【メッセージ】主に倣う者となっている
2020年6月7日
(テサロニケ一1:1-10)
そして、あなたがたはひどい苦しみの中で、聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ、わたしたちに倣う者、そして主に倣う者となり、マケドニア州とアカイア州にいるすべての信者の模範となるに至ったのです。(テサロニケ一1:6-7)
テサロニケの人々への手紙を今日から何度か開いていきます。舌を噛みそうな名前で、地味な印象ですが、実はこの手紙は、パウロの手紙の中でも第一位となっている点があるのです。それは、おそらく新約聖書の中で、最初に書かれた文書であるということです。多くの研究成果から、これは本当にパウロという人物が、しかも他のどの聖書の文書よりも先に書かれたとされているのです。今日味わうのは、その冒頭部分ですから、本当に最初の最初と言えるところを見ることになります。ちょっと感動しませんか。
テサロニケというのは、いまのギリシア北部の港湾都市で、アテネに次ぐ第二の都市となっています。いまでは「テッサロニキ」のように発音します(英語ではSalonika)。現代は北マケドニア共和国がありますが、古代でマケドニアというのはもっと広い範囲を示し、アレクサンドロス大王による広大なマケドニア王国を歴史で学んだことを思い起こされる人もいることでしょう。そのマケドニアの地域にある代表的な都市が、このテサロニケであったということです。
パウロは恐らく二度目の伝道旅行でこの都市テサロニケを訪ねており、人口は10万人以上いたのではないかと推定されているそうです。ここにはすでにユダヤ人も多く移り住んでおり、会堂もあったようです。多くの民族の人がいて、宗教も多様であったことでしょう。そこへキリストの救いを伝えたパウロの話を聞いて、信じるようになった人々が現れ、教会ができたと言われています。
さあ、それから2年か数年後、パウロがそのテサロニケの人たちに向けて、信仰の心がけなど、その時に気になったことをどうしても伝えようと綴ったのが、この手紙である、ということのようです。
わたしたち、つまりパウロ、シルワノ、テモテという伝道者グループのメンバーは、「祈りの度に、あなたがたのことを思い起こして、あなたがた一同のことをいつも神に感謝しています」(1:2)というのは、決して社交辞令であるばかりではないだろうと思われます。パウロは自分が始めたこの教会に、たいへん愛着をもっていたようですし、非常によい関係にあった様子が窺えます。「よい関係」というのは、コリントの教会には非常に手を焼いていることがその手紙から明らかだからです。しかも研究によると、この手紙は、その問題の都市コリントから書き送られたと考えられるそうで、益々対照的に、テサロニケの人たちを慕わしく思っていたのではない、と想像されます。
「あなたがたが神から選ばれたこと」(1:4)を確認し、救いの知らせ、つまり福音は、表面上の言葉によるものばかりでなく、「聖霊と、強い確信」(1:5)によって伝えられたと、すべては神の業であることを伝えます。このとき「わたしたちがあなたがたのところで、どのようにあなたがたのために働いたかは、御承知のとおりです」(1:5)とあるように、パウロは自分たちの伝道の姿勢に非常に自信をもっていた様子が伝わってきます。コリントに対しては失敗したなぁと悔やんでいますから、テサロニケに対しては、やることはやったぞという満足感があったのでしょう。
どうやらテサロニケの教会には、何か「苦しみ」があったようです。「労苦」「忍耐」(1:3)、「苦しみ」(1:6)と繰り返されるのは、テサロニケの人々の苦労です。これが2章になると、テサロニケに着く前にフィリピの町でパウロとシラスが非常に苦しめられたことを思い起こしています。それは、女奴隷の霊能力を失わせたことで鞭打たれ、牢に入れられたことでした(使徒16章)。続いてパウロたちはテサロニケに着きましたが、ここでもユダヤ人たちの暴力沙汰に巻き込まれます。こうした土地柄で、テサロニケ教会の人たちも、ユダヤ人たちに苦しめられ、もちろん異教の偶像などの環境にも抵抗しなければならず、またフィリピの教会も含めて、教会に集っていたのは金持ちというよりも貧困層であったかもしれない様子が窺えます(コリント二8:2)。
