パウロの謎と私の読み方

2019年11月10日

たとえばスケーターとか、ゴルファーとかで、いやまた将棋のような分野でも、無名の新人が優勝すると、突然脚光を浴びることになります。一躍スターとなり、マスコミが注目して、その経歴を探し始めます。中には、その人のことをずっと陰ながら応援していたという人もいるのですが、先般のラグビーのように、それまで全く興味がなかったのに、いざチームが勝ったものだから、「にわかファン」になり騒ぐということもしばしばです。自分が勝者を応援することで、自分も勝者になったような気分になる心理からくるのではないかと思いますが、ともかく、いま勝ったという現実から、そこへ至るまでの過去のことを知りたい、というのがひとつの道筋ではありましょう。
 
パウロという人も、この人がいなければキリスト教はいま存在していなかったかもしれない、というくらいに重要な人物として、いわばキリスト教界のスターであるわけですが、スター故に、その伝道活動や綴った書簡こそが、その活躍の真骨頂として有り難がられます。この場合、先の新星とは違い、パウロは過去のエリートであった自分とは訣別して、いわば生まれ変わった存在となったわけですから、パウロの黒歴史をとやかく扱うのは、失礼かもしれません。むしろその黒歴史を白く塗り替えた福音はすばらしい、と信徒はその神の業を称賛することになります。
 
しかし、実のところ、白歴史の中にも、全く見えてこない部分があります。パウロの活躍として私たちに見えているものは、その伝道旅行と書簡です。かろうじて使徒言行録が、パウロの救いの時の様子やその後の教会との関係を記録してはいますが、簡略化されたり、謎めいた仕方でわずかに言及されているに過ぎないと言えるでしょう。パウロはすでに救われて、新たな光の中を生きていたはずなのに、十年近くの間のことは、殆ど私たちに断片的にしか知られていないのです。
 
その後の書簡の中で、あるいはルカによると思われる旅行記の中で、パウロの救いの証しや、自分の生い立ちその他に触れられることはあります。しかし、キリスト教徒としてのパウロの修業時代の具体的な営みについては、情報が少なすぎます。マスコミがいたら、パウロのこれまでの生き方を取材して報道してくれたことでしょうが、その取材記事が決定的に欠けています。
 
研究者は、聖書の羊皮紙の欠片からでも原文を探ろうと努めますが、パウロのこの空白の期間についても、再構成を試みることがあるものと思われます。いったいどのようにして、パウロはイエスの教えについて知り、あるいはその福音理解を深めてきたのか、その学びはどのようであったのか、私は関心があります。パウロは誰からどのように学んだのか、調べたのか、それがあってこそ、その結実としての書簡があると言えるからです。
 
言うなれば、私たちの目の前に現れたパウロは、トンネルを出てきた列車のようです。トンネルの中を走っていたパウロのことは知らないのです。トンネルに入る前のパウロのユダヤ教エリート教育のことは、だいたい分かります。しかしイエスに出会い、トンネルに入り、突然現れると、大胆に福音を語るのです。直接イエスに従った生活をしていたわけでなかったパウロがそれだけのことができるというのは、並大抵のことではありません。ここに興味があるということです。
 
パウロは、私たちの目に映るような、力ある存在ではなかったと思われます。エルサレム教会の中では新参者であり、幾分信頼のおけない者であり、しかも異邦人に福音を伝えるなどと、とんでもないことを言い始めます。いまの日本のキリスト教界で言えば、異端的な振る舞いをする者に見られていたと想像されます。教会のパシリのように献金を集めに回っている様子が描かれてもいるし、なんたることをしているかと呼び出され、こてんこてんにやられているようにも見受けられます。私たちがいま捉えているようなヒーローの姿はどこにもありません。だから当時のパウロも、いわば肩身の狭い生き方をしていたとしか思えないのです。パウロは自信満々に、キリスト教組合の会長をしていたわけではないのです。
 
