【聖書の基本】続けなさい
2019年11月17日
求めよ、さらば與へられん。
尋ねよ、さらば見出さん。
門を叩け、さらば開かれん。
マタイによる福音書7:7の、あまりにも有名な文語訳。口調としても品格としても抜群の訳ですが、今後生き残っていくかどうか、難しいところですね。
ここでよく知られた味わい方があるので、基本的なことではありますが、ご紹介します。それは、ここにある三つの命令の動詞についてです。これらの語彙についてではなく、時制についてです。これらの命令法による動詞はすべて「現在形」が使われているということに注目せよ、というわけです。というのは、ギリシア語の命令法には、現在形と過去形(アオリスト)とがあるからです。さらに言えば、接続法(ドイツ語をご存じの方はおなじみ、英語なら仮定法を思い出して戴ければ)を否定の語と共に用いることにより、実質命令するという効果もあります。
命令文が現在であるのは当たり前ではないか、と思われるかもしれません。そして命令文に過去形(アオリスト)があるのと比較するなどと言うと、過去に命令しても仕方がないのに、と文句を言われそうです。しかしここでいう現在とか過去とかいうのは、語形についてのことであり、時間を言うのではありません。因みに、英語にしても、現在とか過去とか言っているのも本来は、数直線に示す時間軸についてとやかく言っているのではなく、ギリシア語のような古い言葉に由来する、これから示す内容を踏まえてできてきた歴史があるということを理解しておくと、より深い理解が可能になることがあります。
まず命令に関係なく述べると、このアオリストというのは、基本的に過去ですが、一回きりの出来事を表現します。「私は花子を愛した」と言うと、突き放した響きがありますね。つまり、今は愛していないことを含意します。それと同様に、今とは無関係に、単発的に起こったことを表すわけです。それに対して現在形は、今という一瞬のことに限らず、時に永遠不変の真理をも意味します。科学的なテーゼを現在形で表すのはそのためですが、こういうと、英語の現在進行形が気になる人がいるでしょう。古い英語でも、ふだんしていることと、その動作がまだ完了していないことを表す区別がありました。後者が15世紀頃までに-ingの形になり、18世紀以後イギリスで急速に広まった、とされていますが、まだこの経緯についてはよく分からないことが多いそうです(『英語の謎』)。
話が脱線しましたが、ギリシア語はこの古い区別が、過去形(アオリスト)と現在形とでなされていました。つまり、ざっくり言うと、現在形は、英語の現在進行形に重なる部分がある、ということです。一回きりのことではなく、継続的に行われている様子を意味します。それで、この命令形に関してこれを言うと、時間の問題ではなくて、その命令が一度きりのものであるのか、繰り返し継続的にするように要求しているか、の違いとなります。
求めなさい。そうすれば、与えられる。
探しなさい。そうすれば、見つかる。
門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。(新共同訳)
邦訳は基本的に皆このように訳してありますが、新改訳聖書は、欄外に「あるいは」と記して、これら三つに「〜続けなさい」と訳しうることを示しています。それが、上のような意味です。なお、エホバの証人の新世界訳は、本文そのものが、どれも「〜続けなさい」となっており、まぁ彼ららしいなあ、と思います。
遮二無二求め続けよ。遮二無二探し続けよ。遮二無二門をたたき続けよ。私たちは、イエスの言葉をホットに受けとることができる心の準備が、できたでしょうか。