1:5 わたしたちがあなたがたのところで、どのようにあなたがたのために働いたかは、御承知のとおりです。
1:6 そして、あなたがたはひどい苦しみの中で、聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ、わたしたちに倣う者、そして主に倣う者となり、
1:7 マケドニア州とアカイア州にいるすべての信者の模範となるに至ったのです。
今日私たちは、ここに注視しましょう。前半はすでにいま触れました。テサロニケ教会の人々は苦しみを味わっていましたが、聖霊が喜びをもたらしているという信仰の実りを経験しています。神の言葉を信じたということです。そして、パウロたちに「倣う者」、そして主に「倣う者」となったと言い、テサロニケを中心とする広い地域の「模範」になったと褒めています。
「倣う者」と「模範」、この2つの言葉を噛みしめてみたいと思います。まず「模範」のほうからですが、この語はもちろん「模範」と訳してよいのですが、元来「彫像」を意味します。コインに皇帝の顔の形を刻むことは古来行われていましたが、それは「型」に金属を流して造ったでしょうし、その「型」とも訳す場合のある語でもあります。そこから「手本」ということで「模範」につながります。ギリシア語では「テュポス」のように言い、これが英語の「type」となりました。「タイプ」と聞くと、少し親しみが沸きませんか。
良いか悪いか知れませんが、「クリスチャン」は典型的に「敬虔な」を付けるステレオタイプな形容がありますね。「敬虔なクリスチャン」と言われると恥ずかしくて穴に隠れたくなりますが、「敬虔な」というのが「クリスチャン」の「タイプ」となっているわけです。パウロはテサロニケの人たちに、あなたたちはクリスチャンのタイプだ、言ってみれば「敬虔なクリスチャン」そのものだ、と呼んでいるのです。
では、その前段階、「わたしたちに倣う者、そして主に倣う者」に戻りますが、ここはまるで「倣う者」が二度書かれているかのようですが、原文は違います。「そしてあなたがたは【ミメーテース】となった。私たちの、そして主の」というふうに文は始まっています。【ミメーテース】は、英訳では「imitator」、つまり「イミテーションの人」ということですから、ちょっと印象がよくない気がします。「模倣者」「真似しんぼ」「亜流」「追っかけ」のようですから、パウロの使っているイメージとは違うように思います。そのため邦訳でも苦労して「倣う者」としたのでしょう。それで、ギリシア語のほうに戻ってみましょう。
実はここを調べて言語が【ミメーテース】であることを見たとき、私はビビッときました。少し血が騒ぎました。この語は「【ミメーシス】の人」を表していますが、【ミメーシス】は、古代ギリシア哲学では非常に有名な語なのです。哲学と聞くと敬遠なさる方がいるかもしれせんが、少しご辛抱ください。
【ミメーシス】は普通「模倣」と訳されますが、特別な意味合いがありますから「ミメーシス」のまま使われもします。プラトンの用法が有名です。あのソクラテスを使って、沢山の対話編と呼ばれる著作を遺した人で、これが現在まで、哲学の基礎となっています。高校で倫理の授業を受けた方は思い出してくださいね。
プラトンは、目に見えるもの、触れることのできるようなものは、真実にある存在者だとは考えませんでした。その背後に、それ本来の理想の姿があると考え、それをイデア(アイデアはここから来ています)と呼びました。「三角形」を幾ら私たちが正確に書いても、顕微鏡で見ればその線は歪んででこぼこであることでしょう。しかし数学の理論は、理想的な三角形を思い描いて話をしているはずです。それが三角形のイデアであるというのです。こうなると、現実に私たちが経験するこの世界での存在者は、すべて本物のイデアではなく、イデアを映し出すというか一部を有するというか、イデアの「模倣」である、というのです。