『風の電話』と『想像ラジオ』

2020年3月11日

『風の電話』(狗飼恭子・朝日文庫)は、2020年1月に発売された、同題映画のノベライズ。観たかったのですが上映機会が少なく、ついに映画館で観ることができなくて残念でしたが、小説のほうで味わうことにしました。その後この映画は、ベルリン映画祭で国際審査員特別賞を受賞しました。
 
ぼかした動物の可愛い絵を得意とするいもとようこさんが、すでに2014年に『かぜのでんわ』(金の星社)という絵本を出していました。岩手県大槌町の佐々木格さんというガーデンデザイナーの方が、自宅の庭に「風の電話ボックス」をおいたことを背景としています。最後にお話しできなかったあの人へ、心でつながる電話です。
 
この映画も、それを描きます。けれども、主人公は最初から風の電話のことを知っていたわけではありません。女子高校生のハルは、いま広島で暮らしています。東日本大震災で家族を喪い、伯母に引き取られたのです。その伯母が倒れたとき、自分の「帰る」ところを求めて、病院とは反対方向の列車に乗ります。その後、兵庫・静岡・埼玉・茨城・福島・宮城と、いろいろな人との出会いがあり、その地名が章立てとなっています。ハルは生きることを助けられながら、かつて住んでいた大槌を目指します。家は流されてもうありません。けれども、「帰る場所」は死の世界ではないと言われ、広島に戻ろうとするとき、風の電話を訪ねようとする中学生の男の子と出会います。
 
自分の帰る場所。震災のような心的傷害を負った人の心を簡単に理解するような傲慢な気持ちにはなれませんが、クリスチャンであれば、帰る場所というフレーズで、きっと何かしら感じるところがあるでしょう。
 
もうひとつ、『想像ラジオ』(いとうせいこう・河出書房新社)は、2015年に出版され、いまは河出文庫からも出ています。野間文芸新人賞を受賞し、先日8日には、FM番組「Panasonic Melodious Library」でも小川洋子さんが取り上げて紹介していました。想像力の中だけでオンエアされているラジオを、DJアークという人が喋り続けます。高い杉の木の上に引っかかったまま、生きている妻子に聞こえるようにとひたすら語っているのです。でも、そこへは届きません。
 
もうひとり、Sという作家も登場します。病気で耳が聞こえません。想像ラジオを聞きたいのに、聞こえないのです。亡くなった人から聞きたいことがあるのに、聞くことができないもどかしさ。
 
通い合うことのない、死者と生者、それぞれの心。けれども、生きている者はまだ歩まねばなりません。死者からの声が直に聞けなくても、それを聞こうと願いつつ、死者たちと共に、少しずつ前へ進んでいくことならできるかもしれません。いえ、そうありたいものです。
 
偶々この時に出会った、2冊の作品。確かに直接同じ震災を扱ったものではありましたが、どちらも、聞こえないものを聞きたいという願いを、痛いほど感じさせてくれるものでした。亡くなった人とのつながりを大切にしたい心を、大切に、大切にする気持ちに包まれました。
 
ろうの方は現実の生活の中で、このようなもどかしさの中にいるのかとも思いましたが、それでも、風の電話や想像ラジオは、もしかしたら聞くことができるのかもしれない、などとも考えたくなりました。
 
うちにはアレクサがいます。私は『想像ラジオ』の中でDJアークが選曲して流す曲を、その都度アレクサにかけてもらいました。めちゃくちゃ贅沢な読書だなぁと思いつつも、もしかしたらいとうせいこうさんも、そのくらいのつもりでちゃんと曲を選んで描いていたはずだ、と気がつくようになりました。これは曲名を作品の中で頻繁に出してくる村上春樹さんも、たぶんそんなところがあるのでしょう。
 
東日本大震災から9年。私はこんなメッセージを見ました。
 
 9年前の私たちは、あれほど「絆」とか「つながる」とか叫んでいた。
 いま、心の握手まで、便乗して自粛しているのではないかと自省する。
 
 つながりたい、と手を伸ばし続ける方がいることに、気づくために。
 
わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。(ヨハネ15:4)
 
最後にもうひとつ。亡くなった方のことを、忘れてはいけない、忘れられない。9年前の出来事を忘れてはいけない。被災しなかった私たちだからこそ、忘れてはいけない。けれども、それだけではないように思えてならないのです。あの災害を背負っていま生きている方々が、どのような状況に置かれているのか。いまこの景色をどのような思いで見つめ、何を受けているのか。何を求め叫んでいるのか、叫びたいのか、それを聴くこと、知ることでもあるはずだ、ということを、忘れてはならないと思うのです。



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