【メッセージ】生きている

2020年6月21日

(テサロニケ一3:1-13)

あなた方が主にあって立っていれば、今や我々は生きているのであるから。 (テサロニケ一3:8, 田川訳)
 
パウロがいなかったら、キリスト教の歴史は途絶えていたかもしれません。ユダヤ人の殻を破り、世界へ福音を伝えるために命を懸けた人でした。今では学校の教科書にもその名が載っています。
 
しかしパウロは自分の人生を思うとき、そんな立派な存在だとは考えていなかったのではないかと想像します。なんといってもイエスの弟子たちとしては、使徒と呼ばれるメンバーがいて、その中でもペトロやヤコブといった中枢が、トップとして教会を動かしていました。パウロは最初、そうした教会を迫害していたのが、劇的な回心でキリストの弟子たちの仲間にようやく入れてもらえたのでした。頭脳明晰でギリシア語も堪能であることから、伝道をさせてはどうかという雰囲気で使われたイメージがどうしてもあります。献金集めの使い走りをさせられたり、伝道の仕方が物議を醸し、なんとか異邦人伝道も認めてもらえたものの、但し書きを付けられたりと、どう見ても下っ端のようにしか見えません。
 
福音書によると、ペトロたちは、ガリラヤ湖の漁師出身です。果たして文字も書けたのだろうかと怪しいところです。マタイは徴税人でしたからそこそこ教育があったでしょうが、なにしろユダヤ人からすればローマの手先として暴利を貪っていた徴税人です。罪人と蔑まれていたのですから、教会の中で大きな顔をしていたとは思えません。他方パウロは、ユダヤ教のエリート教育を受けてきました。それが読み書きもどうかと思われる漁師たちの部下となり、パシリをさせられるのですから、もし気位が高かったら、キリスト教徒としてはやっていられなかったことでしょう。よほど、イエスと出会った体験というのは、大きな変化をもたらしたのだろうと驚きます。
 
そのパウロが、比較的自由に、ユダヤ教の域を超えて、元々イスラエルの神を知らない文化へも、イエスがメシアであるという福音を届けることを許されたのは、パウロにとり自分の力を発揮できるよいチャンスに思えたことでしょう。しかし行く先々、熱心なユダヤ教の人々からは、ユダヤ教もどきの異端を教える危険人物として妨害され、命を狙われていたため、不安もあったと思われます。また、本当にユダヤ文化が定着していない土地で、キリストを信じる人々がいるのかどうか、やはり不安であったに違いありません。
 
第二回の伝道旅行のとき、パウロはテサロニケで三週間にわたる説教をしています。使徒言行録から振り返ってみましょう。
 
17:1 パウロとシラスは、アンフィポリスとアポロニアを経てテサロニケに着いた。ここにはユダヤ人の会堂があった。
17:2 パウロはいつものように、ユダヤ人の集まっているところへ入って行き、三回の安息日にわたって聖書を引用して論じ合い、
17:3 「メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた」と、また、「このメシアはわたしが伝えているイエスである」と説明し、論証した。
17:4 それで、彼らのうちのある者は信じて、パウロとシラスに従った。神をあがめる多くのギリシア人や、かなりの数のおもだった婦人たちも同じように二人に従った。
 
この後、ユダヤ人たちが妬みを起こして暴動を起こし、たいへんな騒ぎになります。パウロたちはやっとのことでそこから逃げ出します。基本的に異邦人が多いかもしれないとしても、もともとユダヤの会堂もあったほど、ユダヤ文化の理解は一部あったはずの土地でしたが、これくらいの期間で果たして教会が立ち上がるのかどうか、それはよく分かりません。しかしこの程度の接触しかなかったとすると、パウロも、テサロニケの人々がその後どうなったか、不安で仕方がなかったことでしょう。本当に、「顔を見ないというだけで、心が離れていたわけではな」(2:17)かったはずです。
 
パウロはアテネからコリントといった、ギリシアの大都市へ向かい、伝道活動を続けていました。テサロニケ教会のことが気になって仕方がなかったのですが、パウロは「サタン」(2:18)のせいだとしながらも、とにかく何らかの理由でテサロニケに戻ることはできませんでした。この間、どうやら年単位の時間が経っていたようですが、どうにも「もはや我慢できず」(3:1)、かといってパウロ自身はテサロニケに戻ることができない事情があったらしく、若い仲間の「テモテをそちらに派遣しました」(3:2)。苦難は覚悟の信仰を教えてはいましたが、そのためにテサロニケの人々が信仰を棄ててしまうのではないかと案じていたのです。要するに悪魔のことですが、「誘惑する者があなたがたを惑わし、わたしたちの労苦が無駄になってしまうのではないかという心配から、あなたがたの信仰の様子を知るために、テモテを派遣したのです」(3:5)と、不安を明らかにします。そうすると、テモテが「今帰って来て、あなたがたの信仰と愛について、うれしい知らせを伝えてくれました」(3:6)。
 