「理想と現実」のようにイメージしてもらってもよいかと思います。そこで、「芸術」というものは、その模倣である現実世界のものをさらに模倣して生みだしたものなので、価値のないものだ、というような言い方をしたのです。いやいや、そこまで言わなくても、ということで、プラトンの後を継いだアリストテレスは、とくに文学や演劇、音楽などは、人の心の内部の模倣なので、価値なきものではない、という見解だったようです。このように、芸術とは何かを論ずるときに、この【ミメーシス】を取り上げることが非常に多く、この二人の見解から、多くの思想家は思索を練ってきた歴史があるわけです。
少し疲れましたね。芸術論を展開するつもりはありませんから、リラックスしてください。パウロは、テサロニケの人たちを褒めて、あなたたちは「【ミメーテース】となった。私たちの、そして主の」と言いました。もちろんプラトン哲学がここにこめられているわけではありません。パウロはそんなつもりで言っているはずはありません。しかしギリシア語で書いてしまうと、読むほうの頭の片隅に、ちらりとプラトン哲学が思い浮かんだとしても、責めてくださいませんように。
パウロたちを倣う者、主を倣う者、このような訳を見ると、パウロと主が同じ位置にいるように見えて、ちょっと不遜に見える可能性が出てくるような気がします。しかし原語では、「【ミメーテース】となった。私たちの、そして、主の」です。プラトンが、芸術が現実の物を模倣し、その現実の物はイデアを模倣している、と捉えていたように、ここでも、そのレベル差があると見てよいはずで、テサロニケの人たちがパウロたちを模倣し、パウロはまた主を模倣している、と見ることもできると思うのです。もちろん、テサロニケの人たちが主を模倣することは大いに構わないわけですが。
次に、私たちの日本語で考えてみましょう。「倣う者」と書いてありますが、この「倣う」という漢字、あまり使わないかもしれません。何度もここでも申し上げた「模倣」には使いますが、ほかはあまり聞きませんね。でも、「前に倣え」という体育の時間の合図は、まさにこの「倣う」でありました。とはいえ「右へ倣え」と、国民が一つの思想に染められていくというのは歓迎できませんね。気をつけたいものだと思います。
ところで「ならう」とくれば、私たちは「習う」のほうを普通思い浮かべます。もちろん、今日のこの場面で「習う」の漢字は使わないはずですが、和語で同じ「ならう」と呼ぶからには、何かしら私たちの言葉の世界ではつながりがあるように思われます。
「習う」は、学習のイメージがあります。何度も繰り返し練習をして、それを会得するようになることを背景にしています。このとき、「慣らう」を重ねて見ている、とも言われます。するとそこに、「真似る」こと、たとえば日本の芸能でよくいう「型から入る」というところも理解できるような気がしてきます。
話は変わりますが、「モノマネ」を大いに喜ぶ日本人ですが、欧米人の場合は「そっくりさん」は喜んでも、果たして日本でいう「モノマネ」が楽しいのかどうか、よく分かりません。しかしまた、仕事の上でも「見習い」というのがあって、とにかく真似をしろと教えられる期間がよくありますね。自分のオリジナリティをまず出せ、というのではなく、学ぶ期間です。この「学ぶ」も「真似ぶ」から来ているというふうによく言われます。必ずしもそうではなさそうなのですが、語源というのはよく分かりません。ただ、「倣う」から「習う」、そして「学ぶ」まで、一続きの線があるという理解は分かりやすいようにも思えます。そう言えば教会で聖書を「学ぶ」ともよく言いますね。どうにも私は「学ぶ」という感覚が掴めず、むしろ「倣う」方向で受け止めたい、とは感じています。
