光と闇

2019年12月16日

二元論を持ち出すと、ものごとが理解しやすくなります。論説文の読解を中学生に説明するとき、「対比」されているものに記号をつけよ、と指導します。Aの話とBの話について書いてある文の横に、AないしBをメモしていく。すると、設問がAのことを尋ねていれば、Aのタグを探せばそこに答えがある、という具合です。筆者が賛成する考えと反対する考えという区別ならば○か×をつけよ、と教えます。
 
光と闇。これは対立するものだろうか。その問いが、ひとつのメッセージの中で問いかけられました。対立すると理解するのは、とても分かりやすい。あなたがたは救われる前には闇の生活をしていた、しかし神に出会い、キリストを知って、光の中に招き入れられた。このことを感謝せよ、だとか、この恵みを知れ、だとか、言いたいことはいろいろ出てきますが、要するに、闇ではなく光なのだ、という発想は、大変分かりやすいものです。
 
私は以前、こうしたモチーフで情景を描くことをしていました。現代社会は、夜の闇というものを失ってしまいました。もちろん山間部などで漆黒の闇が日常的に経験されている人もいるかとは思いますが、行燈の油さえ入手しづらかった江戸時代の途中までは、夜はもう寝るものと決まっていたのでしょう。また、映画「となりのトトロ」でも、あの夜の森の、吸い込まれるような暗さを見て、なんだか懐かしく思ったオトナの方もいるのではないでしょうか。その闇というものが、少しでも街になってしまったところでは、味わえなくなってしまいました。
 
ようやく、コンビニが24時間開いているということに不自然さを覚えるようにもなった世の中ですが、防犯上も、夜が闇であるのはよろしくないという社会になってしまいました。外は闇のはずなのに、夜行動する人間のために、真昼と何も違わないような明るさが辺りを取り巻いています。夜更けに帰宅する私のような者は、その恩恵に与っているわけですし、そうした時刻に子どもたちを帰宅させる、因果な商売(コロンボが懐かしい)をしている上では、そのことになんだかんだと文句を言うのも自分の頸を締めるだけだというのが実情なのですね。
 
駅に立つと、四方八方から蛍光灯などの光が自分を照らしています。不自然さを覚える方はいませんか。――自分に、影がないのです。
 
この、影がないという、自然界では普通見られない、不思議な現象に、私たちは何も驚かなくなってしまいました。だから何?という具合です。光があれば影がある。この自然の道理に、改めて注目しなければならないのも悲しいことなのかもしれません。確かに、闇があるからこそ、小さな光でも輝きが分かる、というのは本当です。聖書の光の概念をそのような意味で受け取ることには何の異議もありません。けれども、私たちはこの影という闇のない不自然な私たちの生活のあり方、そしてそこからくる私たちの奇妙な常識を反省してみる価値もあるのではないでしょうか。
 
誰に対しても、いい顔をしたい。自分には暗いところがないのですというかのように、自分を隠して応対する。そんなことが当たり前のようになっているのではないか。私たちの社会生活が、知悉だけの間で成立しているのではなく、いつどのように見られているか分からないようなあり方を強いられているため、とりあえずいい顔をしていなければならないわけです。だからまた、ドラマや映画で、自分のしたいように生きるわがままな役柄に魅力を覚えたりもしますし、そうした指導者をスカッとするといった理由で支持したりもするのです。
 
私たちは、自分には闇などないかのような振りをして生活をしているような気がします。Official髭男dismの「Pretender」では、踏み込めない観客めいたあり方の中で悶々としている気持ちも伝わってきますが、闇を示す勇気はもてないままにグッバイなどと強がっている一面が感じられます。誰からも嫌われたくない。そのため、一途に守る自分のようなものを把持しない。昔だったら「八方美人」の一言で片づいたような姿も、いまでは複雑な事情の中で様々な心理を抱え持つようになってきました。ただ、影のない自分を演じている中で、闇も意識しなくなっていますが、果たして事実そうなのかどうか、まだまだ検討する余地があるようです。
 
