【聖書の基本】モアブ

2019年9月1日

ルツ記の最初の舞台は、モアブ。そしてこのモアブ人であるルツが、ベツレヘムに来ることで、イスラエルにとり、そしてキリスト教徒にとり、超重要な役割を果たすことになります。それは、この外国人のルツを通して、ダビデが生まれ、イエスが生まれることになるからです。
 
モアブの地は、死海の東に位置し、これは考古学的にも実在性が確かめられています。旧約聖書にも度々登場し、その事件の中には、他の遺跡の碑文から裏付けられているものもあります。
 
さしあたり旧約聖書を用いて知るしかないのですが、それによると、アブラハムの甥ロトとその娘たちのうち姉のほうから生まれた子がモアブであり、その子孫がモアブ人となったと記されています。ソドムから逃れたロト一家でしたが、妻は振り返ったために塩の柱となり、その後、結婚に絶望した姉妹は父ロトに酒をたんまり飲ませて、子種をもらうという策略を果たしたのです(創世記19章)。
 
そのせいか、イスラエル人とのつながりがあると目され、敵対することは当初なかったのですが、どうやら出エジプトの旅の中でモアブの地に宿営したとき、モアブ人がイスラエルの民を恐れ、王バラクが、託宣のできるバラムを用いてイスラエルを呪わせようとした出来事あたりから歯車が狂ったようにも見えます(民数記22-24章)。結局このバラムはイスラエルを呪うことをせず、主の命令により祝福するだけで終わるのですが、その後イスラエルはモアブの女たちと交わり、バアルなどモアブの神々を拝むようになりました。このとき有名な祭司ピネハスが、槍で男女を突き刺すという残酷な仕打ちをして見せ、イスラエルの原理主義者からは英雄視されるようになり、後に詩編などで盛んに称えられることになります。そしてこのモアブの平野で、モーセは主から最後の言葉を受け取り、遙かに見える約束の地カナンへはモーセ自身は入ることができないという結末を迎えます(詩編106編参照)。
 
士師記の時代、イスラエルは一時的にモアブに征服されることがありました(士師記3章)が、なんといってもモアブがイスラエルにとり決定的な意味をもつのは、最初に触れたように、ルツ記の記述です。
 
イスラエルの初代の王サウルがモアブと戦い勝利することもありましたし、次の王ダビデは、サウル王に命を狙われていたときに、両親をモアブ王に預けたことがありました(サムエル一22章)。ユダヤ教の伝説では、この両親がモアブ人により殺されたとされ、そのために、後にダビデがイスラエルの王になったときにダビデは厳しくモアブを攻め、征服し、属国としました(サムエル二8章)。
 
ダビデから王位を受け継いだソロモンは、多くの外国人の女性を迎え入れ、人身御供さえしたというモアブ人の神ケモシュのために、礼拝所を築き(列王記一11章)、イスラエルの信仰を乱しました。その後モアブは独立したように見え、また南北二つの国に別れたイスラエルでしたが、北王国イスラエルの王となったオムリが再びモアブを征服しましたが、その後も戦いが続き、逆にモアブ王がイスラエルに勝利し、独立を勝ち取ったことが、メシャ碑文という遺跡からも裏付けられています(列王記二3章)。
 
その後モアブは、アッシリアやバビロニアの勢力に屈し、捕囚から国を再建するイスラエル民族からは、次第に軽蔑の眼差しで見られるようになります。モアブ人といえば、罪人であるとか、よこしまな人間という意味の代名詞のようにすら扱われるようになるのです。また、後にモアブ人はアラブ人と同一視されることもありました。



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