【聖書の基本】右
2019年10月13日
121:5 主はあなたを見守る方/あなたを覆う陰、あなたの右にいます方。
聖書では一般に、右は優位の座を表します。旧約聖書の順序からすると最初にそのことが登場するのが、出エジプト記です。エジプトを出て、葦の海を渡ったあとエジプト軍が波に呑まれていったことをモーセが歌ったという歌の中で、次のように歌われています。主の右の手に力があるというような言い方に聞こえます。
15:6 主よ、あなたの右の手は力によって輝く。主よ、あなたの右の手は敵を打ち砕く。
15:12 あなたが右の手を伸べられると/大地は彼らを呑み込んだ。
律法において「右」の言葉が出て来るときには、多くの場合「右にも左にもそれてはならない」といった表現で、神の律法を受けた者は、ふらふらして道を逸れてはならないことが戒められていました。それが詩編になると、神の右の御手の力が俄然注目されます。たとえば16編にはこのような表現で現れます。
16:8 わたしは絶えず主に相対しています。主は右にいまし/わたしは揺らぐことがありません。
16:11 わたしは御顔を仰いで満ち足り、喜び祝い/右の御手から永遠の喜びをいただきます。
このような描写は、詩編には枚挙に暇がないほどですが、面白いことに、敵である異邦人について、このような言い方もなされています。
144:8,11 彼らの口はむなしいことを語り/彼らの右の手は欺きを行う右の手です。
右の手というのは、神に特有の表現ではなくて、その者の力がどこにあるのか、ということを象徴的に示すものであったようです。私たちも、「右に出る者はいない」というような言い方をします。また「課長の右腕」などというと、部下として最も大きな働きをなす人物のことを指すように捉えられます。
イザヤ書でも「右の手」という言い方は印象的です。
41:10 恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。たじろぐな、わたしはあなたの神。勢いを与えてあなたを助け/わたしの救いの右の手であなたを支える。
62:8 主は、御自分の右の手にかけて/力ある御腕にかけて、誓われた。わたしは再びあなたの穀物を敵の食物とはさせず/あなたの労苦による新しい酒を/異邦人に飲ませることも決してない。
新約になると、ダビデの言葉としての引用が出るほかは、譬え的な言い方として、右の座に就く言い回しがあるものの、厳しい場面としては、裁判において、「そうです。あなたたちは、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に囲まれて来るのを見る。」(マルコ14:62,他にマタイ26:64,ルカ22:69)とイエスが発言したことから、十字架刑が決定的になるということがありました。
そして使徒言行録でペトロが「2:33 それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしているのです」(使徒2:33)と聖霊降臨の際に説教し、最高法院での尋問においては「神はイスラエルを悔い改めさせ、その罪を赦すために、この方を導き手とし、救い主として、御自分の右に上げられました」(使徒5:31)と言ったために危うく殺されそうになりました。さらにその後「ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言った」(使徒7:55-56)ために、リンチを受けてしまいました。
パウロは一度だけ、神の右に座すイエスについて触れています。
8:34 だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。
こうして、使徒たちは、イエスが神の右の座にいるという点を共通に理解していたことが窺えます。また、ヘブライ書も同様にイエスが神の右の座にいることに、五度にわたって言及しています。たとえば、次の言葉は有名であり、またパンチが利いています。
12:2 信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。
ではなぜ右が優位にあるのでしょう。これは文化史的な研究素材となり、簡単に説明できることではないかと思われます。右利きの人が9割いるのではないか、と言われている中で、文字から道具から、圧倒的に右優位に社会が成り立っているように見受けられます。ヘブライ文化には全く言及されていないながらも、時計回りの右優位としてのギリシア文化と、反時計回りで左優位のローマ文化とがよく研究されている叙述がありました。尤も、ローマではさる理由で右優位も混在するというふうにも言及されています。 素粒子論の学者の綿密な調査によるもので、非常に興味深いものがあります。→こちら
右側が優位であるという背景は、この右利きの問題と、あとは方位における東や南との関係などが、理由づけとしてはそれらしく挙げられますが、真実どうであるかは、どうもよく分からないように見受けられます。それどころか、そもそも右とは何かという定義すら、曖昧な部分があり、試しに国語辞典を開いてみると、きっと面白いことが書いてあるだろうと思います。最後に、右と左に関して、子どもに次のように訊かれたらどう答えるか、考えてみてください。宿題です。
どうして鏡を見ると、右と左は逆になるのに、上と下は逆にならないの?