しかしまた、ほんとうに闇の中の日々を送っている人もいることでしょう。「生きジゴク」になることを案じて自殺した少年のことを、私たちは忘れてはいけないでしょう。その遺族に対して加害行為をしたのは、世間の私たちでした。出口のない暗闇の中に追い込まれ、命を断った人がこのようにいる一方、まさにその生きジゴクの中でいまこのときも生活している人がいることを思います。また、意図も予想もしないうちに、突然闇に連れて行かれて戻ってこれなくなる、ということもありえます。犯罪に巻き込まれる被害者について、もちろん他人事ではないのですが、ほんとうに言葉もありません。中村哲さんもそうでした。そして突然押し入った外国人に命を奪われた兄妹のことも、どう考えてよいのか分かりません。2人とも別々の、キリスト教の小学校に通っていました。兄ちゃんはようやく六年生になり、中学受験を本気で始め、本来の力を発揮し始めていました。その日は授業がないのに塾に来て、社会のテストのやり直しをして、先生に励まされていました。そしてその翌日、惨殺された上で、海に沈められたのでした。このような闇に巻き込まれた人たちのことを、私は言葉にすることができません。まして、教義で説明することなどできません。
 
不可思議に思われるような犯罪の報道を見て、識者は、そして大衆は、安易に「心の闇」という言葉を口にします。この人には心の闇があった、などというように、しきりに「心の闇」を強調します。心を病む人の気持ちなど少しも分かっていないし、分かろうともしない態度に見えて憤然とすることがあります。突き放してそういう人を見下ろしているような態度であるからという理由のほかにまるで、そのように評する自分の心には闇などないのだとひけらかすか、最悪の場合はそう思い込んでいるか、どちらにせよ欺瞞だらけだという理由によってです。
 
いくら自分が幸せな気持ちを味わっているからと言って、闇などないよ、などということは絶対に言ってはいけないこと、言えないなのだと思います。それはまた、法的に立場が認められない人々の苦悩に、口では味方だよと言ってみたり、祈ってますと胸を張ったりしている私たちもまた一種の加害者であると理解します。ほんとうにそうした闇を味わっている人の味方になるとは、そこから離れて応援の旗を振るのではなく、そこに近づいて何かをするのでなければ、何の意味もないのではないか。愛がなければ何をしても意味がない、などと言う前に、その「何」をしていなければ、愛云々を検討する段階ですらないわけです。
 
ろう者は、数十年前と比べれば、いまはずいぶんとその立場に多くの人が理解を示すようになりました。小学生はろう者に限りませんが、ハンディキャップを負う人と何らかの形で触れあうようにカリキュラムが決められています。手話も、「手まね」などと言われたり奇異な眼差しで見られる時代ではなくなりつつあると言えます。各地で、手話言語条例が成立しています。法的にも、確かに前進なのだろうと思います(福岡県は明らかに後進的です。なんとかしてほしい。その声を私も挙げたい)。しかし、弦に職場において、あるいは日常生活の中で、どれほど寂しい思いをし、また辛い目に遭っているか、ろう者と関わりをもたなければ、想像だにできないのではないでしょうか。日々瞬間あらゆることで、コミュニケーションから外されるということは、単純に考えてもいじめと変わらない状況だともいえ、そういう世界に暮らしているという意味を、殆どの聴者は想像だにできません。もちろん、こんな私もその聴者の一人ですし、一番鬱陶しいタイプの一人でありましょう。要するに、私たちは簡単に人の「闇」を理解するとか、寄り添うとか、口にすべきではないと考えます。
 
話題の『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(ブレイディみかこ)を読みました。イギリスに暮らす著者(福岡にいた人)とその、日本で言えば中学生になった息子との生活体験が綴られています。またそれを語り出すと長くなりますが、私が非常に心惹かれたのは、empathyとsympathyの違いの話でした。息子がempathyを問われて「誰かの靴を履いてみること」という、英語でよくある表現で答えたら満点をもらったという件です。これを読んで私は、良心的な顔をするための常套句「寄り添う」の皮相さを思い知らされました。それはsympathyに過ぎず、それは「感情」に過ぎないとします。しかしempathyは、自分と違うタイプの人、特にかわいそうだと思えない立場の人が何を考えているのだろうかと想像する「能力」なのだというのです。言うまでもなく、「寄り添う」のは、こちらでなければなりません。よくキリスト教会で、愛は意志である、などとも言われますが、それとつながるものがあります。それはまた「善意」ともつながります。「共感」には「善意」は必要ないが、私たちは努力して、「誰かの靴を履いてみること」へと意志を伴って動き出さなければ、「善意」とは言えないのだ、というような点を痛感させられました。
 
