夢を叶えきれなかった人のために

2020年1月21日

「死んだ人は、誰かがその人のことを思っている限り、決して死んでしまったわけではないんだ。思う人の中で、生きているんだ」
 
そんな言葉に感動する人もいれば、それは慰めに過ぎない、と冷ややかな人もいます。そこへ、ここへ少し違う表現を投げ入れてみます。
 
誰もが何か夢をもって今日という日から飛びたっていく。あるいは、前進する。でも、その夢を叶えることのできる人もいれば、夢を叶えきれなかった人もいる。
 
「夢を叶えられなかった」という言葉が普通だと思うのですが、「夢を叶えきれなかった」という言葉がもたらされました。「叶えられなかった」のであれば、なんだかもう不可能で終わり、という気がします。しかし、「叶えきれなかった」のであれば、当人は道半ばにして達成できなかったと思ったかもしれませんが、あるいは客観的に見て夢が叶ったとは言えない状況になってしまったのであるかもしれませんが、それを受け継ぐ人、思う人がいることによって、また何かが続いていくかもしれない、という気がしないでしょうか。当人が思うようには叶わなかったかもしれないにしても、叶えきれなかったというだけで、思う人が当人の思いを生かしていくことはできるという希望があると、言えないでしょうか。
 
突然の揺れにより炎に包まれた阪神淡路大震災もそうでした。東日本大震災では大水が押し流しました。そこで夢半ばに命を断たれた人も、ただ夢を叶えきれなかっただけで、生き残った私たちが、その人を忘れないということで、その人が宝物にしていたものを私たちも宝物とすることで、決して滅んで消えてしまうことはない、と信じてはいけないでしょうか。
 
ただ、残された私たちは、心を押しつぶすような悲しみに苛まれます。潰されそうであっても、泣くことができない間は、私たちもまた苦しみます。私たちも、泣いてよいのです。泣くことによって、泣くことができたことで、確実に、かの人の思いを受け継いでいくことができるようになると思うのです。
 
ある映画を見て、私はそのように思ったのでした。



沈黙の声にもどります       トップページにもどります