通信技術が利用可能だということ

2020年4月2日

3月18日の日本経済新聞の社説は、「株主総会にもっとネットを活用しよう」というタイトルになっていました。「新型コロナウイルスの問題が、企業の決算書づくりや年に1度の株主総会に影響を及ぼす懸念が出ている。」というのです。人が集まることがまずいとされるからです。
 
東京証券取引所や金融庁が上場企業に対して、事務作業の困難に応じて決算発表などの遅れを認めるという実情が説明されました。「株主総会については総会日を延ばすことも選択肢だ。」として、規定を示し、「まずは実施にあたり、会場での衛生面に最大限に配慮する準備をしてほしい。」と、この非常時の対応を促している社説でした。
 
しかし不安は募ります。そこで社説は、「これを機に考えたいのが、ネットを活用した株主総会だ。」と提言しました。具体的に、「双方向型の総会」が実施された例や、「出席型のネット総会」もあった実例が紹介されました。しかし「会社法では総会の場所を定めることを求めており、ネットだけの「バーチャル総会」はできないと解釈される」とも述べるが、「ネットとリアルの組み合わせは可能だ。」と期待はしているのでした。
 
「米国はネットだけのバーチャル総会も認める。」ことで、社説の方向性は、このネット総会を進める方にあることがよく分かります。
 
法律には疎いので、宗教法人法がどうなっているかは知らないのですが、感染症という条件に拘わらず、総会などにネット環境を利用することは検討してよいのではないかと考えます。ひとつの教会法人が、二箇所離れた場所で礼拝をそれぞれに行っている教会が京都にありました。執事会ひとつとっても、だいぶ離れた互いの教会で交互に移動することをしていました。今のようなネット通信があったら、だいぶ能率的にできただろうにと羨ましく思います。
 
今でも何らかの形で支部や伝道所のような形で、つながりをもつ別の建物での礼拝がなされている教会はいくらもあります。牧師のいない無牧教会へは、時間をずらして別の教会の牧師が駆け回るということも、少なからずあると聞いています。こういうときに、インターネットを使うという方法は、これまでなかなか踏み込めないことが多かったと思います。そんなのは礼拝ではない、とか、それでは互いの話が通じにくい、とかいう理由をつけて、新しい技術や考え方の変革を、従来通りのままがいいとして受け付けない心理があったように思われます。
 
しかし、この度の新型コロナウイルスがもたらした異常な社会の中で、教会がインターネットで礼拝メッセージを配信するということは、極めて当たり前のものとなってしまいました。良いか悪いかと知りません。ただ、そのようにしてできるということを実感したというあたりで、様々な事務的な手続きについても、こうしたことを活用して、たとえ教会に日曜日に足を運べない事情の中にある信徒も、話し合いや礼拝に参加する道を、真摯に考えてみては如何でしょうか。心でつながっている、と信じることができたかつての時代もよかったと思いますが、現実的に意志を通い合わせる手段を私たちは手にしています。せめて悪用に向かわず、またうわべだけのつながりで逆に孤独感を増すような使い方を避ける知恵を与えられ、よりよく使う道が選べたらと願います。



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