新約聖書の時代、当時の貧しい人々は、暗闇の中を歩いていたものと見られていました。ユダヤがローマの支配を受けていたことは、ある程度の自治によるものとはいえ、民族の誇りも文化も、そして経済的な点でも、闇であったのかもしれません。かつての王国の歴史も粉砕された、悲惨な滅亡も味わった民族が、いままた新たなバビロンとしてのローマ帝国に威圧されているわけです。その中で、同胞の中に、ローマとうまく手を組んで優越を覚える者たちもいる。また、ある程度の生活が保障されたり教育を受けたりした者の中には、社会的に絶対的な優位に立って同じユダヤ人を威圧している者もいました。
 
私たちクリスチャンも、教会によるとは思いますが、えてして一定の社会的立場があり、生活の中に闇など抱えもつ必要のないような人がいて、教会のリーダー的役割を果たしています。しかし共に礼拝に集っている中に、経済的に、あるいは病気や障碍のために、また精神的に、暗闇の中から逃れられず、すがる思いで礼拝のメッセージを聴いている人がいることに、鈍感になっていることがあります。礼拝の最中に、午後の執事会はどうしようなどということが頭を過ぎったり、うとうと眠ってしまったり。来週ここに来る命があるだろうかと怯えながら来ている人もいるかもしれません。私たちは、自分で気づかない間に、聖書の中に描かれている、よくない人間の姿をそのまま生きているということがあるかもしれないのです。本当に闇を知る人に、empathyを覚えているのかどうか、問われてみると、どんな気がするでしょうか。
 
私も反省します。私はたくさん愛されて育てられてきたにも拘わらず、だから申し分のないほどに守られてきたと信じてやまないのですが、しかしまた、私もまた、電車に飛び込もうかとしていた頃もあったし、のほほんと明るく生きてきたくせに、突然自分の中の醜さを痛感させられて絶望を味わい続けたこともありました。精神異常を覚えたり、生まれて来なかったほうがよかったと考えたり、その他いろいろと支障があるのでもはや言えませんが、なんだかんだとあるのです。でも、それだからいま苦しんでいる人の思いが分かる、などとも言いません。言うつもりもありませんし、思いません。皆、事情が違うし、いろいろあっても私はいま幸福を感じているからです。
 
しかし、分かってくれる方が確かにいる。そのことを信じて戴けたら、何よりだとは思います。そうです。イエスは、ひとつ距離を置いて、人を救おうとしたのではありませんでした。汚れるという常識のために触れることなどありえなかった人に触れ、また近づいていったのです。貧しく汚れた病の人の靴を履いたのです。なおかつ、自ら最高度の惨めな姿を晒したのです。果たして、教会の中でも一定の地位や立場が決まってきて、偉い人、立派な人、信仰ある人、などのレッテルが貼られてきたとして、そういういい顔を見せ続けるために、Pretenderを演じ、影のないことを当たり前だと思っている間に、せいぜいsympathyしかもっていないのに、自分で自分を褒めるようなことに慣れてしまっていたとしたら、どうでしょうか。
 
自分は明るい光の中にいると能天気にしているとき、実は闇があることには全く気づいていないし、気づこうともしていない。しかし自分は闇の中にいると悔やむとき、その闇は実は光の始まりであることが、福音によって見えてくる。イエス・キリストを通して、その闇は滅びの闇ではなくなっていくことができるのです。このニュースを、届けたい。救われた証しの中に、それまで見ていたはずの世界が、全く違って見えてきた、というのがありました。その通りです。それが、闇が光になる出来事だと思っています。



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