ああ、もう失敗した、だめだ。そう自分で落ち込んでいたところへ、良い知らせが入ったら、私たちも跳び上がるほど嬉しくなります。パウロは、テモテの報告できっと跳び上がっただろうと思います。その興奮の中でこの手紙を書いたような言い方になっています。パウロ自身もこのとき、様々な問題で困難の中にあったのですが、「あなたがたの信仰によって励まされました」(3:7)と綴っています。
 
ここで、今日は次の言葉に目が留まりましたので、ここに注目しましょう。
 
3:8 あなたがたが主にしっかりと結ばれているなら、今、わたしたちは生きていると言えるからです。
 
なにか、しっくりきません。パウロがテサロニケ教会の信仰を知って喜び、神に感謝をし、また会いたいねと声をかけ、あなたがたに祝福があるように、とこの後手紙は比較的分かりやすい気持ちを伝える言葉で進んでいくだろなのですが、この一文だけが、なんだか違和感を覚えさせます。
 
3:8 あなたがたが主にしっかりと結ばれているなら、今、わたしたちは生きていると言えるからです。
 
訳の問題なのでしょうか。原文を見てみました。直訳のようにしてみましょう。
 
なぜなら、いま私たちは生きているからです。もし、あなたたちが主にあって(しっかり)立っているなら。
 
「結ばれて」はカトリック側に引っ張られた、意味を限定した訳なので、原文に近い英語なら「in the Lord」であることを弁えておきましょう。「しっかりと」の語は直接ありません。「立つ」という語にその意味を乗せることが可能だという程度の理解でよいと思います。「と言える」も意味を忖度して付け加えていることになります。
 
つまり、「あなたたちが主において立っているなら私たちは生きているから、こうしてあなたたちの信仰を知って励まされているのだ」というつながりになります。あまりこだわる必要はないかもしれません。パウロがそんなにここに深い意味をもたせているのではないだろうと思います。それでも、何か引っかかります。テサロニケの人たちが主に立っている、つまり信仰を保っているとすれば、私たちは生きている。それで困難があっても元気が出るぞ、というわけです。
 
「生きている」とは、英語なら「live」に相当する「ゾーオー」です。ヨハネによる福音書をご存じの人だったら思い起こすかもしれません。これの関連で「命」というちょっと含みのある名詞がありました。但し、ここではその必要はありません。やはり「生」の一言で受け止めるしかない語だと思います。
 
あたりまえじゃないか。私たちは生きているだなんて。あっさりそう言わないでください。生きているから笑うんだ、などと歌って済ませないでいましょう。論理的に、あなたがたがちゃんと信仰しているならば、私たちは生きている、などと考え込まないようにしましょう。パウロは、苦難の中にいたのです。テサロニケに着く前の苦難も思い起こしたことでしょうが、いままたギリシアの大都市でもしかすると分からず屋の外国人に、またそれ以上にキリストの弟子たる者たちを敵視するユダヤ人たちに、手を焼いていたはずです。なんとか「あなたを襲って危害を加える者はない」(18:10)と神から言葉を受けて勇気づけられるものの、それはとりもなおさず、パウロが命を狙われる教父の中にいたということを如実に表しているわけです。
 
パウロは心細かった。生きている心地がしていなかった。今日明日の命さえ保証されず、しかも信仰を貫くことで危険を招いていることも分かっていた。四面楚歌のような状態だと感じていたかもしれません。
 
テサロニケ教会が無事でよかった。信仰を保っていて、うれしい。ほっとして嬉しい思いに包まれたそのとき、ああ自分は生きていてよかった、生きているんだ、という思いが胸に拡がるという様子を想像するのは、あまりに感傷的でしょうか。想像の世界に過ぎないでしょうか。
 