現実の権力をもちえない立場にあると、技能さえあれば、文書を書くことに関心が向かう場合があります。この私が好い例です。そのとき、時に権力批判もしたくなります。誰かの悪口を、つまりその人が悪であることを言い放つこともあるでしょう。皮肉混じりに、表向き反対のように書いて、これに気づかない相手をせせら笑うようなことをするかもしれません。では果たしてこのようにして書いたものだけがそこにあるとき、どれが本心なのか、どこにハッタリがあるのか、人は峻別できるでしょうか。そこで、その人が脚光を浴びる前の素朴な時代の文章や生い立ちなどを参考にして、本音が何であるかを類推するという作業もあり得ることになります。
 
こうした場合、本人の説明があれば信憑性が増します。が、人間というのは怖いもので、本人が自分の背景を記すときほど、恰好つけに出ることがあります。自己評価はオーバーになりやすく、欠点には言及しないものです。と思えば、欠点を殊更に挙げて、そうではないのだというふうに伝えようとするなど、文章心理学というものは実に複雑なもので、結局書いたものと本心あるいはその背景というものは、如何とも確定し難いものとなってしまいます。
 
傍観的立場から、その人の書いた文書だけでその人を判断しようとするとき、それはどうしても推測に留まります。可能性については言えますが、断定は苦しいものでしょう。文学者の文学を読み、その作者の性格や人間性というものを判別できるかどうかというと、まず無理です。パウロ書簡が文学であるという決めつけ方はしませんが、書かれたものとして、それは一定の文学性を保持します。とくにかの時代の書簡というものは、私たちがSNSで書きなぐるようなものとは違い、人目にさらされることを目的としている以上、練られた、建前色たっぷりの文学作品のようであったとしてもおかしくはありません。
 
また、書簡ですから、書き送った相手によっても、書く内容や書く姿勢も違ってくることは容易に予想されます。会ったことがない教養ある人々に向けて書く場合と、自分が世話した組織ですが大都会の裕福な人の多い教会に向けて書く場合と、そしてまた田舎の素朴な人々の集まりのために書き送る場合とは、違ってくるでしょう。同じ口調でも、真摯に言うこともあれば、皮肉混じりに言うようなことがあるかもしれません。同じパウロが書いたといっても、語るパウロ自身のコンディションも影響するし、語る相手の立場やメンバーによっても書かれたものはずいぶん違ってくることでしょう。
 
こうしたもやもやを抱えていた私は、先日、高名な学者に、パウロのいわば修業時代に何をどのように学んだと推測なさいますか、と質問をしました。さすが、聖書におけるパウロの遍歴で明らかに分かっていることを並べて答えてくださった上に、ご自身のもつ仮説を披露してくださいました。それを絶対視しないとともに、それなりに研究してきたことからすると蓋然性の高い、一定の根拠のあるものとしての話でした。味わいがありました。
 
パウロの生い立ちについては、他のペトロやヨハネなどと比べても、かなり表に出されており、そのユダヤ社会でのエリート性やローマ市民としての立場、なんといっても教養にあふれるその才能は豊かな教育を受けてきたことの証拠となっているとも言えるでしょうが、それでもやはり、あの劇的な回心から伝道者としての活躍までの間には、謎の時代があるのであって、それをどう推測することによって、書簡の言葉の意味をどう理解すべきかが左右されることが懸念されます。ある意味で、パウロという人を思い込みにより誤解することにより、書いてあることについても曲解してしまう虞があるということになります。
 
研究者が誠実に、その与えられた才能をフルに活用して調べ尽くしてくれること、それを有り難く借用しながら、自分なりに聖書にアプローチしていくという楽しみがあることは幸いです。けれども、聖書を文献として、謎解きの対象として扱うつもりは、私にはありません。私の出会った神からのメッセージとして、私の外から注がれるそれらの言葉が、自分にとりどのように聞こえるとよいのか、またそれが他の人を生かすためにはどのように響いていくことを望むのか、そういうあたりに関心を寄せながら、自分の好みで意味を勝手に曲げないように、研究の成果を受け取っているわけです。その上で、他の人には強いることはないままに、自分にとってはこのような意味に聞こえている、それで自分は立ち上がれる、というような風変わりな受け取り方も、パーソナルな世界として楽しんでいられたらよい、と密かに思っているのです。それでいて、私において出来事となった神の言葉、それを私を通して語ることについては、やめられそうにありません。



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