【聖書の基本】トマス
2020年4月19日
十二弟子のトマスが主人公の場面が、ヨハネによる福音書20章の後半にあります。十二弟子に名を連ねていますから、その紹介などには名が出てきますが、そのほかに発言することはこのヨハネによる福音書のほかはなく、ここでも三度だけです。ひとつはこの20章、「疑い深いトマス」との印象を与えてしまった箇所ですが、そのほかは次のふたつです。
11:14 そこでイエスは、はっきりと言われた。「ラザロは死んだのだ。
11:15 わたしがその場に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった。あなたがたが信じるようになるためである。さあ、彼のところへ行こう。」
11:16 すると、ディディモと呼ばれるトマスが、仲間の弟子たちに、「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」と言った。
14:4 わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」
14:5 トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」
14:6 イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。
14:7 あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」
どこかずれた質問のようになっていますが、復活のときもそうですが、象徴や喩えのようなものに疎く、文字通りの意味に受け取る傾向が感じられます。
それはともかく、このトマス、実はインドではたいへん偉大な使徒と見られていることで有名なのでした。それは、インドにキリスト教を伝えたと言われているからです。講談社文芸文庫の『新約聖書外典』(荒井献編)の解説を参考にしながら、そのストーリーを今回はお話ししましょう。
その文書は「使徒ユダ・トマス行伝」と題するものです。トマスのことです。トマスがイエスの双児として、インド人に神の奥義を示し伝え、しばしば奇蹟を起こしてキリストを信ずる者に加え、さらに純潔な生活を守らせるために禁欲を勧める過程が描かれています。
第一部では、トマスが復活のイエスの命令に従い、インドから来た商人に奴隷として連れて行かれ、途上でも信徒を得、インドでは王のために宮殿を建て、王を信仰に導きます。さらに伝道旅行を続けたトマスは、悪魔と戦い、少女をよみがえらせるなどの奇蹟を行い、多くの人々を信徒に加えます。
第二部では、インドを巡った後に南インドのマツダイ王のもとで、その親戚カリスの妻を信仰に導きます。ところがその妻は純潔な生活を求めたためにカリスが怒り、投獄されます。トマスは奇蹟により牢獄から出て、多くの人々を回心させます。けれどもトマスは自らの生涯の終わりを覚り、自ら殉教の死を遂げることになります。その後、王子の一人が病に伏したため、王はトマスの遺骨により癒そうと考えますが、遺骨はもう西の地方へ運ばれていたので、墓地の塵を持ち帰り王子の病を癒しました。その王もキリストを信じるようになりました。
現在でも、南インド・マルバール地方の「シリアン・クリスチャン」、とくに「マル・トマ教会」が、トマスをその教会の創立者と仰いでいるのです。(解説・荒井献)
なお、この講談社文芸文庫の『新約聖書外典』にはほかにも幾多の外典が含まれているのですが、その中の「パウロ行伝(パウロとテクラの行伝)」と「セネカとパウロの往復書簡」は、平尾バプテスト協力牧師である青野太潮氏の訳です。他の訳者も、まあ蒼々たるメンバーとなっています。