信となっていったことでしょう。すると、自分が考える形而上学の世界の思索にも、そうした自信が溢れてくることも理解できるような気がします。
私たちがいま絶対正しい、というように考えていることも、実は私たちの偶々いま受け容れている文化のひとつに過ぎない、と捉えるほうが自然であるように考えられます。たとえば「民主主義」をいまの世の中で肯定しないと、非国民というより非人間であるかのようにも指さされかねないことになりますが、プラトンの著作の中では民主主義は堕落するけしからん悪政の形式とされています。哲人政治が推奨されるのですが、プラトンが掲げたその理想は、当時としても実現はしませんでした。しかしプラトンの哲学は継承されました。そのため、すべての哲学史をプラトンの著作の注釈だというような見解まで飛び出したのです。プラトンが正しい、ということを言っているのではないにしても、少なくとも「民主主義」と呼ばれる政治制度が、無条件に唯一正しいという偏見からは、解放されるのではないでしょうか。
異なる文化、時代環境は、別の価値観や見解を支持します。正義の観念も、平和の捉え方も、唯一最善の決定的な思想があるのではないはずです。もちろん宗教や信仰についても同様でしょう。一色の文化に染め上げることを正義として、貴重な文明を滅ぼしたキリスト教の歴史は、いつも私の胸を痛めます。私はそういうことをしてきた宗教を自分の救いとして信仰していることになります。過去の教会の過ちを、私とは無関係なものと見なすことはなかなかできません。病気の人を、障害者を、また性的マイノリティの人々を、不当に差別し虐待してきた教会の歴史を前に、悔い改めることをしないでは、教会の未来はない、と考えています。もちろん、その教会のひとつの枝が私です。私にも責任があるものと理解しています。