100分de名著『共同幻想論』(吉本隆明)
2020年7月5日
1968年発行。もう半世紀以上前の話です。当時の日本を揺るがせた、偉大な思想でした。それが決して過去のものではない、いま私たちに必要なものがあるのではないか。2011年3月末、東日本大震災直後にスタートした番組は毎月、世界の名著を取り上げて紹介することを続けてきました。先月カントの『純粋理性批判』という、番組開始以来最大の難解さと言われた本(そうではないと私は思いますが)を扱った直後、今度は日本の本で最も難しいとされるものに挑むことにしたといいます。2020年7月6日より放送されます。
私も気になっていた本ではありましたが、たまたま今年、初めて読み通したもので、この企画は私にとりタイムリーでもありました。早速テキストを取り寄せました。まだテキストを読み終えてはおりませんが、その「はじめに」に感動しました。
多忙な時代となった現代、地縁・血縁による柔らかな社会の包み込みがあったのが、1990年代以降縮小・崩壊していき、殺伐とした世の中になってきたことをまず指摘します。社会層は二極化し、個人が砂粒のようになっているというのです。また、インターネット、とくにそのSNSは、民主主義に必要なじっくり考える時間制を見失い、即座に感情的に動く空気をつくり出しているのも懸念されます。こうして安定した人とひととのつながりがつくりにくくなってしまったというのです。
こうして「はじめに」で提起された時代状況、この新型コロナウイルスの中で明らかになってきたことをも含めた現代社会の私たちの問題は、第4回放送の最後のところで、吉本の思想の枠組みを理解しようと努めてきた私たちの目の前に、もう一度突きつけられます。半世紀前の、共産主義への期待や学生運動の中で持ち上げられたこの作品が、もはや時代遅れなのではなく、いま私たちが包まれている「共同幻想」とは何であるのか、気づかせてくれるかもしれない講座となっていくのです。この「気づき」へのエポックは、さらりとしか触れられていませんが、その難しさと共に、私には、先般読んだ『贈与の系譜学』(湯浅博雄)という新刊書と深く繋がるものがあると思えてなりませんでした。つまり、著しい現代性があるし、普遍性も伴うのだ、と思わされたのです。
自分の正義観を信じこみ、善意の斧を振りあげることが必要なのではない。人間関係への問い、自分の独善性、そんなことを問わなければならない。そうした問いへの勇気が必要な時なのだ。
日本大学危機管理学部教授の先崎彰容氏が、東日本大震災の被災の際に、吉本隆明の言葉が心に響いたことで、改めて深く関わっていくことになっていったこともそこに記されています。人間が「信じる」というのはどういうことか、共に考えよう、というのです。
吉本隆明の意図を先取りして、本の後半の一部を先に読むという方法は、なるほどと思わされました。難解とされる本ですが、読み方のコツというものをこのように教えてもらえると助かります。この情報社会の中で改めて捉え直す、国家という共同幻想。日本に本来なじまない西洋文化を前提とした思想ではなく、どっぷりと日本文化から論じ挙げるその思想と、私たちも格闘してみるというのは如何でしょうか。
因みに、吉本隆明の名を知らしめたのは、「マチウ書試論」でした。もちろん、マタイによる福音書のことです。が、善良な信徒の皆さんは、手を出さないほうが無難です。よく学んでいますが、根拠なく一方的にけなしているような若さ故の勢いばかりが現れているように見受けられますので。そうした意味では、かの『共同幻想論』も、キリスト教思想への批判の色濃いものですから、そうした声に堪えられない方にはお薦めすることはできないかもしれません。私としては無責任ですけれど。