さて、主に「倣う」とくれば、どうしても避けて通れない本があります。『キリストにならいて』(岩波文庫1960、他)という本ですが、ご存じでしょうか。もちろん「ならいて」は「倣って」の意味です。元のラテン語の発音のまま『イミタチオ・クリスティ』(講談社学術文庫2019)のような名でも出ています。14世紀にトマス・ア・ケンピス作だと伝統的に言われていますが、いろいろ疑問も差しはさまれていたようです。ともかく15世紀のドイツ・オランダ地方で、修道者のためのすぐれた黙想書が著され、これは(基準はよく分かりませんが)聖書に次ぐベストセラーであるとも言われています。確かにカトリックに似合うと言えば似合う修道の書ですが、プロテスタント教会でも評価が高く、全く知らないという人にはお薦めしたいと思います。
キリストを真似して生きよ。これは苛酷な指南です。とてもとてもそんなことができるわけ、ないじゃないですか。無理です。
もちろん、キリストと全く同じになれというのは無理な話です。けれども、「キリストに倣って」生きるという言葉を、単純に、「無理」としてよいのでしょうか。最後にこの点に触れておきたいと思います。
キリストのようにはできない。その通り。間違いなく正しいことです。そして、できます、などと宣言するよりはよほど自分というものを弁えた、謙遜な姿のようにも見えることでしょう。でも、そこに、何か「逃げる」心理が働いていないか、問うてみましょう。やってみよう、とか、そうなれるように頑張りたい、とかいうチャレンジを最初から諦めてはいないでしょうか。もちろん、何度でも言いますが、キリストと同じにはなれません。しかし、それを言い訳に、立ち上がり歩んで行こうとする気持ちから逃げていないか。あるいはまた、やってみて失敗すること、そうして傷つくことを、避けた安全策を求めていないか。そんなふうに、私は自分に問うのです。
ボクなんか、とてもその大学には入れない。高校に入ったばかりの生徒が言ったとします。高校生ともなれば、ある程度自分の力量というものを自分で覚るようにもなるでしょうから、確かに高望みや夢のようなことを考えるというのは、現実的ではないかもしれません。しかし中学までの学習と高校での学習は、また違うものだとすれば、そんなことはやってみなきゃ分からない、ということもあるのではないでしょうか。また、たとえその大学には届かなかったとしても、挑戦して学習したことは、自分の能力を高めることになった、ということなら、十分効果が期待できないでしょうか。この大学でいいや、という程度の意欲で学習していたら、この大学にすら入れない、というのは指導のイロハです。
キリストが100のことをしたのだったら、もしかしたら1だけでも、できるように挑んでみませんか。もしそれが完遂できなかったとしても、その挑戦は無駄にはならないと思うのです。
信仰とは何か。簡単に定義はできません。しかし、ひとつには、神との関係を結ぶ営みだ、という捉え方があります。人間として、神のほうを向いているか。ヨブを持ち出すまでもなく、エレミヤでも神にぶつくさ文句を言うなどしていますが、それでよかったのです。ダビデは人間としては失敗ばかり繰り返した者でしたが、神と向き合い、神との関係を絶やさない人生を歩みました。神との関係の証しが契約であり、旧約・新約の「約」を表しました。人間ですから、神の言うことがなんでもできる「よい子」でいられるはずはないでしょう。それでも、神との関係が成立していれば、神の子として神は私たちを扱ってくださいます。
できっこない。そう言って何もしないでいるとしたら、まるで、この神との関係を切ってしまうようには思えないでしょうか。どうせできないよ、と逃げないで、神がもし今日、やってみないかと求めたならば、やってみたいと前向きになりたいと思いませんか。神との関係の中に留まり、神の眼差しの下に、何か取り組んでみませんか。
テサロニケの人たちの中に、パウロはその信仰があるのを知っていたのでしょう。パウロのようにしてみよう、という前向きなものがあったのでしょう。キリストのようにできたらいい、と憧れて生きる生き方があったのでしょう。プラトンだったら、イデアそのものではないし価値のないものだと却下したかもしれませんが、大丈夫、人間はキリストよりも神よりも、確実に劣ったもので、しかも比較にできないほどにダメな存在に過ぎません。それでも、「倣う者」となった、とパウロが喜び可愛がったように、テサロニケの人たちの姿勢を、それこそまさに「倣う者」となりたい、と願うのです。