【聖書の基本】占星術
2019年12月22日
イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。(マタイ2:1-2)
新共同訳が画期的に、「占星術の学者たち」としたのはもう三十年も昔のこと。その他いま手近で調べた限りでは、殆どが「博士たち(博士等)」という形の訳をとっていました。、例外は岩波訳で、これだけが「占星学者たち」です。ほかに、西南学院大学の学長などを務めたギャロットの訳が「星占いの学者たち」となっているのが目を惹きます。新共同訳の後を継いだ聖書協会共同訳は、なんとまた「博士たち」に戻しています。結局これが収まりがいいのでしょうか。尤も、新共同訳の捉え方を別の訳として欄外に示していますが。
カトリックのフランシスコ会訳は、本文では「博士たち」ですが、これは豊かな注釈が添えられているのが特徴で、こう書かれています。
「博士」は、「マーゴイ」(単数形マーゴス)の訳。占い、占星術、医術を行っていた学者を表す言葉であるが、ここでは一般的に占星家または天文学者と考えられる。
ドイツ語だと「Magier」といいますが、魔術師・魔法使いといった意味で、「マジック」につながる語が、このマタイの使ったギリシア語の語と関係があります。「マギ」というマンガ(アニメ)を思い出す人もいるでしょう。「マギー司郎」「マギー審司」の師弟を思い出した人、正解です。まさにこの語を使っているわけです。
しかし、現代の語感でこれを量ってしまうと、かつてのイメージとは違うものになってしまうかもしれません。いまの時代でいう「戦争」が、百年前の「戦争」とは次元が違うのと同じように、ここで「博士」「学者」「魔術師」などという言葉が、いまの時代では何に当たるか、あるいはどう言えば適切に理解できるか、非常に難しい問題をはらんでいます。
『新聖書辞典』では、この語について、「もともとペルシヤのゾロアスター教系の祭司階級を表すものである。彼らは、占星術、易断の秘術を心得、夢占いをし、未来を予見する専門家であった」と説明しています。実は旧約聖書において、ヘブライ語ですがこの種の人物について言及されており、ダニエル書の初めのところで夢を説き明かすことができなかった面々の中に、占い師・祈祷師・星占い師などの言葉が見えます。新改訳でしたら「呪法師」とも訳されています。ゾロアスターと限定してよいのかどうかは分かりません。
他方、フランシスコ改訳の解説にあったように、天文学者というのは、私たちの感覚にひとつ近づく理解だと言えます。星はあまり根拠のない占いなんだというふうにしか捉えない私たちとは違って、古代に於いて天文観測は、重大な使命を帯びていました。暦をつくり、また作物の植え付けや取り入れを決める、重要な知識でした。エジプト文明が、定期的なナイル川の洪水を計算していたことは中学校の歴史でも聞いた話でしょう。王の支配を確固たるものにするためには、歴史、とくに時を支配するというのが大きな条件になりました。王が時をも支配する、その計算のためには正確な暦が必要です。天体観測から役立つ暦を作成するためには、支配者は恐らく費用を惜しまなかっただろうと思います。高度な観測技術と計算、そして何より星の運動についての深い理解が必要です。気ままなお遊びの占いなどではないのです。賢者などとも言われることがあるのは、まさにこの天文学者たちは、最高級の知能と知識を持ち合わせていたであろうか、現代なら科学者であり哲学者でありその他オールラウンドの知者であったであろうと思われます。
中東一の知者たちが、世界の王が産まれることを星の観測から知ったとすることで、イエスの誕生が世界的なものになることをも示唆するようになると考えたのでしょう。マタイは、ユダヤの律法にどっぷり浸かった形で、律法の完成をキリストに求めましたが、他方では、世界に福音が届けられることを願って信じていたのではないでしょうか。この博士たちがイエスの誕生を祝福しにくるというのは、ユダヤ人ではない外国人が真っ先に来たのだというところを強調しようとしたのかもしれません。
その他、エピファニー(公現祭)という考え方や、どうして博士は3人いると勝手に思い込まれているのかなど、この場面からご紹介したいこともありますが、ワンポイントという建前なので、よろしければ、これらについてはちょっと検索をかければ解説が出てくるだろうと思いますので、そのようにしてお楽しみください。