『グレタ たったひとりのストライキ』

2019年12月26日

『グレタ たったひとりのストライキ』(マレーナ&ベアタ・エルンマン,グレタ&スヴァンテ・トゥーンベリ;羽根由訳;海と月社)
 
チリで開催予定のCOP25が急遽スペインに変更になったことで、いま世界で最も有名な女性、グレタ・トゥーンベリさんは、チリを目指して来ていてアメリカから急遽ヨーロッパに戻らなければならなくなりました。「飛び恥(フリュグスカム)」のために飛行機を使うわけにはゆかず、結果、ソーラー仕様のヨットでスペインに向かい、間に合ったという経緯がありました。
 
アメリカのトランプ大統領が、とくに彼女が「TIME」誌の「ことしの人」に選ばれたことで腹を立て、「ばかけている」とツイートするくらいならまだよかったものの、怒りをコントロールしろ、古き良き映画でも見て落ち着け、と揶揄したことが伝えられました。グレタさんは、これに対して自らツイッターで、「怒りのコントロールに取り組んでいる10代です。落ち着いていて、友達と古き良き映画を見ています」と切り返したのでした。
 
全く、どちらが大人か分かりません。
 
SNSの世界ではいわば何でもアリですから、当然この少女の活動に反感を覚える人もいるわけで、あちこちで揶揄や中傷が飛び交っています。そういうことには十分慣れている彼女は、少々のことでは動じず、揶揄を真正面から受け止め、同じことで返すという知恵を得ていたのでしょう。
 
似たようなことは野口健さんもやってしまい、飛行機がダメなら電車はおかしいね、というような意味を皮肉たっぷりにツイートしていました。日本語なのでこのことについては日本人が、大人の言うことか、と首を捻りました。すると、野口さんの過去が暴かれ始め、子どもの頃の残虐な性格や、児童婚をしていたことなどがどんどん表に出て来ることになりました(これらは自分の著書やインタビュー記事で明らかにしていたこと)。環境問題では方向性を同じくしていたはずのグレタさんのことを揶揄したために、一般に知られなくてよいはずのことまでが広まってしまったというわけです。これでは、いくらグレタさんのことを、「自分は彼女を子どもだなどと思っていない」とか「背後で大人が操っている」とか、弁明しても、すればするほど自分の立場が悪くなるので、残念窮まりない。あげく、ツイートは字数が少ないから誤解される、のように他人のせいにするとなると、ますます、もはや大人ではない。
 
グレタさんは、母親が中心となって著したこの本で、アスペルガー症候群であることを明確にし、そこではこれまでの経緯が最も信頼のおける家族の眼差しで綴られています。一度正しいと考えればそれにこだわること、腹を読むようなことが苦手で言葉通りに受け止めて対人関係に問題が生じることがあること、それはこの症候群(以前はさかんに「自閉症」で片付けていたものです)に基づくものなのかもしれません。しかし、徹底追及することにより、誰もが問題についての真摯な向き合い方を知ることになるかもしれません。こうした人だからこそできるのかもしれず、大いに励まされます。もしもこれを、おまえは病気だからくだらんことを言うな、のように斬り捨てたい人がいたとしたら、それこそ大問題だと言えるでしょう。障害者は役に立たない、という思想に支配されていることに、気づいていないからです。
 
私はグレタさんの言動を見ていて、ふと聖書に描かれたことのイメージが分かってきたような気がしました。それは、預言者です。王や権力に、説きに庶民にさえも背を向け、自らが聞いた神の声をひたすらに告げる。変わり者と呼ばれ、社会から疎外されても、それをやめることができない。何かに取り憑かれたように見えることがあるのも、預言者の特徴のように思え、かつての預言者たちの預言を見た人々はこんなふうに感じていたのかもしれない、と思ったのです。
 
さて、ここでのトランプ大統領や野口健さんの場合は、彼女を揶揄したような発言であったことと、それに対してグレタさんのほうがまともにそれを切り返す、おとなの対応をとったということが顕著でした。ほかにも、ブラジルの大統領が彼女を「ガキ」呼ばわりの発言をしたところ、彼女はツイッターのプロフィルをすぐさま変更し、大統領の言ったポルトガル語で「ガキ」を意味する語を掲載したことが報じられていました。
 
