残された機会としての益城町訪問
2019年11月26日
2016年の熊本地震の後、しばらくして始まった、2カ月に一度の熊本・益城町訪問でしたが、来年3月ですべての仮設住宅が一箇所にまとめられる見込みで、活動はそこまでということになりそうです。すでにその仮設団地でも、殆ど人がいないような状態で、逆にいうと、今回も集まってくださった方々は、依然として行き場のない状況に置かれているとも言えるわけで、だからこそ役立つ集いではあったのかもしれないのですが、いろいろ仕方がない面もあろうかと思われます。
震度7の揺れが二度も遅うという、未曾有の地震被害ではありましたが、犠牲者も膨大な数に上ったのではなく、(だからよかったなどというつもりはさらさらないのですが、熊本城の工事が行われていることばかりが報道される中で、他地域の方々からすれば忘れられてしまうことも、時のなせるわざなのでしょうか、それとも人の心の性なのでしょうか。
その後日本列島では、とくに大雨と台風による水害が毎年発生し、広範囲にわたり亡くなった方と住めなくなった家のことが伝えられ、胸を痛めるばかりです。だからまた、地震のことにばかり気を向けてはいられなくなっているのかもしれません。
気候変動の影響もあるでしょう。そうなると、私たち一人ひとりがこの災害に関係しているとも言えます。しかしまた、都市設計や防災対策が対応しきれていないという事実もここへきて露呈しているということになるかもしれません。人間が、このくらいは大丈夫だろうと想定していたことでは、もはや済まないほどに自然の猛威が襲ってきているのです。
福島の原発事故も、想定外ということで責任逃れをしていることが責められることがありますが、これに限らず、備えに万全ということはありえないのです。そして、もはや一定以上の自然現象に対してはなすすべがないほどに、人間社会は飽和しているのかもしれません。これでもまだ、防災は精一杯している部類に入るものと理解せざるをえないのでしょう。
自然の力であれば、まだいくらかでも、仕方がないの言葉で心を癒そうとすることもできましょうが、人為的なことで壊滅するような生活や生命についてはどうでしょうか。我慢できるでしょうか。そう、今回のローマ教皇の訪問において、ひとつにはフランシスコ教皇が個人的に懐いていた思いがぶつけられたことです。戦争は、人が起こすものであり、それによって前世紀のように無数の人命が失われるということは、ひとえに人間に責任があるはずのことなのです。それでいて、誰も責任を取らないシステムになっているという、メタレベルでの無責任なありさまがあることに、気づかなければなりません。一人ひとりが。
益城町は、豊かな自然に囲まれ、農作業の多忙な中で、時に私たちの集いに足を運んでくださった方々、すでに新しい家を構えてそこに移って、仮説での狭くまた寒いであろう生活とは違う日常を送っている方もいらっしゃることでしょうし、まだぎこちない生活を繰り返している方もいらっしゃることでしょうが、一度でも来てくださった方々に、何かが残ることがあったでしょうか。私たちもまた、責任をとれるような者ではありませんが、この場所とこの時に、小さな足跡を遺すことができたとしたら、誰かの心に、あの時だけは楽しかった、などという思いを刻むことができたとしたら、よいのに、という期待も懐きます。そればかりは、私が決めることではありませんけれども。
わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、
わたしにしてくれたことなのである。(マタイ25:40)