そもそも人は、自分が「生きている」などと、普段意識してなどいないのではないでしょうか。手術を受けたあととか、危うく事故に遭いそうになった時とかに、「ああ生きていてよかった」と胸を撫で下ろすことはあろうかと思います。針のむしろに座らされたようで晒し者にされそうな状態を逃れることができたときの安堵感も、これに近いでしょうか。私などは、朝目覚めたとき、「ああ、今日も生かされている」というふうに思うことはあります。夜中に突然死するというケースもあるのですから、朝を迎えるということで、「生きているんだ」と自覚するというわけです。
 
私たちは何か特別な経験をした中で、自分は「生きている」という自意識をもちます。そうでないと、わざわざ「生きている」などとは普通考えないものです。パウロは、教会のことを案じて案じて仕方がなかったこれまでの長い時間が、安心の中に溶け込んでいくように感じたこのとき、「生きている」とほっとしたのではないか、という気がしてならないのです。
 
神と出会った、昔のことに思いが及びます。自分の罪を示されました。自分はとんでもない思い上がりの中にあって、神を知らず、神を神ともせず、自分を神のように見なしていたのだということを痛感させられました。いえ、とにかく自分が間違っていた、という自己否定の海の底に放り投げられたのであり、また頭をハンマーで殴られたような状態であったのです。全く、生きた心地がしませんでした。事実、その前には、死ぬにはどうしたらよいかとさえ考えていたのです。
 
もしかすると、いまそれに近いような思いを懐いている方が、いらっしゃるのではありませんか。なにも「罪」だなどという言葉で説明しなくてもよいのです。もう先が見えないような辛い中に置かれている。悔しい思いで立ち上がれない。誰かを傷つけてしまって、取り返しがつかない。何をしようにもうまくいかず、道が閉ざされている。誰かと和解できない。家族とうまくやっていけない。
 
「わたしたち生きている」というような今日の聖書の言葉が、遠くから聞こえるような気持ちがして、何も心に響いてこない。綺麗事のような言葉が空しく音として聞こえるだけ。自分はこんなに頑張っているのに、ますます目的が遠のいていくようにしか感じない。何が神だよ。神がいるのなら、どうしてこんなに苦しいんだ……。
 
自分が「生きている」というようなことを漏らすことのできない、すべての人の前に、いま私は言葉を紡いでいます。いえ、言葉を受けとろうとしています。パウロと少しでも近いところに立って、パウロの見ていた景色を感じとろうとしています。パウロは、テサロニケの人々が主にあって立っているならば、自分はほっとするのだ、生きていると実感できるんだ、と言っていました。でもパウロは知っています。テモテから、テサロニケの人々が頑張っている、苦しい中でも神を見失うことなく、また会いたいですねと友情の強い思いが伝わっていたのです。遠慮しているようですが、これは「もしも」ではありません。
 
もしかしたら、教会に来たら、何か光が見えるかもしれない。誰かが助けてくれるかもしれない。この辛い思い、行き詰まった思いから解き放たれるかもしれない。そんな思いが片隅にあって、ここへ来たのであれば、その「もしかしたら」を取り払いましょう。もしかしたら神は自分を救ってくれるだろうか。その「もしかしたら」を取り払いましょう。テサロニケの人たちは、事実キリストの内に立っていたのです。その「もしかしたら」は実は要らない事実が本当はあるのです。
 
今日は伝道者パウロの手紙を読みました。新約聖書にはほかに、福音書と呼ばれる巻が四つあります。そこには、イエス・キリストの生涯とそこで教えた内容が記録されています。イエス・キリストは、光だと書かれています。あなたを助ける約束があります。辛い、行き詰まった思いを解き放った出来事がそこにあります。神はあなたを救う、と宣言しています。綺麗事にするには、あまりに酷いイエスの死が書かれてあります。しかしそれは死で終わるものではなく、復活して命を与えられたこと、命を信じる者に与えることを約束しています。「もしも」ではなく、いまもうすでにあなたは「生きている」ことを、知ることができます。
 
ヨハネによる福音書の中で、イエスは、もうすぐ十字架に架かることになるというその時に、弟子たちにこう言い残していました。
 
わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。(ヨハネ14:19)
 
復活のイエスが生きているのだから、あなたがたも生きるのだ。もちろん、この「生きる」も、パウロの手紙の「生きている」と同じ語です。今日、この手紙に触れた私たちは、確かに「生きて」います。イエスの姿をもっと知れば、確かに「生きている」という思いが、間違いなく強くなるでしょう。誰もが、「今、わたしたちは生きている」と繰り返し口にすることで、自分が「生きている」ことを実感しながら、ここから外へ出て行くことができることを、私は確信しています。



沈黙の声にもどります       トップページにもどります