グレタさんは、大人たちの揶揄や侮辱の言葉をそのままに受け止めて自分のものとしたのでした。彼女は、大人の男たちと「向き合って」いました。それに対して、この男たちは、彼女の首長に「向き合って」いるとは言えません。それができないのです。子どもの主張に、大人が向き合えない。ここに深い問題が潜んでいるように思えます。
 
グレタさんの主張に反対して抑えるのは、実は簡単のです。彼女は、科学者たちのデータを根拠としています。データとして出されたものを基に、それを無視するなとこだわって叫んでいるわけです。だったら、その科学者たちのデータが間違っていることを説明すればよいのです。そのデータが間違っていることが証明されれば、グレタさんに、いまのようなことを主張する理由はなくなります。これが、彼女に「向き合う」ということだと思うのです。
 
事実、環境問題には、マスコミや企業の受け容れ方には行き過ぎや勘違いもあって、一つひとつ検討すれば、いま社会で周知と思われていることが実は科学的に間違っているというケースもあるわけです。かつてあれほど毒だと騒がれた「ダイオキシン」はいまどうなっていますか。燃料電池を生みだす水素を作るためにどれほどのエネルギーと有害物質が関わってきますか。そのように、グレタさんが主張している「内容」について、きちんと向き合い、間近っていることを明らかにしていけばよいのです。
 
しかし、それができない、つまり彼女が正しいことを述べているかもしれないというのであれば、その主張内容と、大人たちは真剣に向き合うべきです。そして、よりよい未来へ向けて共に歩む努力を始めるべきです。
 
世界中で、高校生などの「子ども」が、彼女の後をついて運動を始めています。日本でもあるんです。これを、子どもなんだから、と軽く見ているのは、あるいはまして、誰のせいで生活ができていると思ってるんだ、などと言い始めると、私たちもあの男たちと同じ部類なのだということになるでしょう。
 
経済が停滞してもいいのか。大人のもつ切り札は、彼女や科学者が指摘するものとしては、人間の将来をどんどん短くする、ということになってしまいます。これを覆すだけの証拠を突きつけるか、さもなくば、COPの結果をもっと活性化させていかなければならないのではないでしょうか。もちろん、アメリカや中国のような大国がそう簡単に肯くとは思えません。しかし、そうした超大国でなくても、日本から、あるいはそのごく一部である日本の教会から、何かができるかもしれません。預言者の言葉には耳を傾けるべきだといつも説教したり説教で聞いたりしている教会の一人ひとりは、こうした問題に「向き合う」こともできるのではないかと思うのです。
 
時間差を有する責任概念。つまり後の子孫への罪ということも、キリスト教倫理では考えられています。いま「持続可能な社会」への転換が叫ばれているという社会通念もあります。もちろん、私が例外であるとか、私はちゃんとやっているとか、そんなことを口にするつもりは微塵もありません。私もまた罪人のひとりです。だから、なおさら私にできるこの叫びを、止めることもできないのです。
 
なお本書には、利益を各種自然保護団体に回すことが記されています。もし何かしら協力したいと思った方がいらしたら、借りたり古書店で探したりするのでなく、新刊をお求めになりますように。1600円+税です。
 
それから、国連のステファン・デュジャリック報道官が2019年12月24日の記者会見で、「温暖化対策を求める若者の活動に希望を見いだした1年でもあった。世界をよりよくし、政治指導者の責任を問おうという彼らの運動は大きな希望をもたらした」と述べて、2019年を希望の年と位置づける発言をしました。世間には、やっかみからか、この子どもたちの運動を、障害だとかわがままだとか揶揄する大人もたくさんいますが、大人たちが責任を問われているのですから、まずはその主張内容に向き合い、適切に回答していくことからやらないとするならば、それはただの逃避であり、まさに無責任だということになってしまいます。子どもたちの主張していることが現実に間違っていると思うなら、それを彼らの前でちゃんと説明してあげる、というのが大人の対応のはず。そして、国における利害の対立などがあり、COP25でもまとまらなかったのは確かですが、世界は概ねそれに向き合う態度をとっていると思います。だからこそ、国連は「希望の年」だと評したのだと思います。それは、冬至の時季を救い主の誕生の時になぞらえ、さらにまだ冬の季節が厳しくなることを知った上で、それでも昼の長さが長くなっていくことに希望を見出した、歴史的先人たちの信仰と愛を受け止めたことと重なる構図であるような気がします。子どもたちに顔向けができない、そんな大人でよいのかどうか、ここが思案と行動の為所です。



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